ポスト・ポストカリプスの配達員〈5〉
戦闘の砂埃が収まってきた。同時に、歪んでいた景色や揺らめく陽炎も徐々に通常の状態へと戻ってゆく。復元時に発生した重力波が水面の波紋の様に空間を流れ、俺は軽い眩暈を覚えた。
バシュッという圧縮空気音と共にトリスメギストスのコックピットのキャノピーが開放され、8メートルの高みから、患者服の裾をはためかせながらナツキが何の苦もなく地面に三点着地する。
そのこめかみに、俺はシグサガワーを突きつけた。
「……命を助けてあげたのに、これは酷くないかな少年?」
ナツキはさして動揺するわけでもなくパッパッと砂埃を払いながら立ち上がった。俺は肩を竦めて答える。
「こんな銃でお前を殺せるとは思っていないし、よしんば殺せたとしてもそのあとそこのデカブツに殺されるだろうというのは理解しているぞ」
『デカブツではなく個体識別概念住所はトリスメギストスです、少年。よければトライとお呼びください』
穏やかな男性の声が降ってきた。トリスメギストス――トライがモノアイとセンサーが並ぶ顔をこちらに向けている。先程から俺の頭の中では被照準警報が鳴り響いていた。トライからだ。
俺が銃を抜いた瞬間、いや抜くと〝決めた〟瞬間からトライが俺に向けて電磁波による狙いをつけていた。神経パルスを読み取られている? それくらいの芸当は可能だろう。そしてそれだけのことを出来る奴が隠匿もせずにこちらに狙いを合わせる理由は警告のためだ。それでも俺はナツキに向けた銃を下ろさない。
「まあつまりこれは、分かりやすい俺の態度だと思って欲しい。命を助けてくれたことには感謝しているが、正体の分かってるバケモノより正体不明のお前たちの方が俺は恐いって訳だ。配達員〈サガワー〉としちゃ情けねえがな」
感情制御モジュールの働きで銃を持つ手は震えていない。俺は精一杯タフな配達員を気取りながら言葉を続けた。
「まだ俺の最初の質問に答えてもらってないよな? もう名前は知ってるが、改めて問わせてもらうぜ、ナツキさんとやら。『お前は、誰だ』」
ナツキは面白そうな顔で銃口と俺の顔を見比べる。
「うーんそういえば場所を教えてもらったのに、自己紹介がまだだったね」
ナツキはおもむろに姿勢を正すと、ビシっと敬礼をした。
「自分は郵政大臣直属、カンポ騎士団の郵聖騎士カネヤ・ナツキであります。あ、ちなみに郵聖騎士ってのは通常の部隊の階級に換算すれば少佐ね。で、こっちの大きいのがトリスメギストス。通称トライ。私の相棒? 半身? 親? そんな感じのやつ」
『正確な表現を用いるならば、同じ概念住所を利用する半共生体です。当機体が配送機〈プレリュード〉、ナツキが配達員〈ポストリュード〉と呼称されます』
説明されても分からないのだが。
「で、少年。君の名前は? サガワー? ってことはこの時代にもまだ佐川救世軍〈サガワネーション・アーミー〉は存在するのかな?」
俺はその名が出てきたことに驚いた。佐川救世軍とはポストカリプス前文明に存在した民間軍事会社であったが、郵政省が国内の通信リソースを専ら軍事利用に割り振ってからは空いたニッチを埋めるように民間向け郵便事業にも手を出し巨大コングロマリット化した。
配達員〈サガワー〉とは佐川救世軍にあやかって呼ばれだしたものだが、長い年月のうちにほとんどの人はそのことを忘れ去っていた。つまり、こいつらは本当に1200四半期――300年も昔のやつらなのだ。
「いいや、佐川はとっくの昔に消滅したよ。俺の名前はヤマトだ。そして少年じゃない」
「いやいや君未成年でしょ? 17歳って測定結果が言ってるもん」
どうやって測ったのかは知らないが年齢は合っていた。合っているのになおも未成年扱いとは――300年前と現代で成年の定義が違うことを俺は思い出した。ポスト・ポストカリプス世界では14歳に達すると成人と看做され集団養育所から追い出される。俺の場合は事情が特殊で、10歳の頃に元いた場所を飛び出したのだが。
