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人生は下手でいい。熱があれば
そこで私は言った。
「ああ、わが主なる神よ 私はまだ若く
どう語ればよいのかわかりません。」
しかし、主は言われた。
「『まだ若い』と言ってはならない。
むしろ。私があなたを遣わす相手が誰であろうと
赴いて、命じることをすべて語れ。
彼らを恐れてはならない。
この私があなたと共にいて、救い出すからだ」
――主の仰せ。
2024年11月7日(木)同志社香里中学校・高等学校 宗教週間祈祷会メッセージ
▼「脱国の理由書」
皆さんは、新島襄の「脱国の理由書」という手紙を知っていますか?
中1で新島襄の生涯を習った人は、憶えていてほしいですね。そして、今中1の人は、クラスによって進み具合が違いますが、今ちょうどやってるところです。
新島襄が、アメリカのボストンの港に着いたとき、乗ってきた船、ワイルド・ローヴァ号の持ち主で船会社の社長のアルフィーアス・ハーディに、「君はなぜアメリカに来たのかね?」と訊かれて、英会話で答えることができなかったんですよね。
それで、彼はセイラーズ・ホーム、いわゆる独身の船乗りたちの寮ですね。そこに泊まらせてもらって、3日間寝ないで必死に書き上げた、新島襄初めての英作文。それが「脱国の理由書」です。
もとの題名(といっても、そもそもこの英作文に題名があったかどうか、本当のところはわかりませんけれども、一応教科書に書いてある題名)は“Why I Departed from Japan”です。直訳すると、「私はなぜ日本を出発したのか」です。
この英作文はとても長くて、新島の少年時代からアメリカに来るまでの長い道のりと、その時々の思い、アメリカや聖書について知った経緯、日本を良くするために学びたい、旅に出たい、自由になりたいという願いなどが、熱く語られています。
特にその中に書かれた、日本の武士の封建制度や、そのトップに君臨している将軍に対しての怒りは凄まじいもので、例えば「ああ日本の将軍よ、なぜあなたはわれわれを犬か豚のように抑圧するのか」とか、「幕府はなぜ私の思いを無視するのか。なぜわれわれを自由にしてくれないのか。なぜわれわれを籠の鳥や袋のネズミのようにしておくのか。われわれはそんな野蛮な幕府は倒さなくてはならない。アメリカ合衆国のように〔国民が直接選挙で〕大統領を選ばなくてはならない」と書いています。
「我々は犬か豚扱いだ」、「我々は籠の鳥か袋のネズミのようにされている」、「幕府を倒さなければならない」と、武力革命でも起こしかねないような激しい思いが伝わってきます。
でも、それは彼が日本という国をもっとよくしたい、という国を愛する心から出ているものだったんですね。
▼ヘンテコな英語
ところで皆さんは、この脱国の理由書を書いたときの新島の英語力ってどれくらいのものだったと思いますか?
私もそんなに英語力はありませんが、それでも、この「脱国の理由書」の英語はヘンテコだなと思うことがあります。
例えば、一番最初の部分です。
“I was born in a house of prince in Yedo.”
直訳すると、「私は江戸の王子様の家に生まれた」になります。ここで彼が「プリンス(王子)」という言葉で表したかったのは、「藩主」つまり大名のことなんですね。でも、それを表す英単語がわからないから、「王子」という言葉しか思いつかなかったんですね。
それから、こんな文章もあります。
“I began to learn Japan, and China too, from six years age.”
直訳すると、「6歳から日本と中国を学び始めた」となります。これは、「日本の古典と漢籍(つまり中国大陸で書かれた漢文の本)を、武士の教養として学び始めた」ということですけれども、それなら、“Japanese books”とか“Chinese”あるいは“Chinese books”などの表現になってもいいんじゃないかと思います。
こんな風に、ちょっと新島の英語はヘンテコですから、これを読んでも英語の勉強にはなりません。
けれども、この手紙のいちばん最後の部分は、私は感動的だと思っています。彼の熱い思いが伝わってくるようで「ジーン」と来ます。
こんな文章です。
▼祈って、祈って、祈り倒した結果
“Every night after I went to bed I prayed to the God.”
「毎晩、私は寝床に入ってから、神に祈った。」
“Please! Don’t cast away me into miserable condition.”
「お願いです! どうか私を悲惨な状態に捨て去らないで下さい。」
“Please! Let me reach my great aim!”
「お願いです! 私の大きな目標を達成させて下さい。」
“Now I know the ship’s owner, Mr. Hardy, may send me to a school, and he will pay all my expenses.”
「今、私は船の持ち主であるハーディさんが私を学校に送り、経費を一切出してくださるかもしれないと知る。」
“When I heard first these things from my captain my eyes were fulfilled wi many tears,”
「船長からこのことを初めて聞かされた時、私の両眼は涙にあふれた。」
“because I was very thankful to him,”
「なぜなら、ハーディさんにとても感謝したからだ。」
“and I thought too: God will not forsake me.”
「そして私はこうも思った。神は私を見捨てない、と。」
私は、ここを読むたびに、胸の中が深い思いでいっぱいになります。
ハーディさんもこの手紙を読んで、胸がいっぱいになり、本気でこのジョーという青年を支えようと決心しました。
▼下手でいい。熱い思いがあれば。
この手紙が胸を打つのは、英語が下手だろうが、不慣れであろうが、自分の思いのたけを訴えかけようとする「思い」があるからだと思います。
英語なんて下手でもいい……と学校で言うと怒られるかもしれません。もちろん上手であれば、それに越したことはないでしょう。けれども、伝えたい思いがあれば、それを超えてゆける。
伝えたいものがあれば、そのあなたの思いを遮るものは何もありません。
人生なんて下手でいい。熱い思いがあれば、と思います。
伝えたいことがあれば、知識や技術はあとからついてきます。大切なのは熱い思いを持つこと。伝えたいものを持つことです。
今日、ひとつの聖書の箇所を読みました。
これは旧約聖書の「エレミヤ書」という本で、預言者という、神さまからのお告げを人びとに伝える役目を負った人の言葉を集めたものです。エレミヤというのは、この本の主人公になる預言者の名前です。
今日読んだのは、この「エレミヤ書」の一番最初で、エレミヤが神さまから預言者という特別な役割を与えられたときの話です。
エレミヤは怖気づいて、「私はまだ若く、どう語ればよいのか分かりません」と尻込みします。
けれども神さまは、「『まだ若いから無理だ』と言ってはならない。相手が誰であろうと、語るべきことを語れ。恐れてはならない。この私があなたと共にいて、あなたを救い出すから」とエレミヤに言います。
▼まずは挑戦してみよう
これは、今日お話した新島襄の置かれた状況と似ていると思います。
新島襄は最初は英語は下手だったのです。支えになる仲間も友達もアメリカにいなかったのです。
しかし、恐れを振り払って、自分の伝えたいこと、伝えるべきことを伝えるために奮闘しました。それが人の心を打ちました。
神さまは、私たちに「まだ無理だ」、「もっと上手になってから」、「もっと強くなってから」と言って尻込みするとき、「いいから、始めてごらん。全てはそれからだ」と言ってくださるのではないでしょうか。
大事なのは、まずは始めてみること、挑戦してみることです。
人生は下手でいい。胸の中に熱いものがあれば。
祈りましょう……。
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![ぼやき牧師|富田正樹](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/136530238/profile_6276f057a1600fd3357ea1e3321c427f.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)