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すべては距離感である③ 世界は半径3mでできている

「すべては距離感である」と考えるようになったきっかけ

「すべては距離感である」というテーマについて考えるに至ったきっかけは、M型ライカというレンジファインダー(距離計)カメラと出会い、写真の師匠である渡部さとるさんや、レンジファインダーカメラの達人である萩庭桂太さんから「写真の基本は距離である」と教えて頂いたからなのですが、もうひとつきっかけがありました。

20代の若者と話をしていたときのこと。
ふと「写真の距離感って、人間関係の距離感を考えるのにちょうどいいんだよね」と口にしたところ「それ、知りたいです!」と、前のめりになって食いついてきたのです。

「人との距離感をどうとったらよいかわからなくて……コロナが終わって急に人と会うようになって、どうやって人と距離をとったらいいのかわからないんです」

遊びに誘われれば嬉しいし、出かけてゆくのだけれど、家族のことや、プライベートなことを聞かれると疲れてしまう。
「それ、どこで買ったの?」「将来は何をしたいの?」「何が趣味?」──と距離を詰められると、途端に帰りたくなる。
休日はどうしているかというと、部屋で他人のInstagramやTikTok見て「楽しそうだなぁ」とか「あれ欲しいなぁ」と考えながら過ごしている。寂しいけど、一人でいたい。人と関わりたいけど、必要以上に踏み込むのは苦手。
年末も「若者が忘年会にいかない」ということが話題になっていましたが、どちらかというと僕も人と群れるのが苦手(若い頃に一人旅をしていたからだと思います)なので、「俺も若い頃は僕もそうだったなぁ……」と答えようとしたのですが、何故か言葉が出ませんでした。

最近、よくこんな言葉を耳にします。

「最近の若い人は、すぐに辞めてしまう」「メールやLINEの返事が帰ってこない」「何を考えているのかわからない」……。
ローマの壁画にも「最近の若いものは……」という書き込みがあるらしいので、いつの時代も、歳を重ねた人間には若い人の行動が不可解に写るだけ(これが「老害」の始まりですね)だとは思うものの、その若者の切実な表情に、考えこんでしまいました。むしろ、この若者のようなあり方が、現代における新たな「距離感の取り方」なのではないか……と思ったのです。

前回「人生の最短距離=70cm」で書いたように、SNSとスマートフォンの爆発的な普及によって、現代を生きる我々の距離感は、肉体は今ここに存在するにも関わらず、時間と空間を越えて「繋がって」しまいます。
千里眼のように、見たいものが見られると同時に、見たくなかったものも、聞きたくなかった言葉も聞こえてくる世界で、100年もその機構が変わらないM型カメラの「距離感」の中に、今を生きるヒントが詰まっているのではないか……というのが私の立てた仮説です。

中央線沿線にて(キャラクターという他者との距離感についてもいずれ書いてみたいと思います)

世界は半径3mの中に詰まっている

前回記したように、宮﨑駿監督は「世界で起きていることは、半径3mの中で起きている」とよく口にしていました。
宮﨑さんは、パソコンも、スマートフォンも持っていません。
我々制作部は、宮﨑さんと連絡をとるには宮﨑さんの席にいかなければなりません。宮﨑さんも、スタッフと意思疎通するには話すしかないので、毎日出社し、朝から夜遅くまで席にいます。
「千と千尋の神隠し」や「ハウルの動く城」制作時は、新聞やNHKのドキュメンタリーや読書を通して情報を得ていましたが「君たちはどう生きるか」で再び現場に入った時にはまるで、SNS時代に逆行するかのように、本当に自分の興味のある本や、周囲のスタッフからもたらされる外部の情報を頼りに、想像力を膨らませて作品を作っていました。
興味があることを見つけると、一日中そのことについて喋り続けるのですが「じゃあ、ロケハンにいきましょうよ」と提案すると「俺はいかない。代わりにみんなでいってきて。俺は、一枚の写真さえあればいい」と言うのです。
実際に現地を訪れても、想像していた以上のものが見られるとは限らない。誰かが撮ってきた一枚の写真から想像した世界のほうがずっと豊かだ……ということなのでした。
宮﨑さんにとっては文字通り、半径3mくらいが「世界」なのです。

