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劉慈欣 著『三体Ⅱ 黒暗森林』を読む

『三体Ⅱ 黒暗森林』は、ほんとうにおもしろかった。これほどスケールの大きな作品は今まで読んだことがない。

 最初に、朝日新聞20年8月22日の書評を引用する。次に訳者を代表す大森望氏の「あとがき」を引用して、本作品の紹介としたい。

最新科学が光る壮大なSF叙事詩

評・須藤靖 東京大学教授・宇宙物理学

 全世界で累計2900万部以上という驚異的ベストセラーとなった中国のSF三部作『三体』の第二作の待望の邦訳である。    
 互いに重力を及ぼし合う二重連星は安定な楕円運動を行うが、星の数が三になった途端、状況は一変する。一般解が存在しないのみならず、ほとんどの系は不安定で予測不能なカオス的振る舞いを示すのだ。これが古典力学における三体問題で、三百年以上にわたり多くの天文学者・数学者を魅了し続けてきた(破滅的な結末に至る危険を承知で三角関係に陥る人間が絶えない事実と同じかも)。
 太陽系からもっとも近い恒星であるケンタウルス座アルフ了皇は、実は三重連星だ。もしその三体系に高度な知的文明を宿す惑星が存在しているならば……。それが『三体』の出発点である。
 この発想自体はとりたてて目新しいわけではない。しかし、三体問題の予測不可能性、最新宇宙論データ、ナノテクノロジー、サイバー空間と現実世界の錯綜、多次元空間と量子もつれ等々、(SFとして許容できる範囲で)最先端物理学の知見を駆使して、壮大な叙事詩のごとく積み上げたスケールの大きさと入念に張り巡らされた伏線には圧倒される。
 地球文明の存在を知った三体人は、自らの存亡をかけ地球を滅ぼすべく艦隊を派遣する。今から約四世紀後にその三体艦隊が地球に横着することを知った国連惑星防衛理事会が面壁計画(ウォールフェイサープオジェクト)を決断するところから第二作が始まる。
 地球に比べて圧倒的に優位な科学技術レベルを誇る三体人の弱点は「嘘がつけない」ことだ。互いの思考が直接読み取れる三体人にとって、口先と真意が異なる地球人は理解不能なのだ(言われてみれば反省すべきである)。
 これを利用して、実際の防衛戦略を頭の中だけに隠し、味方に対してすら偽装と欺瞞を駆使し三体人の侵略から地球を守るのが、選ばれた四人の面壁者の使命である。そのため彼らは理事会にすら一切説明せずとも強大な権限と資源を付与され、終末決戦の時点まで冬眠することも認められる。
 面壁者四人がいかなる戦略を考え出し、果たして三体人から地球を守ることができるのか。異なる文明は敵対せざるを得ないのかとの普遍的な問いも浮かんでくる。
 物理学の知識がないとやや難解な第一作とは異なり、気軽に楽しめるエンタメ的要素も満載だ。最後にはどんでん返しも準備されているので乞うご期待。とはいえ背景の理解には、やはり第一作を読んでおくことが必須だろう。
 SFにおける最先端の科学技術の舞台を欧米ではなく中国に設定しても何ら違和感のない時代となったことも思い知らされた。