面倒を見てくれる『親』なる存在はいない。リスクの高い出産という行為を人類が捨ててから既に200年以上が経つ。
「……とにかく少年呼びはやめろ」
「分かったよ、ヤマトくん」
「くん付けもいらない」
「分かったよ、ヤマトくん」
「……」
このアマ……。思わず引き金を引きそうになるが、それに合わせたかのように――いや合わせたのだろう――トライが僅かにキュイっとモノアイを絞ったので踏みとどまる。ナツキはそれを見てとても良い笑顔になった。大した性格だ。なろうと思わないとなれるものではない。
「さて――お互い自己紹介も済ませたし、もうこの銃は退けて貰っても構わないかな? それともこれがこの時代の作法なわけ?」
「いいや、まだ一つだけ質問がある。何故、青ポストに入っていた?」
青ポスト――かつての戦略輸送に使われた基幹ノード。今では世界中どこに行っても存在するポストだが、青ポストだけは別だ。自己複製の際に中身まで増えるのはどうしても取り除けないバグだったが、都合が良かったのでそのまま実装された。だが機密がたっぷり含まれる物資が際限なく増えられても困る――そう判断したかつての郵政省は最も重要で破壊されては困るはずの青ポストに、自己複製機能をつけなかった。代わりに破壊された場合、同郵便番号を用いているエリア内に存在するポストが青ポストとして〝目覚める〟。機能を丸々引き継ぐのだ。
そこまでして護られていた青ポスト、その中身。確かにテレポテーション網が作られた時代には存在しないはずの部隊や技術は、隠匿すべき機密の塊だろう。だが何故その大事な荷物があの文明を終わらせた厄災、『大郵嘯〈ポスタンピード〉』の最中、まさにカオスの海へと沈み込みつつあるポストの中に仕舞われていたのか。サルベージするにしろデリートするにしろ、放置という選択肢はまずないだろう。
「うーん。結構痛いところをついてくるね」
ナツキは白い長髪の先端をいじりながらトライを振り仰いだ。
『当機体には封緘情報を開封する権限は付与されておりません』
「だよねー」
ナツキはうーんうーんと髪をぐしゃぐしゃにして悩んでいたが、やがてパッと顔を上げてこう言った。
「銃を下ろして、ヤマトくんの秘密を一個教えてくれたら、教えてあげる」
ウム、としかつめらしくうなずくナツキ。俺は損益分岐点計算モジュールを走らせ、素直に銃を下ろした。トリガーからも指を離す。
「あら、聞き分けがいいね!」
「これでも商談は得意なんでな」
配達員は商人でもある。配達し、取引し、回収する。戦闘なんて、仕事全体からしたらオマケのようなものだ。
「ヤマトくんに最初に出会えて良かったよ。起きたら酷い世界になってたらどうしようかってそれだけが心配だったんだ。ヤマトくんみたいな人がいるなら、そう悪い世界じゃないって安心できた」
ナツキは、真顔で、そう言った。立ち上げっぱなしだった損益分岐点計算モジュールが今の発言がどう相手を利するのかを即座に算出しにかかるが、野暮なタスクはキルしておく。
「……結構酷い世界だがな」
俺はなぜだかナツキの顔をまともに見れずに、視線を逸らしながらそれだけ言い……眉根を寄せた。土煙。ナノアイカメラが望遠モードに自動で切り替わり、映像が即座に脅威ライブラリと照合され、紅いマーカーが灯った。
『いい雰囲気のところ申し訳ございません。ナツキ、ヤマト様。敵性勢力の接近を感知しました。敵性と判断した基準を述べますか?』
「プロトコル省略。第二次戦闘待機モードへ移行。以降、配達員への確認なく自律判断で防衛行動を取って」
『第二次戦闘待機モードへ移行。自律判断レベルを5まで引き上げました』
もはや拡大せずともはっきり見えてきた。土煙を上げながら爆走してくる、巨大戦車型ドーザー。ドーザーブレード部分には凶悪鋼鉄棘付き回転破砕機も取り付けられており、火花を散らしながら行く手にあるポストを次々と飲み込み驀進してくる! 車体に何箇所にも取り付けられた排気パイプが一斉に火炎を放射し空を焼き焦がした!
