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この国はもう滅びるしかないのか?3

官邸に逆らう農水宮僚は飛ばされていった

   食料自給率がこれほど悲惨な状態に至るまでに、この流れに抵抗する動きはどのようなものがあったのでしょうか。

鈴木 かつては、大手町と永田町と霞が関のトライアングルが、これらの貿易自由化への歯止めとしてある程度機能していた時代はありました。つまり、全中(全国農業協同組合中央会)を中心とするJA組織と、地元に農村を抱えている自民党議員、そして農水省です。当時の農水省は、官邸において一定の発言権を持ち、経産省と財務省、外務省とそれなりに拮抗する力がありました。これらの3つがそれなりの影響力を持って機能していました。
 アメリカの貿易自由化の要求に最終的には応えざるを得ないとはいえ、時には押し戻しつつ、時間をかけながら交渉を続けてきたのです。1980年代から90年代にかけての牛肉やオレンジなどの貿易自由化の際も、かなりの時間をかけて少しずつ関税率を引き下げていくなど、せめぎ合いの中での交渉が続きました。農家から、「こんなことをやられては敵わない」といつた大きな声が上がると自民党の農林族の議員たちが動き、もちろん全中も反対運動の先頭に立ち、農水省も官邸に秘書官を送り込み、 一定の発言力を持つて政権に働きかけていく。こうした拮抗力があったからこそ、 一気にすべてが進んでいくことはありませんでした。

   そのパワーバランスが崩れたのはいつ頃でしょうか。

鈴木  大きく変わったのが第二次安倍政権でしょう。この時に自民党がTPP(環太平洋経済連携協定)推進を大きく打ち出した形になりました。官邸でも、農水省からの秘書官が冷遇され、「農水省の言うことはもはや聞かない」といった姿勢が明確に示されました。
 一方で、存在感を増したのは経産省でした。経産省から来た今井尚哉秘書官らが官邸で絶大な発言力を持つようになったのは広く知られていることで、当時の政権のことは「経産省政権」と呼んだほうが実態に近いのではないかと思っているくらいです。
 彼らにとって、自動車産業を中心とした製造業の輸出を守ることが最優先でしたから、アメリカ側に譲歩するという形で、農業を生贄にする流れがさらに加速します。
 2009年からTPPの検討が本格的に始まりましたが、最初の段階では全中を中心に全国の農業関係者は猛反発していましたし、農水省もこれを食い止めるべく必死に頑張っていたわけです。しかし、2015年に全中は社団法人化されることが決まって組織解体され、地域農協への指導。監査権限を失いました。完全なる”農協潰し”でした。
 自民党内部においても党執行部の力が非常に強くなり、安倍・菅ラインに逆らうことができないような空気が強まっていきました。それにともない、農水族議員の発言力も低下していったと考えられます。
 さらに、官邸の露骨な人事権行使によつて、農水省の官僚たちの動きも封じられていきます。というのも、当時の畜産の担当局長が「このままでは生産者も消費者もみんな困る、これはやりすぎだ」と官邸に直談判に行ったところ、彼は、同行しただけの課長もろとも飛ばされたのです。あるいは、当時省内で人望の厚かった人物が2018年に事務次官に任命され、彼ならば多少は経産省を押し返せるのではと期待したのも束の間、15年も前の女性スキャンダルをマスコミにリークされて動きを封じ込められてしまいます。
 人事とスキャンダル。こうした官房長官と官房副長官らの露骨なやり方に、官僚たちも震え上がりました。結果として、大手町。永田町・霞が関のトライアングルは本来の機能を失っていったのです。
 こうした流れの中で、2015年10月にTPP交渉は大筋で合意し、翌16年に、日本はアメリカなどとともに協定に署名します。
 種を農家に安定供給するための種子法が2018年に廃止され、あるいは農家による自家採種を制限する形で種苗法が2019年に改定されるなど、日本の農業を破壊するような改正が次々と進められていきました。アメリヵの穀物メジャーゃグローバルの種子農薬企業に向けて、日本の農家を市場として差し出したと言えるでしよう。

   結局、今井秘書官ら経産省の官邸官僚たちは、製造業を守るために農業を犠牲にするという戦後から続いていた流れを一気に加速させたわけですが、その背後には何らかのプレッシャーが働き続けていたということでしょうか。