訳者あとがき     大森望  

 あの『三体』は、ほんのプロローグでしかなかった! 地球文明と異星文明が織りなす壮大なドラマはいよいよここからが本番。分量が前作の五割増しになっただけでなく、時間的にも空間的にも桁違いのスケールで想像力の限りを尽くす。三部作の中ではこれが最高傑作との呼び声も高く、実際、エンターテインメントとして図抜けていることはまちがいない。前作を読んで高まりきった読者の期待を裏切らないどころか、予想をはるかに超えるスリルと興奮、恐怖と絶望、歓喜とカタルシス、ロマンスとアクションを満喫させてくれる。 ……と、思わず口上に力が入ったが、お待たせしました。劉慈欣《三体》三部作の第二作、 『黒暗森林』をお届けする。本書は、2008年5月に中国の重慶出版社より《中国SF基石叢書》の一冊として刊行された『三体 黒暗森林』の、中国語テキスト(後述)からの全訳にあたる。  ご承知のとおり、この《三体》三部作(または《地球住時》三部作)は、全世界で累計2900万部以上を売る驚異的なベストセラーとなり、小説界に革命を起こした超弩級の本格SF巨篇。諸般の事情で日本では翻訳が遅れたが、2019年7月、第一作の『三体』日本語版が早川書房から刊行されるとたちまち大評判となり、増刷に次ぐ増刷。発売一ヵ月で12刷に達し、電子書籍と併せて12万部という、翻訳SFの単行本としては前代未聞の数字を叩き出した。反響もすさまじく、主な活字メディアだけでも百を超える書評が出た。そのほんの一部を抜粋して紹介すると  「この枠組みの中にありとあらゆる趣向をぶちこもうとする、その徹底したサービスぶりは尋常ではない。その点で、この作品は単に中国産のSFというだけにとどまらず、世界文学として読まれる資格を備えている」 (毎日新聞、若島正氏)  「まず本作の面白さというのは、理学、工学、社会学に人間ドラマとあらゆるものが息もつかせず押し寄せてきて積み重なっていくところにあり、かつて日本で小松左京がこの技法を駆使して傑作を生みだし続けたことを彷彿とさせる。/進むごとに広がり続けるお話が一体どれはどの大きさになるのかについては、まず間違いなく大半の人々の予想を遥かに超えることになるはずである」 (共同通信、円城塔氏) 「高邁な物理学の知識をベースにした圧倒的なスケールの牛説。中国には三国志平水滸伝などスケールが大きい物語が多い。本書はそれらに匹敵するだろう。中国は小説でも世界を支配するのか」(読売新聞、江上剛氏) という具合(ちなみにこれらの特徴は本書にもそのままあてはまる)。この『三体』は、SF作家・評論家などの投票で決まる年間ランキンダ「ペストSF2019」海外部門でもダントツの1位を獲得したが、その読者層はSFファン以外にも大きく広がった。ビジネス誌〈ダイヤモンド〉やカルチャー誌<SUTUDIO VOICE>が山西省にある著者の自宅に赴いてインタビューを敢行したり、科学誌〈日経サイエンス〉、か「三体」の科学」なる大特集を組んだり、ふだんはSFを扱わないような媒体もこぞって『三体』をとりあげたのがその証拠。  この『三体』ブームを受けて、2019年10月には、著者の初来日も実現。ハヤカワ国際フォーラムの公開インタビューは台風19号のあおりで中止になったものの、早川書房で開かれた歓迎会では多くの日本人SF作家や翻訳者、編集者らと交流。台風通過後には、埼玉大学創立70周年記念事業・第5回リペラルアーツ連続シンポジウム「Sai-Fi:Science and Fiction SFの想像力×科学技術』に招かれ、藤崎慎吾、上田早夕里の両氏を含むパネリストだちと活発な議論を交わした。 そんなこんなで、『三体』は2019年の日本を席巻したわけだか、冒頭に書いたとおり、その『三体』も、三部作全体のストーリーの巾では、ほんの導入部に過ぎない。  前作のあらましをこのへんで簡慨に整理しておくと、始まりは文化人革命当時(1967年)の中国。若き天体物理学者の葉交潔(イエ・ウエジェ)は、理論物理学者だった父親が反革命分子として公衆の面前で殺されたことから人類に絶望。やがて、謎めいた山頂の軍事施設にスカウトされた彼女は、宇宙に向かって、あるメッセージを発信することになる。一方、2006年ごろの北京を舞台にした現代パート(およびVRゲーム『三体』パート)は、ナノマテリアル研究者の汪 淼(ワン・ミャオ)が主役。世界有数の科学者たちの連続自殺という不可解な事件の背後を探ることを依頼された汪 淼(ワン ミャオ)は、超自然的としか思えない怪現象に見舞われ、その呪い(?)から逃れるべく、タフで口の悪い警察官の史強(シー・チアン)とタッグを組み、地球規模の驚くべき陰謀に立ち向かうことになる。  この『三体』で、三つの太陽を持つ異星文明(三体世界)とのファーストコンタクトを果たした地球は、侵略の危機にさらされる(そのため本書では、西暦にかわって、危機紀元”という新たな紀年法が採用されている)。