見出し画像

【Johns Hopkinsへ羽ばたく前に、新潟とBSNアイネットで得たもの】コユルト卒業生ありささんへのインタビュー!

2020年11月、コロナ禍による留学の一年延期の期間を使って、Public Healthの専門家である25歳の彼女は新潟にやってきた。
旧友である新潟県福祉保健部長松本先生の紹介を経て、彼女を迎え入れたのは、新潟のIT企業BSNアイネットである。
それから半年間、清元氏はBSNアイネットと共創し、新潟の医療のための事業を立ち上げてきた。それが、にいがたヘルスケアアカデミーの生みの親である「新潟ヘルスケアICT立県実現プロジェクト」だ。

清元氏は、2021年6月で本プロジェクトでの任期を終え、今夏よりJohns Hopkins Department of International Healthへ進学予定だ。本記事は、BSNアイネットに温かく迎え入れられ、多くのタネを新潟に残していった彼女の、志の始まり・活動の原動力・新潟にかける想いなどを取り上げたインタビュー記事である。

地球規模で考え、地域で行動を起こし続ける清元氏が、「新潟のヘルスケアに託したもの」とは。

■ 清元ありさ(きよもと・ありさ)氏 
BSNアイネット:へルスケアICT立県プロジェクトマネージャー 補佐(
2021年6月卒業) / WHO西太平洋事務局コンサルタント
京都大学法学部を卒業後、カナダ McGill大学への留学を経て、一橋大学公共経済修士を主席卒業。学生時代からPMACコミッションワークメンバーに選ばれ、英語で本を出版。また、IMFなど国際機関でのトレーニングや、ブータン・セネガル・インドをフィールドとした研究を経験。現在、孫正義育英財団 第二期 Research Fellowを拝命する。国際保健と地域医療を渡り歩いて、これからのヘルスケアを模索してきた彼女は、2021年夏よりJohns Hopkins Department of International Healthへ進学予定。(2021年6月現在の情報です)

画像1


■ 私が法学部を進んだ理由:ヘルスケアをやるのは医師だけじゃない

ーー現在、Public Health(公衆衛生学)をライフワークにしている清元氏。神戸女学院高校を卒業後は、京都大学の法学部へ進学した。一体、いつから公衆衛生や医療政策に興味を持ったのか、その原点について伺ってみた。

「医療政策に興味を持ったのは、高校生の時でした。中高一貫校で、周りには医学部を目指す人が多かったので、医療には漠然とした興味がありました。医学部を受験する友人たちは、青春の学校行事や部活の時間を削って、受験勉強に取り組んでいました。『何故そこまでして医者になりたいんだろうか?ヘルスケアってそんな魅力的なものなのか?』と、素朴な疑問を当時は感じていました。」

「そんなことを思っていたある日、高校の有志と先生と一緒に、岡山県にある長島愛生園にハンセン病の歴史学習に行きました。隔離と差別の歴史と元患者に残った心の傷について当事者からお聞きする中で、人の人生を左右している医療の存在を学び、”これがみんなが必死になって心惹かれている医療の難しさであり面白さなんだ” と初めて実感することができました。」

ーー強制隔離にあったハンセン病の元患者から直接話を聞いたことが、医療に対する興味の始まりだと話す一方で、なぜ、選んだのはみんなと同じ ”医学の道” ではなく、”政策の道” だったのか。そう問うと、清元氏は言葉を続けた。

「お話を聞いて、ハンセン病の隔離と差別の歴史を繰り返さないことは、政策マターだと感じました。必ずしも医師じゃなくていいかも、と思ったんです。周りの友人が心惹かれている医療に、違う分野から携わり、彼らと手を組むプレイヤーも必要ではないかと思いました。そこで、政策や法律から医療を学んでみたいと考えて、法学部に進むことを決意しました。」

「法学部には、『ヘルスケアをやりたい!!』と叫ぶ私のような人はほとんどいませんでしたが、"社会保障" という呼び名では、関心を持つ学友がたくさんいました。例えば、年金や医療保険制度などです。最初のゼミでは生活保護法に関する勉強をしましたが、制度を通して国民の医療へのアクセスや生活保障をすることは、広義のヘルスケアだよなって思いました。」


