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そして葛藤は続く
今回は星野源さんのエッセイ「そして生活は続く」を勝手にもじって、記事を書いていこうと思う。
私は「自分のペース」というものを大切にしている。
いわゆるマイペースな性格で、HSP気質も持っているため、「1人の時間」は生活の中でなくてはならないものだ。
さらに、ひとりっ子で自由に育てられたからか、ややわがままで、自分独自のこだわりみたいなものも強い方だと思う。
そんな自分を発達障害かと疑ったことも多々あるのだが、今生きていて特に不便を感じていないので、病院に行って診断を受けに行くには至っていない。
ADHDやASD、その他精神疾患やHSPなどなど、どんな病や特性を持った人でも、等しく生きる権利があると私は考える。
葛藤。
年末年始に向けて仕事は忙しくなる一方だけれど、心の余裕は確保したい。
もちろん、体調管理もしっかりとしたい。
ある程度自分のペースで働きたいし、休息もきちんととりたい。
休息があってこそ、元気に働けるというものだ。
しかしながら、本格的な繁忙期に入るにあたり、休憩時間の短縮に同意を求められた。
仕方ない。
けれど私にとって休憩は、束の間の幸せなひと時なので、それが削られるのは悲しいし、辛いものがある。
年末年始と夏のほんの数日間を除いて、私の仕事は基本的に穏やかである。
土日祝日にある程度の忙しさはあるにせよ、残業は発生しないし、休暇も問題なくとれる。
もっと言えば、暇な時間に本が読めるし、日記だって書けてしまう。
基本的に1人で部屋に篭りきりな仕事になるので、常識の範囲内で自由なことができる。
来客や電話の対応をし、それ以外は軽作業や職務に関する自主勉強、もしくはぼーっとする時間である。
あとは気分転換にストレッチしたり、勝手に読書したり、YouTubeを見たりする時もある。(おい)
来客対応は楽しい。
人とコミュニケーションをとることが好きな私にはピッタリである。
今まで勤務したことのあるケーキ屋やカフェと違って、通常期は混雑することが無いので、ゆとりを持って1人1人に対応できる。
そんな緩やかで穏やかな仕事が、年末年始は一変する。
広間に職員全員が集合し、ベルトコンベアのように次から次へと流れてくる仕事に、ひたすら追われる日々に変わる。
このあまりのギャップに、クラクラしそうになる。
なんとかなんとか、私は私を保ちながら、働く。
深呼吸して、心の余裕を取り戻す。
今日ふと、2年ほど前に臨床心理士の女性に言われたことを思い出した。
周りに気を配りすぎたら、自分に戻す必要がある、と。
配れる「気」にも限界がある。
アンパンマンみたいに配り切ったら、自分の分が無くなってしまう。
だから、頭の中でいいから、配りすぎた気を自分に戻してあげるイメージをするといい。
身体の感覚に気を配り、寒くないか?呼吸は浅くないか?イライラしているか?お腹が空いているか?などと自分に問うてみる。
そうすると、我に帰ったように「自分」が戻ってくる。
心と身体が一致し、また動けるようになる。
束の間の休憩時間、美味しいお弁当と持参したオヤツを食べて、自分を充電しながら頑張ろうと思う。
私は私を労わりながら、働くのだ。
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葛藤、その2。
先日アプリを通して知り合った男性と、再び会ってきた。
初対面の時はとても楽しく、有意義な時間を過ごせたと思った。
しかし2回目、向こうに誘われて地元のクリスマスマーケットへ出向いたのであるが、思うように楽しめなかったのである。
悪天候、人混み、飲食スペースでのあまりに音量の大きな楽器の演奏…これらが重なって、なんとも言えない雰囲気になってしまったのだ。
屋外にいくつもの屋台が立ち並び、クリスマスらしい装飾が施されていた。
建てるのが大変だったのが伺えるくらいの、大きなツリーもある。
とても綺麗だったしワクワクしたけれど、雪が降っていてとても寒かった。
私たちはまず、屋台をひと通り見て歩いた。
その際に私はある程度目星をつけていたので、早めに買うものを買い込んで屋内の飲食スペースに移動したかった。
しかし、お相手の彼はなかなか決めきれない様子だった。
そのうち、彼はピザが食べたいと言った。
申し訳ないが、私は最近ピザを食べたばかりでその時食べる気にはなれなかったので、「シェアは出来ない」と謝った。
それでも食べたかったようで、屋台に1,800円も払って彼はピザを買っていた。
食べ切れるのだろうか?屋台は色々なものをちまちまと買って楽しむものなのでは?とも思ったが、本人が良いなら良いのだと思った。
私が謎だと思ったのは、彼が袋を貰わなかったことだ。
値段的にも食べ切れるか怪しい量の大きさのピザが来ることは察せられただろうに、なぜ「持ち帰りです」と言わなかったのだろう。
案の定彼は苦しそうな顔で食べていたし、他にも買ったスペアリブやチュロスを残してしまっていた。勿体無い。
挙げ句の果てに喉が渇いたからと自動販売機でいろはすを買っていた。
ホットチョコレートやりんご紅茶、ホットワインなど、クリスマスらしい飲み物が山ほど手に入る環境なのに。
この人は何がしたいのだろう…と不思議な気持ちにならずにはいられなかった。
私はというと、自分が食べたいものを食べたいだけ、選んだ。
1人分サイズのローストチキンに、きなこがかかった米粉のチュロス、ほたてのクラムチャウダー。
ホットワインも飲みたかったけれど、彼が飲まない人なのと、翌日も仕事だったのでやめた。
チキンが非常に美味しかったので、それを屋台のお兄さんに伝えたら、強面が人の良い笑顔に変わり、「ありがとうございます!またお願いします!」と言われ、大変気持ちが良かった。
そして私はもちろん袋を貰い、スープが冷めないうちにと2人分の座席の確保までしていた。
会話もできないくらいうるさい楽器の演奏に、無理やり会場を盛り上げようとしてかえってしらけさせている司会進行、そして目の前にはピザを苦しそうに食べる彼の姿があった。
私はなんとか楽しもうと話を振ったり、屋台で手間取っている彼に傘を刺してあげたり、荷物を持ってあげたり、寒さに耐えながらも常に笑顔でいるように心がけた。
それなのに、なんなのだろう、この時間は。
なんなのだろう、この楽しくなさは。
私は耐えられなくなって、早い時間のバスで帰ることを申し出た。
別れ際、彼は「じゃあ、また!」と言った。
また、はあるのだろうか。
1つ歳上の彼が、ひどく幼い子どもに見えてしまった私なのであった。
そんなこんなできっと、葛藤は続くのだ。