考えてみれば、人生って、他者とのリアルな向き合い方も含め、大概のことが半径3mくらいの中に収まっている気がします。
M型ライカのレンズには距離計のメモリが刻まれているのですが、前回紹介した0.7m(最短撮影距離)の次は、

1m、1.2m、1.5m、2m、3m

と、記されています。3mより先は、5m、7、10m〜∞と間隔が広がってゆき、1m-3mくらいまでが最も細かい。

35mmレンズ。50mmレンズには5mの表示もある。


詳しい機構に関しては割愛しますが、この範囲のフォーカスが一番シビアで、レンズのヘリコイド(レンズを鏡胴を回してフォーカスを合わせる機構)をゆっくり回しながら、被写体との距離を微妙な差異で合わせなければなりません。
5m以上になると、それほどシビアに合わせなくても大体のフォーカスは合います(レンズの機構というよりも、人間は右目と両目という異なる位置にあるふたつの目で対象を見て立体感を感じているので、遠くにいけばいくほど立体感を感じなくなるという特性によるもの)。

スタジオジブリ公式サイトより引用

アニメーションの場合、こうした人間の目やレンズの特性を白い紙に位置から描く必要があるのでとてもわかりやすい。
例えば「千と千尋の神隠しの一シーン。
一番手前に座っている影と千尋とカオナシ、窓際に座っている坊ネズミとの間にはしっかりと奥行き(距離)を感じますが、遠くに浮いている雲と雲や海との距離感はほぼ同じに見えるのではないでしょうか(実際には、左の雲と真ん中の雲との間にはかなりの距離がある)。

M型ライカの距離計が、1m、1.2m、1.5m、2m、3mと細かく刻まれていることを知った時、「あ、世界って、だいたいこの3m以内で起きているんだな……」と思いました。
カメラを構え、シビアなフォーカス合わせが必要な3mという距離感。
この距離感の中に、他者との関係というう世界と人生が詰まっている。フォーカス合わせがシビアだからこそ、他者や世界との距離感を掴むのは難しいのです。

1mはだいぶ親しい そして難しい

M型ライカをお持ちの方も、そうでない方も、手元の巻き尺などを使って、対象物との距離を1m、測ってみてください。
長いと感じるか、短いと感じるかは人それぞれですが、日頃、人との距離は近いほうだと感じている僕にとっても、1mの距離に他者が存在しているという「距離感」は、かなり近く感じます。
一般的な4人がけのダイニングテーブルのサイズは、幅120cm×奥行き80cmだそうです。テーブルの手前でカメラを構え、向かい合った人を撮る場合、互いに少し手前に座っているはずですから、1m前後が、ダイニングテーブルで向かい合う同士の平均的な距離感と言えます。実際にフォーカスを合わせてみると、なかなか合わない。相手がスープを口にしたり、背筋を伸ばすだけでフォーカスは甘くなってしまう。

私はポートレートを撮るときは、意識的に少し離れて(その方が威圧感も与えにくい)フォーカスがシビアでない位置で撮り、あとでトリミングするようにしています。被写体と1mくらいの距離で向かい合うと、結構緊張します。
おそらく相手にとっても同じことで、親しい仲ならともかく、初対面の人が1mくらいの距離で向き合うのは、かなり大変なことなのだと実感します。50mmレンズで縦に撮った場合、顔を中央にもってくると、胸元あたりまでがフレームに入り「一対一」の状態になる。
人生の最短距離(プライベートスペース)が70cmだとすると、1mは最もも平均的な、他者との距離が「近い」距離感と言えるのではないでしょうか。
実際に1mくらいでカメラを構えると「近いですね」と言われることもあります。

パリにて(知らない人です)

