刹那
今という瞬間をどう表現しますか?
ありたい姿を具体的に描き、現状把握を行い、そのギャップを見定めて課題設定し、課題遂行のための具体的手段を明らかにして実行する。これは、戦略、デザインシンキング、コーチングなど、立場や状況で使う言葉は違えど、一般的に組織や個々人の成長や発展、目標実現のために行われる一連のプロセスである。このプロセスがいかに大事かは、これまでの組織運営や部下育成にコーチング等を取り組んできたことからも十分に理解もしているし体験もしている。ありたい姿にワクワク感があれば、そこに向けての実現性もより高まることも体感はできている。
上述のプロセスで具体的手段を実行する時には、意志ややりきる力というものは確実に上がるし、それを継続したりやり遂げる成果によって達成感を得ることもできる。目標がぶれなくなるし、だからこそ結果が出るから楽しいというサイクルも回りやすい。言語化により周囲の人の後押しも得られるようになることも前に進みやすい理由ではある。ただその一方で、そのサイクルの最中に、没頭や熱中をしながら、刹那的に物事を楽しめているかというと、必ずしもそのような状態にはなっていないケースもある。上述のプロセスは、思考の過程を経ているので、本能レベルで今ココというものを感じることとは、実はトレードオフになりやすいように最近思っている。
幸福を感じている時があるとしたら、その形の一つは、時間が経つのも忘れるほどに熱中できることがある状態だと感じる。熱中している趣味の時間、親友や愛する人との語らい、そんな時間は実は計画とは程遠いところにある。目標や成長は脇において、幸せを追求するとしたら、計画などせずに流れに身を任せる方がうまくいく可能性もあるのかもしれない。
先日の出来事でいうと、コーチングのアシスタントの依頼があったから引き受ける→当日新しい方との出会いがある→その中で深い話も伴ったセッションを行う→心理的安全の時間が得られる→満たされた気分になる→新たな自分の中の気付きも得られる。
この流れの中に、計画性などというものは一切なく、生じた流れに身を任せていたら、何故か幸せな時間を過ごすことができたし、結果として新しい気付き(≒成長)を得ることもできた。
旅行でもセミナーでも読書でも予期せぬ出会いがあったり、そこで生じるハプニングの中で喜怒哀楽を感じながらも時が経つのを忘れるような経験をすることがある。そう考えると、計画を立てない方が没頭できるという話にもなる。計画を作って目標を目指すのか、流れに身を任せて刹那を楽しむのか。二項対立のように、どちらかに偏るとバランスは悪くなるのだろうけれど、常に計画があることが良い訳でもないことを最近は感じている。最近はそんなことを考えながら、今という瞬間の心の動きも少し意識してみている。今日は突発業務が無かったこともあり、少し余裕があったので、無計画に午後は年休を取ることに急遽決めて、プラプラと町を歩いていた。平日の街の風景というものも意外に発見は多いし、面白いように感じた。こういうことが本能に従って生きるということなのかもしれない。ちょっとだけ、今までの自分のスタイルと違った生き方というものも以外に面白いと思う一日でもあり、もう少しバランスよく人生を捉えなおしても良いかなと思う一日でもあった。