悪運

 ああ、何も上手くいかない。家を出た後に今日のプレゼンの資料を持ってないことに気づいたり、ガソリンを前日に入れ忘れていたり、楽しみにしていた合コンが不開催になったり……。


 「厄年どころじゃないぞこれ」


 二度あることは三度あるとは言うが酷すぎやしないか。何かこうきっかけがあれば、この悪運も去っていくのではないかと思いたい。しかし、それが比にならないほどに現在、頭のアラームが鳴り響いている__緊急事態だ。


 「頼む。これだけは……防ぎようが」


 不幸の積み重ねとはこのことだ。ガソリンがなく、電車で通勤しなければならなくなったことにより、身動きが出来ないのだ。さらに、問題は満員電車であるということ。これでは、触れたくなくとも触れてしまうという現象が生じるのだ。女性用車両が出来ているように、痴漢犯罪が厳しくなっている。ネットの情報では、一度疑われ連れていかれてしまっては冤罪の証明が難しく、気を付けるしかないと言っていた。何と恐ろしい。


 「ぐっ……ちょ、近い……」


 駅に止まる度に人が増えていき、そろそろ危うくなってきた。即座に左手でつり革を持ち、反対の手で家の鍵を取り出しぎゅっと握りしめる。ここで携帯を持ってしまっては、盗撮を疑われてしまうため鍵にした。いつもなら考えすぎだと思うだろうが、今は違う。悪運が俺に集まってきているかのような状況だ。油断できない。


 「あと……一駅」


 あと少しで、この状況を打破できる。だが、それでは間に合いそうもない。このままでは、ある意味俺の人生が終わってしまう。今日出来なかった合コンは二度と呼ばれなくなるだろう。それ処か、結婚の機会すら無くなりそうだ。唯一顔の広い友人でも、難しそうだ。時刻は……ああ、やばい。


 「まもなく○○駅に到着します。車内にお忘れ物のないようお気を付けください。お出口は左側です。扉にご注意ください」


 おお、神よ。俺を見捨ててなかったのか……! ありがてえ。扉側に移動して、すぐに降りられるようにしないと。


 「すみません。通りますよっと……」


 人混みで動きずらいが、何とか行けそうだ。ふう、これで間に合いそう……


 __チャリン。


 チャリン? 何の音だ? 


 おいおいおい。嘘だろ……? 無い、無いぞ。俺の愛用キーホルダー付きの家鍵が! もう大丈夫だろうと安心して鍵をポケットに……ああ、クソっ! 何、気を抜いているんだ俺は!


 「すみません、すみません」


 鍵を拾おうとかがむが、見当たらない。確かここら辺で、音がしたはずだが。どこだ。俺のアイザイダー2の限定キーホルダー。早くしないと、もう着いてしまうぞ。ここで見つけなくては、次の駅まで乗らなくてはいけなくなる。


 「あの、これ……」


 ああ、それだ! アイザイダー! まったくお前ってやつは……!


 「それ、俺のです! ありがとうございま……」


 ああああ! なんてついてないんだ? こいつは、萩尾……! 二度と関わらないために連絡を無視してたってのに。こんな所で出くわすとは。俺の唯一顔が広い友人……新田の居場所を突き止めようと何百件も連絡してくる、所謂ストーカー女だ。


 「あの……覚えてますよね?」

 「え? 何がですか? これありがとうございます。それじゃ」


 急いで扉側に移動する。

 今、それどころじゃないってのに。何でこんなに追われなくちゃいけないんだよ。萩尾の家って確かかなり先の駅だったよな……


 「ひっ」


 扉の窓を見ると、反射してこちらを覗き込んでじっと見ている萩尾と目が合った。咄嗟に目をそらしたが。偶々こっちを見ていただけだと思いたい。まあこれ終電だし、追っては来ないよな。何だかお腹が痛くなってきた、冷や汗で手が濡れている。


 電車が止まり始め、ようやく駅に着いた。走るのは危ないが、今は背に腹は代えられない。


 「はあ、はあ、ふうーー」


 ぎりぎり、間に合い無事にこの緊急事態を防ぐことが出来た。流石に電車で小便を漏らすなんて失態は出来ない。いやー-危なかった。ちょっとした振動でも、ちびりそうになるからな。こうなるなら、会社出る前にしとけばよかった。


 「それにしても、今日はついてないなあ」


 手を洗いながら、息をつく。運がない日も後数時間で終わる。明日は今日の分良いこと起こると良いなあなんて、思いながらトイレを出る。


 「やっぱり……江崎さんですよね。安心しました。アイザイダー2の鍵、変わってないですね。ふふ」

 「ひぃ……!」


 思わず情けない声が出たが、俺が乗った電車は終電のはずだ。しかもこの女はまだ先のはず。ここから歩いて帰れる距離じゃない。何より、こいつ、俺がアイザイダー好きなこと何で知って……


 「さあ、行きましょう? 私、引っ越ししたんです。あのマンションに」


 女はにこりと笑って俺の住んでいるマンションを指さした……


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