1.5mは心地よい

1.2mはまだ、1mの誤差の範囲くらいなのですが、1.5mになると、急に楽になる気がします。
私の写真の師匠・渡部さとるさんは「50mmレンズの場合、1.5mくらいがポートレートにはちょうどいい」と仰っていましたが、被写体の肩から胸くらいまでが入る1.5mという距離は、初対面の人や、ちょっと距離がある人と話すのにもストレスを感じにくく、それでいて他者との距離感をしっかりと実感することができる距離な気がします。
1.5mになると、お腹のあたりまで写ります。このくらいの距離感で撮った方が自然な笑顔が撮れているケースが多いようです。

レンジファインダーカメラで対象との距離を測る際に「自分の身長の距離を覚えておくといい」と言われます。
僕の身長は、172cmですので、前にパタン━━と倒れた距離が、170cm前後ということになる。1.7mというメモリがないので、50mmレンズの場合、1.5mの数字の「5」の右端くらいに合わせると、僕の身長くらいの長さでフォーカスが合います。この距離もとても自然で、近すぎず、遠すぎず、会話もしっかりできるほどよい距離感です。

音楽家・岩崎太整氏

2mになると距離が出来る


1.5m〜2mの間のメモリは、1.2m〜1.5mと同じくらい。ちょっと広くなります。
2mくらいになるとフォーカスも合わせやすくなり、とっさのポートレートでも距離感を合わせやすくなる。誰かと歩いていて、ふとポートレートが撮りたくなったとき、自分の身長よりも30cm遠く、2mくらいの距離で距離計のメモリを2mに合わせ、サッと撮ると、自然な距離感で撮ることができる。一方、2mは少し距離が生まれるので、対象との親密感は相対的に下がります。

2mも離れると、複数の人達とも目線が合います。ビジネスにおける打ち合わせでも、初めて会った人と会釈をし、名刺交換をするために近づく前の距離感も、だいたい2mくらいな気がします。人と人とが出会い、徐々に距離を詰めてゆく……2m前後の間に、「他者との境界」のようなものが存在するのかもしれません。

ロンドンにて。広角レンズの28mmで撮ったので更に距離を感じる。

3mは自分と外との境界

日本の道路における車線の幅は「一般的な2車線道路で概ね1車線あたり3.0 mの幅があり、幹線道路で3.25m」なのだそうです。
2車線道路の向こう側は、6m-6.5m。一方通行の道であれば、道路のこちらがわと向こう側が、3m強ということになるでしょうか。
3mも離れると、被写体との距離感はかなり遠くなります。声をかければ気づいてもらえますが、被写体がこちらを意識していなければこっそり撮ることもできる。

街角に立ち、半径3mくらいの距離感を見回すと、大概の情報はその中に入っている。
声をかければ目が合いますが、すっと目をそらせば相手との距離感も離れてゆく。宮﨑さんの仰った「半径3m」という距離感と、M型
レンズの距離計の1m-3mという距離感は、デジタルデバイスを使わず、リアルに他者と向き合うにあたっての、最も重要な距離感なのではないでしょうか。

凱旋門にて
3mという距離は、他者とそうでない人との境界?

リアルな距離は単焦点レンズ SNSの距離はズームレンズ 心の距離はトリミング

「距離感がとるのはうまい」人は、この1m-3mという「世界」の中で、他者との距離を詰めることに長けた人をいうのだと思います。
出会ってすぐ、1mくらいの位置で楽しく話し始めることが出来る人もいれば、3m、2mと、徐々に距離を詰めるタイプの人もいる。近年は、お見合いアプリで異性と出会う方も多いと聞きますが、事前にメッセンジャーでやり取りをしすぎて、面と向かってみたら話すことが何もなかった……という現象が起きているとも聞きます。

前回述べたように、一瞬で遠くの人とつながることが出来るSNSは、ズームレンズのようなもの。自分が立っている位置はかわらないので、相手との距離を詰めたり話したりできるので、距離感がなかなか身につきません。
ズームできない単焦点レンズ(35mm-50mmくらいの準広角から標準レンズ)は、自らが動いて距離を詰めたり離したりしなければなりません。人間関係において最もシビアな、1m-3mの間の距離を考えることで、自分にとって心地の良い距離が見えてくるのでは……というのが、本連載のテーマである「すべては距離感である」の仮説です。