■ Public Health分野の研究での気づき:"What works"は現場でしか分からない

ーーカナダMcGill大学への留学を経て、京都大学法学部を卒業後、研究を続けるため、一橋大学公共経済修士プログラムに進んだ。多くの研究・プロジェクトが進む中で、発展途上国にフォーカスをあて活動することとなる。

「大学院の1年の時に、『発展途上国において、生活習慣病を予防するにはどうしたら良いか』という研究テーマに出会いました。研究室のフィールドは、ブータン、セネガル、インドなど世界中に広がっていました。
特に関心があったのは、『一つの国でやったことが他の国ではうまくいかないという事象の多さと、その背景にある構造』の探究です。」

「複雑なので、例を話しますね。例えば、数年前にインドでタバコ課税が始まりました。タバコに対する課税は、WHOなどの国際機関も推奨するグローバルスタンダードな医療政策です。しかし、インドでは想定通りには行きませんでした。インドの多くの地域では、露店で非公式な小売がたくさんあります。
課税によって、薬局で買うタバコの値段が上がってしまったので、多くの若者が課税のない露店でタバコを買うようになってしまいました。インドには、"ビディ"という手作りできる葉巻タバコがあり、露店で売られています。課税の結果、そのビディが多く売れるようになってしまう地域がありました。」

ーービディなどのフィルターのない葉巻タバコは、他の方法による喫煙よりも多くの健康リスクをもらたす可能性がある。課税を使って、タバコによる健康被害を抑制するつもりが、より身体に悪影響のある葉巻が流行することになったのだ。まさに、政策の難しさを感じる事例である。

「この話を政策担当者から聞き、”これは深刻かつ面白い...!” と思いました。そして、世界中の似たケースを分析し、本と論文を出版できました(本のリンクはこちら)。
この探究を通して、ICTも制作も「何がうまくいくか(What works)」は各現場をよく知らないと分からない、と強く感じました。現代は、生活習慣病の時代です。その予防や治療には個人の行動の変化が必要で、行動の変化には各フィールドの背景への理解が必須なのです。病院の中のキャリアを選ばなかった私が、「地域」という現場に向き合い、出せる価値があると、強く信じられるようになりました。」

ーー研究を通して、「地域密着」の意味を実感した清元氏。COVID-19の流行により留学が延期になったとき、「日本で現場を持ちたい!困っている現場で課題解決がしたい!」と強く思ったそうだ。そして、彼女は東京での就職を断り、2020年の冬、医師偏在指数全国最下位の新潟県にあるBSNアイネットにやってきた。


■ 新潟ならではの魅力:統一された課題感と多様性

ーー2020年の12月に新潟県へと拠点を移し、「新潟ヘルスケアICT立県実現プロジェクト」のプロジェクトマネージャー(PM)補佐としての仕事が始まった。新たな土地、新たな文化、地元の人々との交流。その多くの環境が、清元氏の好奇心を掻き立てた。

「新潟にきて感じたのは、課題が明確な場所でこそ生まれる、コラボレーションが面白いということです。このプロジェクトは、医療現場とIT会社BSNアイネット、そして行政(県や市町村)が三人三脚で進めていますが、それが上手く進んでいるのは共通の課題認識があるからだと思いました。例えば、医師不足、医療アクセスなど。大きなテーマに誰も違和感がないからこそ、前向きに一丸となって進んでいるのだと思います。」

画像4


ーー『新潟産 課題解決モデル』の出発点というキャッチコピーをヘルスケアアカデミーに名付けた清元氏。地域に根ざした人材を育成することを目的としているアカデミーでは、新潟ならではの特徴が、課題解決の際の強みとなるはずだ。

「新潟県は県土が広く、市町村ごとに違う文化圏に所属しているような感覚があります。例えば、南部は長野、西部は富山と近いため、連携している病院や土地の文化も、ばらつきが多いです。ヘルスケアICTプロダクトを作る際は、いろんな要因に晒して、細かくサイクルを回す必要があるかと思いますが、県内だけで試行錯誤できるのが新潟というフィールドの魅力だなと思いました。」


