初等中等教育段階における生成AIの利活用に関する検討会議④
今更ですが、「初等中等教育段階における生成AIの利活用に関する検討会議」が開催されている度に色々と書いていますが、これは会議を代表したものではなく、私が個人的に感じたこと、考えたことです。
今回はゲストの新井紀子氏、委員の森田先生(つくば市教育長)の発表と事務局によるこれまでの議論まとめを元にしたディスカッションでした。
新井氏の主張は概ねこういうものだったと理解しています。
・生成AIがハルシネーションを起こすのは避けられない
・生成AIの回答がハルシネーションであるかどうかを見極めるファクトチェックは児童生徒にとっても教員にとっても非常に困難。
・生成AIの活用よりシン読解力が必要だ。
もちろん、生成AIがハルシネーションを起こすのは避けられないし,そのファクトチェックをしようと思ったらかなりの手間がかかります。でも、それは生成AIを検索エンジン的に使おうとした場合でしょう。
生成AIを「正解を与えてくれるもの」として捉えたら、それは色々と難しい問題がもたらされるでしょう。でも、今、私や私の周囲で生成AIの活用実践を進めている方々が考えているのは「正しいかどうかはともかく自分が打ち込んだプロンプトを元に何かを生成してくれるもの」としての生成AIの活用です。
だから、私がこれまでに書いてきたようないくつかの実践においては、生成AIが返してきた答が正しいかどうかは関係ありません。と言うか、間違った答えを返してくれればそれはそれで好都合でした。
なぜ、そんな実践が可能なのか。それは、目指しているところが主体的・対話的で深い学びだからです。子どもが自らの問題意識に従って、ある時は自分に適した学びを模索しながら,ある時は協働的に考えながら、答えを出して終わりではなく掘り下げて考えていこうとする。そういう学びを実現しようとすると、どうしたって生成AIの活用も検索エンジン的なものではなく、クリエイティブなものであったりクリティカルなものになっていきます。
森田先生が発表されていたつくば市の実践も基本的には同じコンセプトの上に成り立っている実践であると私は捉えました。まあ、それはそうですよね。現行学習指導要領の理念を実現しようとやっていることに違いはないのですから。
しかし、一斉画一オンリーとか知識注入偏重といった、言わば古い教育観・学習観を持っていると、その辺りは理解されないのでしょう。そこは、もっともっと我々が現在の教育がどんな未来を思い描いて設計されているのか、それに則って生成AIをどう活用した授業を実践していくかを発信していかねばならない部分かもしれません。
昨日の会議では,その後に委員だけで、これまでの議論を振り返り、ガイドラインを作成していくにあたって抜け落ちている観点はないか等の議論をする場面もありました。
そこでも「現行学習指導要領の目指す主体的・対話的で深い学びと生成AI活用は齟齬をきたすものではない、ということは入れたい」と発言しました。言っていることは当たり前ですが、昨日のそこまでの議論を踏まえると念を押しておいた方がいいかな,と思ったのです。
さて、この会議、今後はどうなっていくのでしょうか? 事務局の方で色々と考えていると思いますが、いよいよ委員同士での議論を充実させていかないとでしょうね。まだお話を伺っていない委員のお話もきちんと聞きたいですし。例えば、江間先生の発言はいつも大局に立った大切な視点を与えてくれるものなので、まとまったお話を伺えればと思いますが、時間的にどうなんでしょうか。
この会議の話をいただいたときから「納得のいかないことや不愉快なこともあるのだろうな」とは思っていましたが、概ね予想通りです。それでも「この国にインストール不可能な夢を語るよりは、不十分であっても具体的な施策に踏み込めるチャンスがあるならやるしかないだろう」と思ってやってきました。回を追う毎にそれを実感していますが、やると決めたからにはやらないと、ですね。
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