見出し画像

家族ってなんだ

家族ってなんなんだろう。
世の中には心から信頼し合い、愛情に満ち溢れた家族もいれば、信じられないくらい壮絶で、むしろ離れた方が双方のためなのではないかというくらい悲惨な状態の家族もいる。
ただ血が繋がっていれば家族なのか、心が繋がっていてこその家族なのか。
もうすぐ24歳の誕生日を迎えようとしている今、家族について考えてみることにした。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

母のこと

私は、母がとても好きだ。
母は元看護師で、結婚と同時に仕事を辞めて家庭に入り、専業主婦となった。
そして、結婚してすぐに私が生まれた。
母は30代後半だったこともあり、私に兄弟はいない。
ひとりっ子として、母の愛情をたっぷりと独り占めして育った。
母はいつも、私を1番に考えてくれた。
これは今でもそうだと実感する。
昔からずっと、ご飯は私に1番美味しいところを、それも多めにくれる。
私が興味を持ったものには、いいんじゃない、となんでも挑戦させてくれる。
辛い時に電話をすれば、いつも変わらぬあたたかさで、私に圧倒的な安心感をもたらしてくれる。
そんな母に、聞いたことがある。
高校卒業後に青森を離れてを仙台で1人暮らしを始めると決めた時や、専門学校卒業後、その時付き合っていた人の配属先である盛岡に着いていくと言った時、正直心配だった?と。
他にも突拍子もないことをいくつもしてきたと思うけど、どうして否定せず、いつも応援してくれるのか。
「そりゃあもちろん心配だったし、本音を言うと側にいてほしいと思ったよ。1人娘だもん。でもさ、娘は娘でも、親の所有物じゃないんだよ。娘のやりたいことは、なんでも応援するよ。娘の幸せが私の幸せなんだよ。」
母は穏やかな表情で、そう言ってくれた。
私はあまりにも嬉しくて泣いた。
この人の元に生まれて来れてよかったと、心から思った。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

父のこと

私は、父のことを考えるたび、いい思い出とそうじゃない思い出が入り混じって、スカッとしない曇り空みたいな気持ちになる。
父とは一緒に住んでいない。
仲が悪いわけではなく、元々転勤が多かったために単身赴任していて、定年退職して自営業に切り替わった今も、その名残りで隣の市にある父の実家に1人で住んでいる。
父は無口で、人の気持ちを察することが苦手で、とても不器用な人だ。
あまりに言葉足らずで、私は父に大切に思われていないのだと思い、何度も辛い気持ちになった。

家庭的な父親を持つ人たちが、羨ましかった。
小学生の頃、友達の家に遊びに行ったら、その子のお父さんがケーキを買ってきてくれた。
若くてとても優しくて、気さくなお父さんだった。
当たり前に誕生日を覚えていてくれて、プレゼントをくれて、いつも何かと気にかけてくれて、相談に乗ってくれる。そんな父だったらよかった。
高望みかもしれないが、実際に何度もそんな気持ちになった。
それでも、私はどうしても父を嫌いになりきれない。

高校を卒業してから定年退職するまで、ずっと同じ会社で働き続けた父。
たまたま父の後輩だという人と話したとき、あの方はすごい方ですよ、と部下から太鼓判を押されていた。
娘の私に気を遣っただけなのかもしれないが、それでも父はすごい人なのだと思う。
今は、元いた会社の知識を若手に教える仕事をしている。
今思えば、旅行先でもタブレットを携帯し、仕事をしていた父。
私と母はうんざりしていたが、父は仕事が心から好きだったのだと思う。

去年の夏、父の住む隣の市へ遊びに行ったことがあった。
その時、父は私の誕生日を覚えていなかった。
多分、夏生まれということはぼんやり覚えていて、でも正確な日にちは答えられない、といったところだろう。
その時は、「娘の誕生日を忘れるなんてひど〜い!」そう言って茶化した。
けれど家に帰ってから、悲しくて泣いた。
「あれ…いつだっけ。」と苦笑いする父を、とても寂しく思った。
たかが誕生日くらいでとか、もう大人なんだからとか、そういうことも思った。けれど泣いた。
私は父の誕生日を忘れることなんてなくて、欲しいものは何か、手料理を作ろうかとか、頻繁に連絡をした。
別に自分がしてあげた分を返せとか、ブランド物をプレゼントしろとか、そういうことではない。
ただ一言、「おめでとう」の言葉が欲しかった。

「お父さん帰ってくるの?」
私が今月誕生日だという話を友人にしたら、そう聞かれた。
「ん〜、忙しい人だからなあ。今年はさすがに忘れてはいないと思うけど…」そう私が濁すと、「当たり前じゃん!!」と友人は言った。
「当たり前じゃないんだよ、当たり前に誕生日を祝ってくれる父親がいるなら、それは恵まれてるってことだよ。」とは言わなかった。
だって私が切ない気持ちになるだけだ。

父は、私が幼い頃、転校しなくていいように自分だけ単身赴任することを選んだ。
同じ家に住んでいない分、休みが取れると様々な場所に連れて行ってくれた。
博物館、美術館、図書館、植物園。
家族で楽しめるイベントやお祭りがあれば、多少遠くても車で連れて行ってくれた。
夏休みには家族3人でディズニーランドに行って、ミラコスタに泊まった。
その頃は私は幼く、ミラコスタがどれだけいいホテルなのかわからなかったけれど、今となっては相当奮発してくれたのだなと思う。
やっぱり、父はただ不器用なだけで、私のことがどうしようもなく大切なのかもしれない。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

家族ってなんだ

会社から帰宅途中、救急車のサイレンが聞こえる。
まさかうちじゃないよな、と心臓が少しきゅっとなる。
嬉しいことがあったとき、聞いてほしいと思う。
家族のライングループを開いて、写真付きで今日あった出来事を送る。
そばにいること、当たり前だと思わない。
毎日美味しいお味噌汁を作ってくれることを、毎日続くものだと思わない。
離れて暮らしていても、美味しいカレーが出来たら食べてほしくなって、次の休みこっちに来れませんかと連絡する。
私にとっての家族は、きっとそんな感じだ。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

最後に、大好きな星野源さんの曲を貼り付けて、締めくくろうと思う。
やっぱり、どんな形であっても、家族は家族なのだ。

いいなと思ったら応援しよう!