生成AI任せに終わらない子を育てる授業
国語5年の「文章に説得力をもたせるには」という単元で生成AIを使いました。今回は児童が直接生成AIを操作するスタイルです。
授業の実際
まずは教科書に載っている例文を参考に、意見文の構成を学びます。
・主張
・根拠
・予想される反論
・反論に対する考え
・まとめ
その上で「まとめのところで主張をくり返すことはどのような効果をもたらすか?」「予想される反論と反論に対する考えがあるのとないのとでは、主張の伝わり方は変わるか?」といったことを考えていきます。
「じゃあ、今度は意見文を書いていきたいと思うけれど、それにAIを使ってみよう。最初は僕がやってみるね。」
打ち込んだプロンプトは以下のようなものです。
出てきた文章を子どもたちに共有して読ませます。構成はどうやら指示通りにできているのですが、それ以外の部分で色々とダメ出しが出てきます。一部分だけ紹介すると、AIが出してきたのはこの文章だったのですが…。
「『聞くことが多いです』じゃなくて、いつもそうだから」
「『リフレッシュのための活動』なんて言わない」
「『有益です』じゃなくて『いいです』でいいよ」
「『情報の伝達』って『お知らせ』とか『連絡』でいいよね」
等々。そこで子どもたちと確認します。
「というようにAIが出してきたものそのままというわけにはいかないだろうから、出てきたものを直してね」
「直すだけじゃなくて書き足してもいいですか?」
「もちろん」
「Wordにもってくる前にAIに書き直させてもいいですか?」
「もちろん」
ここからいよいよ子どもたち自身でAI(tomoLinks)を操作します。学習の進め方は以下の通り。
さっきのプロンプトでAIに意見文を作らせる
生成された意見文を読む
生成された意見文をWordに貼り、[校閲]-[変更履歴の記録]をOn
「ここは違うよな」というところを直したり、「これが入っていない」というところを書き足す。
修正が終わったものをTeamsの課題機能で提出
子どもたちが提出したものはどうなったかというと…
ボカシを入れましたが真っ赤っ赤になったのはおわかりかと思います。
「意見文を書く」がこれでいいのか
この実践、まず真っ先に飛んできそうな批判は「意見文を書くという学習がこれでいいのか」というものでしょう。「AIに書かせたものを修正しただけではないか。これで書いたと言えるのか。」
まず一つ書いておくと、この単元は「意見文を書くとき、説得力をもたせるにはどうしたらいいか」を学ぶもので、書かせることが直接の目標ではありません。単元の目標は以下のようなものです。
◎筋道の通った文章となるように、文章全体の構成や展開を考えることが
できる。(思・判・表 B(1)イ)
○文の中での語句の係り方や語順、文と文との接続の関係、話や文章の構
成や展開、話や文章の種類とその特徴について理解することができる。
(知・技(1)カ)
ということですから、AIに文章を書かせ、それを分析することで上のような事項を学んでいくのは全く問題ないと思っていますが、それはそれとして、もうちょっと突っ込んだことを考えてみましょう。子どもが意見文を書くときにAIを使うことはいけないことなのでしょうか?
確かにガイドラインにも「適切でないと考えられる例」として「各種コンクールの作品やレポート・⼩論⽂などについて、⽣成AIによる⽣成物をそのまま⾃⼰の成果物として応募・提出すること」というのが書かれていましたね。
私の実践はここまで単純ではなくて、かなり児童が手を入れています。図にすればこのようなことになるでしょうか。
「いや、それでもダメだ。ゼロから自分で書いてこその意見文だ。」
という批判もあるかもしれません。あるかもしれませんが、ちょっと考えてみてください。大人だとこうなりませんか?
面倒な仕事があったとします。それに生成AIを使ったら猛烈な時間短縮になりました。何ならAIだけで完了までもっていくことができました。それって「業務の効率化」とか「働き方改革の実現」などと言って称賛されますよね? 大人だと称賛されるのに、なぜ子どもだとダメなのでしょうか?
ちょっと意地悪な書き方をしたかもしれませんが、我々はこれから子どもたちに山程、同じようなことを聞かれます。
「生成AIが全部、翻訳してくれるのに、どうして英語を学ばなければならないのですか?」
「生成AIがどんな長い文章もパッと要約してくれるのに、どうして要約の方法を学ばなければならないのですか?」
「読書感想文なんて生成AIがパッと書いてくれるのに、どうして自分で書かなければならないのですか?」
そうした質問にどう答ますか? どう授業を展開しますか? 私の授業はその問いへの一つの回答でもあるのです。
なぜ真っ赤になるのか
見ていただいたように子どもたちの提出したWordファイルはどれもこれも真っ赤っ赤です。猛烈に手を入れています。AIが出力したものをそのまま提出した子はいません。プロンプトを修正して、AIに何度も出力させた子もそうです。なぜ、そうなるのでしょうか。
理由はいくつかあると思いますが、まず大きいのは子どもたちに「これは自分の意見文なのだ」「これを自分の意見文にするのだ」という意思があったからでしょう。
最初に私が「小学校に朝礼は必要ない」という例を出してAIに意見文を生成させた部分、すごく盛り上がりました。多くの児童が「朝礼、面倒くさい」「朝礼、なんでやるの?」と思っていたところに持ち込まれた主張だったので「そうか、自分の意見を文章にするとはこういうことか」と体感できたのでしょう。だからこそAIが出してきたものに満足できず、様々な修正意見を出したのだろうと思います。
つまり、子どもたちはこの授業の課題に納得していたのです。「意見文なんて生成AIがパッと書いてくれるのに、どうして生成されたものを修正しなければならないのですか?」とは誰も言いません。
次に、「国語の見方・考え方をはたらかせる」ということが根付いていたのも大きいでしょう。4月からずっとAIを使ってきて、その度にAIが生成したものにダメ出しをしてきた学級ですから、言葉や文章にはうるさいようです。
しかし、それより何より「国語の見方・考え方をはたらかせる」ということが根付いている最大の要因は(自分で書くのも何ですが)普段からちゃんと授業をしてきているからです。こういうポジションなので、どうしても実験的な試みが多くなります。そうであれば尚更、きちんと授業を行わなかったら学級は大変なことになりますからね。
まとめ
「初等中等教育段階における生成AIの利活用に関する検討会議」の議論がどうなるかはわかりません。色々な立場から多様な意見が出されていますから、取りまとめは困難を極めるでしょうし、出来上がったものを私の立場から見れば「ここは納得がいっていない」という箇所が残るのも間違いないでしょう。
しかし、それはどの委員も同じこと。大切なのは自分の考えをきちんと述べていくことだろうと思います。また、私の場合は唯一の現場の教諭なので、現在進行系で「どのような生成AI活用実践を行っているか」を発信していくことが責務と考えています。
というわけでこういうnoteを書いているわけですが、正直、こういうのだけじゃよくわからないですよね。研究者だったらこれを論文にまとめて、となるわけですが、私のばあいはとにかく実際の授業を見ていただきたいと考えています。平日の授業は、学校行事等と被っていなければ基本的にいつでも参観OKですので、お気軽にご連絡ください。
「いや、平日はさすがに…」という方は、こちらのセミナーへぜひ!