終活
終の棲家はどこにしますか?
中年を迎え、離婚をし、転職をした。
現在、独身、一人っ子で母親は一人暮らしである。
よくある話かもしれないが、当事者としては初めての経験。
年末年始で、目を背けていた現実に、少しだけ立ち向かった。
キッカケは年末にコーチング仲間達と話したこと。
2025年の豊富について、自由に語り合うというテーマで話をした。
しかし、自分には何らポジティブな未来が思い浮かばない。
転職して3カ月、ちょうど疲れが溜まっていたのかもしれない。
仕方がないので、その時に、自分の不安と向き合ってみた。
そうすると、不安は主に3つに大別できることが分かった。
①母親が死んだ時にどうしたら良いのか
②自分はいつまでここで働くのか
③独り身の自分はどこを終の棲家にするのか
①~③は独立しているようで、意外に繋がっていることを感じた。
①の結果、もし実家に戻ったら②③は自ずと実家周辺で仕事を探し、そこで定住することになるのだろう。一方で、実家に戻らず土地を売るという選択も、独り身だからこそ選べるということも理解できた。
選択肢は意外に広がっていることに、改めて気付くことができた。
さて、元旦の日、私は実家に顔を出し母親と話していた。
転職時に数年ぶりに実家に顔をだしたが、まともに話すのは久しぶり。
話題は、母親が死んだ時の手続きについて。
ただし、これは私から切り出したのではなく、むしろ母親からだった。
正月早々、死んだ時の話をするのは縁起が悪いのかもしれない。
ただ、それを出来たことで、①の不安はかなり解消された。
また、実家の状態を冷静に見ることで、少なくともそのまま住むことは難しそうなことも分かり、③の選択肢を考える上での材料も増えた。
母親の懐事情を知ることで、②についてもイメージが湧いてきた。
この話し合いで、かなりスッキリした気分になった。
新年の抱負を語った訳でもないが、不透明なことがある程度解消され、気分が晴れた。
結局、不安とは、先行きが見通せないことから生じる妄想でしかない。
改めてそのように感じた。
生きるのも死ぬのもめんどくせー。
久しぶりに母親と一緒に笑いながら、そんな言葉を口にした。
不安が解消して、改めて終の棲家を考えてみた。
今度は自分の好きなことに焦点を当てて考えることが出来た。
九州が好きなこと、電車が好きなこと、海の景色が好きなこと、歩くのが好きなこと、おいしい食事や酒が好きなこと。
こんな感じで終の棲家を考えてみると、悲壮感はなく、楽しい気分になってくる。
せっかく出来た九州や佐賀との繋がりを、継続して持ってみよう。
香川や瀬戸内との繋がりも、もっと作っていこう。
そうすることで、終の棲家の選択肢も広がるだろう。
それが、香川に戻り、金毘羅山に登りながら立てた今年の抱負である。
そして、抱負を実現する行動を、早速取ることができた。
久しぶりに感じた、コーチングの実効性。
色んな所に住んで、色んな経験をしてきた。
それが自分の財産になっている。
そんなことを改めて思いながら、少しだけ脱皮できた気がする、蛇年初めの話でした。