■ BSNアイネットで実践した心意気:自分を超えるチーム作り

画像5

ーーマネージャーとしてチームの指揮をとる彼女は、いつもパワフルで太陽のような存在だ。その原点は、一体どこにあるのか。時折、笑みをこぼしながら語った。

「私はPMとして、”チームがリーダーを超えないと面白くない” と、いつも思うようにしています。そのためには適材適所です。誰が、何を得意とするのかしっかりと観察するのはすごく好きですね。そして、各ミッションを得意であろう人にお願いしていくんです。今のメンバーにはシステムエンジニアや医学部のインターン生など、それぞれの強みがはっきりしているので、いつもありがたいなと思いながら、仕事をさせてもらっています。」

「私の原点は、シンプルに、”負けず嫌い” にあると思います。仕事の全ては自分の作品だと思っていて、魂の抜けた作品は並べたくありません。完璧主義ではないのですが、ここだけは!というこだわりの抜けた、魂のない作品は受け取り手にすぐバレると思っています。終わった後に、勝ち負けの分からない勝負の仕方はしないですし、譲れないポイントでの"負け"もとても嫌です。
負けず嫌いは昔からです。例えば、小学校の時のスポーツテストで、走り幅跳びの種目があったのですが、その飛び方が気に食わなくて、夜中まで父親を砂場に呼び出して特訓したのを覚えています(笑)。昔から負けず嫌いなので、同じように ”譲らないところを持っている人" と関わるのはとても好きですね。自分の信念を持った人は、面白いなと感じます。」


ーー自分に対しても仲間に対しても、熱意を持って関わっている姿が印象的だ。プロジェクトを進めていく際の "熱量"の保ち方 についても気になるところである。

「まず、自分の熱量に関してですが、社会のためにってあまり思わないようにしています。大事にするのは、自分の好奇心です。昔から、これをこうしたらどうなるんだろう、という探究心が強いタイプなので、そういったワクワク感をモチベーションにしています。今まで受けてきた教育から、自分は、世の中のためになることに関心を持つだろう、という自信があります。自分の興味は、放っておいても課題に向くだろうという信頼感があるからこそ、好奇心に身を委ねています。だから、私の原動力は、好奇心だと思います。好奇心って、モチベーションの中でも尽きないと思うんですよね。それが、私がガス欠しにくい秘訣かもしれません。」

「次に、チームの熱量ですが、アップダウンはあってもいいものだと思っています。リーダーシップって、増減するチームの熱量とのバランスが取れることをいうんだろうなと。チームの熱量を客観視しながら、下がっている時こそ自分の熱量をあげて行き、バランスをとっています。そうすれば、チームの熱は困難の中でも死にません。
また、チームの熱を上げるためには、何が起これば成功かという”成功の定義” を共有することも大切だと思っています。”失敗の定義” を持って仕事をする人は多いんですが、成功のイメージに関しては個人でバラバラなことが意外と多いんですよね。特に、妄想に近いような大成功の定義が大事だと思っています。例えば、『この打ち合わせ後に、万が一、◯◯先生から◯という連絡が来れば、万々歳だ!』と大志を持って一つずつ出向いています。そうすると、小さな打ち合わせ中でもメンバーの声や目が輝くんですよね。その方が楽しい。」

画像2


ーーさらに気になるポイントとしてあげられるのが、清元氏の「時間術」。一緒に仕事をすると、一体何人いるのだろうか、1日30時間くらいあるのではなかろうかと疑問が生まれるほどだ。独自の時間術について伺うと、即座に、思いがけない答えが返ってきた。

「 私は、作業時間考える時間を別に確保するようにしています。1日のスケジュールに考える時間を必ずとるようにしていて、割合でいうと、1日の半分以上はその時間です。考える際は、スマホもパソコンも閉じて、紙とペンを用意します。オフィスにいると、話しかけられることが多いので中々難しいのですが、チームメンバーには意地でも「考える時間」の確保をお願いしています。」

「また、優先順位も大切ですね。作業工程において、最終地点までボールを渡す相手が多い順に仕事を意識的に優先するようにしています。」

ーーこだわりを捨てずに、量もキープする清元氏の仕事の裏には、闇雲には作業をしない、考え抜く姿勢があった。

■ 世界へ羽ばたく前に新潟で得た新たな関心

ーーたくさんの苦悩はあったものの、プロジェクトの仲間の熱量がやりがいになり、また、BSNアイネットの仲間と共に現場へ足を運び開発の過程を経験できたことに喜びを感じたと話す清元氏。今後は、新潟での経験を生かしアメリカへ旅立つ。