あれは――撤去人〈ユウパッカー〉の戦車型配達アナイアレイトシステム車、通称ハイエースだ!
撤去人〈ユウパッカー〉! このポスト・ポストカリプス世界において最大の武装を持ち最大の勢力を誇る、対自己増殖郵便ポスト強硬派の超国家組織APOLLONが抱える暴力装置!
APOLLONは全世界的郵便ポスト完全抹消を是とするユニオンであり、その為ならば手段を問わないのだ! そしてその尖兵たる撤去人は日夜ハイエースを乗り回し人々の糧となるポストを破壊して回る! もちろんポストは破壊してもすぐに生えてくるので、奴らがやっていることはただの迷惑行為に過ぎない!
そしてポストの中身を生活の活計にしている配達員とは犬猿の仲なのは言うまでもないことだろう!
「色んな人がいるんだね、この世界は」
「酷い世界だろう?」
俺とナツキが苦笑いを交わしながら会話しているうちに、連続ドリフトを決めてハイエースがトライから50メートルほどの距離をおいて止まった。
「そこの男女と胡乱巨大建造物に告げる! 武器を捨てて投降せよ! 当地区はAPOLLONの重点浄化区画である!」
ハイエースのハッチが開き、中から拡声器を持ったモヒカンヘアーの撤去人が姿を現しがなり立てた。トゲ付きの鼻ピアス、トゲ付きの耳ピアス、トゲ付きの指輪、トゲ付きのボディーアーマーという標準的撤去人の出で立ちだ。
「トライ、胡乱建造物だって」
ナツキが何故かツボに入ってけらけらと笑った。
「お、女~ッ!! 乳がデカイからといって愚弄は許さんぞ~!!!」
こめかみに青筋を立てて撤去人が口角泡を飛ばす。極悪棘付き回転破砕機が威圧するかのように回転し、排気パイプが炎を吹き上げた。ついでに撤去人がスイッチを押し、拡声器からも火炎放射する。ゴウ! ゴゴウ!
「あいつらは撤去人〈ユウパッカー〉と言って、まあ見ての通りアホの集団だ」
俺はナツキに説明してやった。
「うーんまあ、おもしろそうだけど今はヤマトくんとお話してるし、おかえり願おうかな」
ナツキがそう言った、その瞬間のことだった。
――ZGOOOM!
ハイエースが。潰れていた。
戦車があそこまで平たくなれるものなのか。ほぼ二次元と言って差し支えない。そのくせ地面は1ミリも凹んでいない。ありえない。現実味がまるでない。赤い血飛沫と黒い燃料がこちらの足元にまで飛んできており、砂に吸われて丸い塊を作る。それだけは確かな現実感をもってぬらぬらと生々しく光っていた。
「――え」
その声を漏らしたのは、俺ではなくナツキだった。俺は声も上げられずただ畏怖していた。元ハイエースだったものの上空20メートルに突如現れたものを見て。
それは、
10メートルを超える、
超巨大スーパーカブ。
トライとは別の、もう一機の青いアルティメットカブが、音も無く空中に静止し、ただ緑色のエネルギーラインを静かに脈動明滅させていた……。
PS5積み立て資金になります