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すべては距離感である 11〜15までのまとめ

写真撮影における距離感と人生の距離感について考えてきた note連載「すべては距離感である」。
沢山の方々に読んで頂き、心より御礼申し上げます。

①〜⑩までを、下記にまとめています。

連載開始当初、物理的な距離感、0.7m〜無限遠までを考えた⑤迄でネタが尽きてしまうのではないか……とご心配して下さっていた方が多数いらっしゃったそうです。
実は、⑥以降──そして、今回まとめさせて頂く⑪以降が、書きたいと思っていたことでした。

「他人との距離感がつかめない」

という、20代の若者の一言をきっかけに考え始めた本連載。
なぜ写真撮影と人生には、距離感が大切なのでしょうか。

第11回は、人生においてもっともやっかい(だと私は思う)な「承認欲求」といかに向き合うか。
自分を捨て、他者と比較せずに、「撮影者・被写体・鑑賞者」との間の距離感をいかに考えて撮り、生きるかについて考えています。

第12回は、M型ライカの機構と魅力を「M型教習所」という実践の場をを通して伝え続けている、写真家・萩庭桂太さんから頂いた宿題、

「日本語では距離だけど、実はその距離にはディスタンスとレングスとレンジの3つがあって、それぞれでニュアンスが異なります。
それらの考察も面白いと思いますよ」

について、考えています。この回を書いたことで、自らの立ち位置を決め、撮るべき範囲を見据えるという意味合いが強い「レンジ」という言葉をより意識的に使うようになりました。

第13回は、連続した写真でない限り、前後に何が起きているか、鑑賞者の想像に委ねられる写真の魅力について考えています。
氾濫する情報の渦の中で、写真という時間と空間を静止した表現が、観る者の想像力をいかにかきたてるか。言葉と写真の関係性とは?
映画や小説、漫画やゲームにないものが、写真にはあります。

第14回は、尊敬する作家・写真家、藤原新也さんからうかがった「老いない秘訣」について書きました。藤原さんは現在80歳。何物にもとらわれない藤原さんの自由な生き方は、本当にかっこいい。
藤原さんのように「自分で自分を傷つけない」という生き方を、追い求めてゆきたいと心から思います。

最新回では、同じ位置に立ち、同じ単焦点レンズを使っていても変えられる距離感=フォーカスについて考えています。
背景をぼかすか、絞るかと言った技術論が先行しがちですが、フォーカスや絞りをコントロールすることは、撮影者が何を見て、何を伝えたいかに等しい。最新のカメラで、あらゆる環境下でフォーカスを合わせることの出来る昨今、私たちにはフォーカスを外す自由もあるのだということを書いています。

距離感を考えることは、他者とどう向き合い、自分をどう理解し、世界をどう捉えるかということ。

レンズのヘリコイドをゆっくりと動かしながら、皆様にとって、少しでお役に立てることを書くことができれば至福の極みです。

今後とも、何卒宜しくお願い申し上げます。

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