鈴木  そのプレツシャーの正体をわかりやすく示した事例が、〝全農グレイン買収“をめぐる騒動でしょう。
 日本は、穀物を輸入する際、遺伝子組み換えされたものかどうかを分別して輸入していますが、これを管理しているのが全農(全国農業協同組合連合会)です。こうした全農の対応を快く思つていなかった種子や農薬を扱う多国籍企業のモンサント社(現在はバイエル社により買収)やカーギル社のような穀物メジャーは、全農潰しを画策しました。そこでまず、全農グレインという全農の在米拠点である子会社を買収しようとするのですが、全農が協同組合であるために買収を実現させられなかった。そこで日米合同委員会におい
て、全農を株式会社化するようにという要望がアメリカ側から出てきました。今はまだ、せめぎ合いの状態が続いています。
 日米合同委員会とは、いわゆる、日米の軍事的な同盟について話し合うための、外務・防衛両省と在日米軍司令官などで構成された委員会ですが、いわゆる憲法をはじめとした法体系すら超越した存在として知られています。全農の解体が、この委員会の場においてアメリカから示唆されたということが、問題の根深さを端的に示していると言えるでしょう。

民間人の集まり」に絶対的な権限が付与

   アメリカと足並みを揃えて署名をしたはずのTPPでしたが、トランプ大統領の就任直後に、アメリカは離脱を表明します。これは日米間の貿易にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。

鈴木  TPPにおいては、日米並行交渉で確認した書簡、いわゆるサイドレターというものが存在しています。2016年12月8日、参議院の特別委員会において、「トランプ氏がTPPからの離脱を表明したことで、TPP発効の見通しが立たなくなったが、このサイドレターは生き続けるのか」という野党議員からの質問に対し、当時外務大臣だった岸田さんは「これは今後自主的に行う取り組みを確認したもので、我が国が自主的にタイミングを考え、実施していく」と答弁しています。
 「自主的に」というのは、「アメリカの言う通りに」としか聞こえませんでした。このサイドレターには驚くべきようなことが書かれているからです。日米間の規制改革について「外国投資家その他利害関係者から意見及び提言を求める」としたうえで、「日本国政府は規制改革推進会議の提言に従って必要な措置をとる」と明記されてしまっている。
 つまり、「規制改革推進会議」に絶大な権限が付与されたということです。この規制改革推進会議というのは、財界人を中心に、選挙で選ばれたわけでもない民間人が集まっている総理直属の諮問機関です。こんなところに絶対的な権限が付与され、農業を含め、日本の国民の生活に根幹に関わる重要なことが次々と決められていってしまう。永田町も大手町も霞が関も、ほとんど微調整程度のことしか関われなくなっているというのは、非常
に恐ろしいことだと思います。

 実際、今や選挙を経て国会議員に選ばれるよりも、規制改革推進会議の委員になったほうが、よほど政策実現への近道だというのは、どの政治家も実感していることではないでしようか。

   結果として、日本の農業政策も、安全保障の観点ではなく、もはや投機的な対象になってきているように感じます。投資先としていかに成長産業にしていくか、という発想が先走っているようです。