人類よりはるかに進んだ技術力を持つ三体文明の侵略艦隊は、すでに三体世界を出発し、四百数十年後には太陽系に到達する。三体文明にとっては虫けら同然の技術力しかない地球が、いったいどうやって対抗できるのか? いやしかし、虫けらには虫けらなりのしぶとさ、がある……というところで前作『三体』は終了。  つづく本書では、その具体的な防衛策が描かれる。三体危機に対処すべく、国連は感星防衛理事会(PDC)を設置。各国の総力を結集して地球防衛計画を推進する。しかし、人類のあらゆる活動は、三体文明から送り込まれた智子(ソフォン)(十一次元の陽子を改造した、原子よりも小さいスーパーコンピュータ)によって監視され、すべての情報が筒抜け。智子はさらに、人類文明の発展を阻止するため、科学の基礎研究を妨害している「智子の壁”と呼ばれる」。このままでは、三体艦隊との。終末決戦”に敗北することは避けられない。この絶望的な状況を打開するため、前代未聞の面壁計画(ウォールフェイサー・プロジェクト)が立案される。その切り札として選ばれた四人の面壁者こそ、人類に残された最後の希望だった……。  物語の主役は、天文学者から社会学者となり、三十代の若さで大学教授を務める羅輯(ルオ・ジー)。人間にもものにも執着せず、刹那的な快楽を求めて気楽に生きてきた男だが、葉文潔の娘・楊冬と高校時代に同級生だった彼は、楊冬の墓前で葉里文潔と再会し、宇宙社会学の公理″を伝授される。その一、生存は文明の第一欲求である。その二、文明はたえず成長し拡張するが、宇宙における物質の総量はつねに一定である。これがすべての始まりとなって、羅輯(ルオ・ジー)は心ならずも、人類の命運を左右する重大な使命を担うことになる。その羅輯の相棒役として、前作からひきっづき登場するのが、もと警察官のタフな中年男、史(シー・チアン)(通称・大史 ダイ・シー)。前作の汪 淼(ワン・ミャオ)にかわって、今回は警護対象者である羅輯とコンビを組み、あいかわらず頼もしい活躍を見せてくれる。  もうひとりの主人公が、中国海軍の新造空母に政治委員として乗り組む(はずだった)章北海(ジャン・ベイハイ)。三代前からつづく職業軍人の家に育った生粋の軍人である彼は、新たに創設された宇宙軍にスカウトされ、敗北が確実な400数十年後の終末決戦に備えることになる。  というわけで、主に通信(情報)によるファーストコンタクトを描いた『三体』に対し、本書ではいよいよ、(アーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅』にオマージュを捧げつつ)物理的なファーストコンタクトが描かれる。ページ数が増えただけではなく、時間的にも空間的にもけるかにスケールアップ。異星艦隊の襲来、刻一刻と迫る地球滅亡の時……というあたりは「宇宙戦艦ヤマト」を彷彿とさせるし、作中に出てくる田中芳樹『銀河英雄伝説』を思わせる軍略や戦争哲学も披露される一方、変貌した未来社会の姿も見せてくれる(メインテーマとなる”黒暗森林“理論については、陸秋楂氏の巻末解説に詳しい)。  しかし今回、もっとも直接的にオマージュを捧げられているのは、作中でも言及されるアイザック・アシモフの《ファウンデーション》シリーズだろう。いまから数万年後、人類が約2500万の惑星に広がった未来を描くこのシリーズの鍵を握るのが、天才的な頭脳と卓越した洞察力を持つ心理歴史学者ハリーセルダン。人類の未来を独自の数学的な方法で推定し、銀河帝国の崩壊と暗黒時代の到来を予見したセルダンは、その対策として、ふたつのファウンデーションを設立する。  葉交潔が羅輯に伝える宇宙社会学は、いわば劉慈欣版の心理歴史学。四人の面壁者をはじめとする登場人物たちは、終末決戦に備えて、それぞれ未来のヴィジョンを描くが、その中で、いったいだれが本物のハリーセルダンなのか? というのがが本書のストーリーの隠れた縦糸になっている。  インタビューなどで、往年の。大きなSF“に対する偏愛を隠さない劉慈欣だが《三体》三部作には、クラークやアシモフに代表される黄金時代の英米SFや、小松左京に代表される草創期の日本SFのエッセンスがたっぷり詰め込まれている。こうした古めかしいタイプの本格SFは、とうの昔に時代遅れになり、21世紀の読者には、もっと洗練された現代的なSFでなければ受け入れられなと、ぼく個人は勝手に思い込んでいたのだが、『三体』のダイヒットがそんな固定観念を木っ端微塵に吹き飛ばしてくれた。黄金時代のSFが持つある意味で野蛮な力は、現代の読者にも強烈なインパクトを与えうる。それを証明したのが『三体』であり、『黒暗森林』 『死神永生(ししんえいせい)』と続くこの三部作だろう。『三体』がSFの歴史を大きく動かしたことほまちがいない。  さて、このあとはどうなるのだろう。
ichro
2020/12/31 21:43


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