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石井あらた著 「『山奥ニート』やってます」を読む

 以前、読んだ池田清彦さんの著書の中で、「資本主義を根底から否定するなら、現在の都市の生活を止めて、山奥で自給自足の生活をすればいいのだ。」ということが書いてあった。確かにその通りで、約20~30年前に中山間地の放棄田を買って、稲作と畑をやり、ビニールハウスで100羽の鶏を平飼いで世話して、その卵を宅配していた経験から考えるとその主張にはリアリティが感じられた。

 わたしは、頭(思想)から入って、そういう実践をしたのだが、この石井あらたさんを始めとする「山奥ニート」を自称する人たち(現在、14人いるそうだが)は、身体からそういう生活に入っていったという感じを持った。名古屋の大都会で「引きこもり」だった石井さんが、「山奥ニート」になって生き延びたのには、運命的と思える山本さんとの出会いがあったのだが、そのあたりを引用して紹介したい。

仙人と会った夜 
 
 朝になって、NPOの代表、山本さんがいる大阪へ向かう。
 青春18きっぷを使った、鈍行列車の旅だ。
 何度か乗り換えをして、待ち合わせの駅に着いた。
 閑静な住宅街で、大阪にもこんなところがあるんだと少し驚いた。
 代表の山本さんは奥さんと一緒に、僕らを迎えに来てくれた。
 山本さんの姿を見た瞬問、仙人のようだと思った。
 太い眉毛は真っ白で、目尻はやさしそうに下がっている。
 声はかすれていたけど、不思議とやさしい印象を与えた。山本さんが話を始めると、みな静かに聞き入った。
 僕らが山本さんの家のソファに腰を下ろした途端、山本さんは一分一秒を惜しむかのように、過疎地の可能性について話し始めた。
 山にある葉っぱを高級料亭に卸せないだろうか。
 野生のシカやイノシシの骨をペット向けに販売できないだろうか。
 年寄りってのは、昔の話をするのが一番好きなんだと思っていた。
 でも、山本さんはこれからのことばかり話した。
 やりたいことが、次から次へと出てくるもんだから、僕ら2人は圧倒されてしまった。
 この話、どこまで信じていいんだろう。でも、それを語る山本さんの目は、本当に子どもみたいに輝いていた。
 一通りしゃべったあと、こんなことを山本さんは話してくれた。
今の世の中は生きづらすぎる。自分が若いときはものはなかったが、こんなに窮屈じゃなかった。

 人にはそれぞれ、自分に合った履き物がある。
 なのに、今は既製品の靴に、無理に足を押し込んで履いている。
 だから、歩いているうちにすぐ足が痛くなる。それじゃダメだ。
 靴に足を合わせるんじゃなく、足に靴を合わせなきやいけない。
 昔わらじを自分で編んだように、自分に合わせた履き物を作る。
 そうすれば、足は傷つかず、どこまでも歩いていける。
 自分専用のわらじをじっくり作る、そのための時間と場所が必要だ。

 山本さんは、長い間、養護学校に先生として勤めていた。退職後は、山奥に障害者支援施設を設立。今では定員150名、職員60名が働く大きな組織になった。
 その代表を数年前に引退して、今度は障害者だけでなくニートやひきこもりなど、いろんな生きづらさを抱える人たちが定住できる居場所を作ろうとしている。
 それが共生舎だった。
 僕は心から共感して「僕も同じ思いです!」と言いたかったが、あんまり簡単に賛同したら軽い男だと思われそうなので、もったいぶるように重々しく頷いてみた。
 あとで聞いた話だけど、自分の退職金や年金のほとんどを共生舎に注ぎ込んでいたそうだ。
 山本さんは山奥でできそうなことや、自分の経歴を話し終わった最後に、笑いながらこう言った。
「また新しいことやろうとしてるんやけど、時間切れっちゅうわけや」
 その晩、僕らは山本さんのお宅に泊めてもらい、次の朝、山奥へ旅立った。

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