鈴木  まさにそうですね。国内の農家をいかに保護していくか、農業の持続可能性をいかに実現していくか、日本の食の自給率をいかに高めていくか、という視点はそこにはありません。遺伝子組み換え食品と除草剤をセツトにして莫大な利益を上げたモンサント社と化学工業と製薬業で成長してきたバイエル社は今や統合されていますが、彼らは自分たちの種や農薬を購入し続けなければ農業が持続できないような仕組みで世界シェアを拡大してきました。今は、ゲノム編集した食品などの開発も進められています。
 ゲノムは遺伝子を切っただけで組み替えていないのだから審査も必要ない、ということで、日本では事実上、野放しになっている。それどころか、2023年度からは「小学校に苗を無償配布して、子どもたちにゲノムトマトを食べさせて普及を図ろう」というようなことが、新しいビジネスモデルとして国際セミナーの場で宣伝されてもいます。戦後、アメリカの余剰生産物を大量に引き受けるために、学校給食でパンや脱脂粉乳を子どもた
ちに食べさせることになった動きの背後には、グローバル穀物商社が控えていた、というのと完全に同じ構図ですね。
 あるいは、GAFAM(Google、Amazon、Facebook,Apple、Microsoft)に代表される大手IT合業も、ビル・ゲイツ氏を中心に、農業分野でのビジネスモデル構築に非常に熱心に取り組んでいます。大規模に土地を整備し、ドローンやIOTを駆使した効率的で儲かる農業ビジネスを模索している。そのためには、既存の小さな農家にはどんどん退場してもらったほうが都合がよいのです。農業ビジネスを展開してみて、儲からなければ転用して売却してしまえばよい、という発想が根底にあります。
 こうした動きに対して諸外国の農業者や市民は非常に警戒心を強めており、なかなか強引なビジネス展開ができなくなっていた彼らにとって、従順かつ自国の農業保護に熱心でない日本はまさしく「ラスト・リゾート」なのです。
 そして、日本政府が彼らの思惑通りに、粛々と種の自家採取を規制し、国家による種の安定供給システムを廃止し、全中を組織解体させて農協を弱体化させ、農水省を排除してきた結果、現在の食料自給率の惨状があると言えるでしよう。

地元の先生には世話になってるから……という意識

   このような状況になってなお、政府与党である自民党の高い支持が地方で続いているのはなぜなのでしょう。

鈴木  農業の現場においては、今の官邸主導、規制改革会議を中心とした農業政策はもってのほかである、という空気は強くあります。ただ、「地元の先生」との関係においては、話は別なんですよ。
 どの県でも、「地元の先生には長年世話になってきた」という思いが強いわけです。彼がいるおかげで、ある程度の予算もつけてもらえていたじやないか、となる。そうしたことへのお礼と長年の付き合いの中で、自民党の議員に票を人れようという気持ちになるのです。でも、官邸主導農政にお灸を据えたいから、「うちは仕方ないけど、他の県では自民党にきちんとノーを突きつけてくれるといいな」とも思っているのです。結局、どこの県でも誰もが似たような思いで投票してしまうので、結果として白民党がいまだに地方で議席を取り続けているのだと思います。
 とはいえ、流石にここまでくると、もはや農業が立ち行かない状況に追い込まれていますから、我慢の限界にきているのではないでしょうか。資金繰りができなくなり経営に行き詰まった酪農家の方たちの自殺も増えています。先日もご夫婦が亡くなられたという話がありました。自国の生産者を守らない限り、この国に未来はないということに、どれだけ早く、多くの人が気づいていけるかということではないでしょうか。
 そうした危機感がある程度広く共有されてきたこともあり、各地で独自のさまざまな取り組みが広がっています。よく例に挙げられるのが、千葉県いすみ市の例です。
 いすみ市では、市が公共調達として、地元の農家から1俵2万円以上で有機米を買い取って学校給食で使用しています。当初は、自給的農家を除き、有機米を作っている農家が市内にはひとりもいなかったそうですが、いすみ市の「有機農業への転換」という姿勢に共感した農家の協力を得ながら有機米の栽培がスタートしました。有機米の栽培農家も順調に増え、今はいすみ市の学校給食は100%有機米に切り替わりました。2018年からは野菜農家とも連携して、有機野菜も積極的に給食に取り入れているそうです。
 地元で安全安心なものを作ってくれる生産者と消費者が有機的に結び付いていく、こうしたネットワークを各地で増やしていくことが重要です。食の安全保障は、国内の生産者を大切にすることから始まります。消費者の意識と行動が間われていることでもあるのです。

すずき。のぶひろ●1958年生まれ、二重県出身。東京大学農学部卒業後、農林水産省に入省。15年ほど勤務したのち学界へ転身。九州大学大学院教授を経て、2006年から東京大学大学院農学生命科学研究科教授。専門は農業経済学。F丁A産官学共同研究会委員、食料。農業・農村政策審議会委員、経済産業省産業構造審議会委員、コーネル大学客員教授などを歴任した。今は、食料安全保障推進財団を立ち上げ、生産者と消費者を結ぶ活動に奔走。主著に『食の戦争』(文春新書)、『農業消滅農政の失敗がまねく国家存亡の危機』(平凡社新書)、『世界で最初に飢えるのは日本』(講談社+α新書)など。

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