「私はこの夏よりJohns Hopkinsへ進学します。アメリカの東海岸にあるボルチモアという場所で、ニューヨークからは電車で2時間ほど離れています。もともとは、保健政策と公平性を大テーマにするつもりでした。
加えて、新潟での半年間を経て、ICTプロダクト開発過程に役立てるフィールド実証分野にも興味を持つようになりました。例えば、あるものの効果を確かめる際に、予算・期間を踏まえてどんな手法を選択するのがベストなのか。さらに、現場のスピード感についていけるような検証を提案できるか、といった力をつけていきたいなと思うようになりました。二つとも両立させてやり切ってこようと思います。」

ーー新潟での経験が、パワフルな彼女の好奇心をさらに駆り立てたようだ。目をキラキラさせながら未来を語る姿に、とても大きな希望と可能性が感じられた。新潟から世界へ羽ばたく彼女に、温かいエールを送りたい。

画像3


■ BSNアイネットとにいがたヘルスケアアカデミー生へのメッセージ

ーー最後に、半年間ともに歩んできたBSNアイネットと、アカデミー生に向けてメッセージが残された。

「新潟の皆さま、半年間本当にありがとうございました。昨年末、ふらっと新潟に現れた私を温かく迎え入れてくれて、可能性を信じていろんな後押しをしてくださって、本当にありがたい環境だったなと思っています。心から感謝しています。ありがとうございました。」

ーー続けて「新潟ヘルスケアICT立県実現プロジェクト」の今後についてもコメントを求めると、目の輝きが増した。

「 今後も 、”結果を出す” ことと ”夢見る” プロジェクトであることが両立し続けるような事業であってくれたら嬉しいなと思います。実績を出すことに関しては、多く議論したので語りませんが、それと同時に、このプロジェクトならではの大きなビジョンといったところで「夢見ることを両立しているプロジェクト」というポジションを、県内でも社内でも譲らないでくれたら嬉しいなと思っています。」

「今後の困難も多いかと思いますが、『立県プロジェクト、新潟の医療を背負うだなんて、なんかまた大きなこと言ってるな〜』というブランドを、確立させて欲しいです。きっと皆さんなら、そのブランドを、今後も広げ、仲間を増やし続けていけると信じています。地域の意識や文化は、そんなところから変わっていくのだと思います。ぜひ、多くのチャンスを新潟に呼び込み、後世に残る事業にしてください。」


ーー清元氏の情熱と新潟に対する愛が感じられたインタビューだった。この胸の高鳴りが、一人でも多くの方に届くことを祈って。

===

清元氏が新潟に撒いたタネの一つ、にいがたヘルスケアアカデミーにご関心を持ってくださった方は、下記をご参照ください。

にいがたヘルスケアアカデミーとは
受講生:新潟のヘルスケアをより良くしたい!と考えている県内外の方々
主催:ヘルスケアICT立県実現プロジェクト
運営:株式会社BSNアイネット・ハイズ株式会社
後援:新潟県

現在、受講生を募集中!清元氏のようなアクティブなスタッフのサポートを受けながら、ヘルスケアの事業作りに挑戦してみたい方はぜひ下記の記事をご参照のうえ、お申し込みください!
ご紹介記事
https://note.com/ictniigata/n/n398323a08c51


■ 清元ありさ(きよもと・ありさ)氏 
BSNアイネット:へルスケアICT立県プロジェクトマネージャー 補佐(
2021年6月卒業) / WHO西太平洋事務局コンサルタント
京都大学法学部を卒業後、カナダ McGill大学への留学を経て、一橋大学公共経済修士を主席卒業。学生時代からPMACコミッションワークメンバーに選ばれ、英語で本を出版。また、IMFなど国際機関でのトレーニングや、ブータン・セネガル・インドをフィールドとした研究を経験。現在、孫正義育英財団 第二期 Research Fellowを拝命する。国際保健と地域医療を渡り歩いて、これからのヘルスケアを模索してきた彼女は、2021年夏よりJohns Hopkins Department of International Healthへ進学予定。(2021年6月現在の情報です)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?