もうひとつご提案したいのが「トリミング」で心の距離を積めるという考え方です。
トリミングとは、写真や画像を、自分が残したい範囲だけを切り抜くこと。よく「写真がうまくなるためにはノートリミングで撮るべき」という議論もありますが、スナップシューターの巨匠、アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真も、トリミングによって数々の「名作」を生み出していますし、そもそも、目指すべきフレームまで近づいたり引いたりしたらシャッターチャンスを逸してしまいますので、トリミングは大いに活用すべきだと私は考えます。

アニメーションの仕事をしていると「世界は写真で撮ったように見えていない」ということを実感します。
主人公の表情や感情を描こうとすればフレームは近くなりますし、どんな広角レンズにも収まりきらないような情報も、アニメーターの手にかかれば全ての情報をフレームに描くことができる。
人間は瞬間瞬間で、自分が観たいものにフォーカスを合わせ、世界を認識している。世界をトリミングしたり広げたりして認識している。1mの距離で食事をしていても、相手の話に興味があれば、意識は顔に向きますし、つまらなければ相手の奥の情報や、別なものにいってしまう。
どこかで「卒業写真で、好きだった人の顔は頭の中でズームして見ることができる」という素敵なことを仰った人がいましたが、相手と自分とのほどよい距離感を決めたあと、心のなかでトリミング(カメラと違い、相手を頭の中で遠ざけることもできる……)しながら、
他者との距離を作ってゆけばよいのだ……と考えています。

自分にとって心地よい距離感=世界とはなにか

以上が「すべては距離感」と仮定し、他者とのリアルな距離感「1m-3m」の間で、自分にとって心地の良い距離感を探すことが、人間関係を良好に結ぶために大切なことなのではないか……という本連載の骨子です。

私にとって他者との心地よい距離感は、1mでは近すぎて、1.5mだとちょっと遠いかな……という感じです。プロデューサーという仕事柄、日に何人もの方とお会いします。この距離感の範囲において、頭の中で相手をトリミングしたり遠ざけたり(!)しながら向き合っている気がします。

何より大切なのは、自分にとって心地よい距離感は、相手にとって心地よい距離感ではない……ということを自覚することなのではないでしょうか。ビジネスで「成功している」と言われる方の一部には、誰にでもグイグイ距離を詰めてくる方も多くいますが、果たしてそのあり方が他者にとって心地よいのかどうか。SNSやLINEで距離が近づいたと思い込んで、リアルでいきなり相手の不愉快な領域に踏み込んではいないかどうか……。
ファインダーを覗き、撮影された写真の結果もまた、こうした「他者との距離感の取り方」によって、大きく変わってくるような気がします。人生と写真の達人は、他者や被写体との距離感の取り方が上手い人なのではないか……と思うのです。

「距離感を詰めることが良い」というわけではありません。私が尊敬する多くのクリエイターの多くは、0.7mという「自分の世界」以外は、極力他者と距離をとりたいという人たちです。
彼らの脳内には、無限の時間と空間が広がっていて、現実世界を中心に生きている我々よりももっと広大な世界を飛び回り、私達がびっくりするような世界を見せてくれる。私にとって優れたクリエイターというのは、そういう人たちです。
クリエイターだけではなく、静かに、そっと遠くから対象を見守っているような方が、人間関係やビジネスにおいて欠かせない存在であるという例は、読者の皆さんの周りにも沢山あるのではないでしょうか。

エジンバラにて

次回は、5mから∞(無限遠)の距離感について━━自分の実人生において関係がない━━距離を置くべき人たち、というテーマについて書きたいと思います。
現代人はなぜ、「SNS断捨離」「人間関係リセット」をするのか。距離感が狂ってしまった現代において「あえて距離を置くべきケース」「関わらないというあり方」について考えてゆきます。

1月6日(月)

3mより外の人はほぼ知らない人



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