言葉のお裾分け
「幸せな人生にしてくださいね」
別れの時にもらった最後の言葉。その時は気持ちの昂ぶりで耳も心も素通りしてしまった。ただ、冷静になって振返ると、とても素敵なフレーズだと改めて思った。「幸せにね」「幸せになって下さいね」「幸せを願ってます」似たような表現はいくらでもある。でも、「幸せな人生にする」というフレーズは、意志や主体性を強く想起させ、前を向こうという気持ちになれる。
今週に入って、会社の自部門や関係する部門の方々に口頭で退職の連絡をした。退職のことが公になったので、会社内でお世話になった方々に挨拶メールを送ろうと思った。さて、ビジネスの世界では、「ご活躍を心よりお祈り申し上げます」「ご健勝とご多幸をお祈り申し上げます」「益々の発展をお祈り申し上げます」などが一般的な締めの言葉として添えられる。でも思った。何だか味気ないんじゃないか。
そもそも退職の挨拶はなぜ送るのか。業務上、後任が誰かを伝えることは、ビジネスを持続させる上で大切だ。一方で、感謝の意を述べるのであれば、畏まった文体で儀礼的にやることは味気ない。退職という組織を脱して個に戻るというタイミングで、個を出さずに伝えられる感謝など無い気がした。
結局、ビジネス上必要な連絡は形式的にして、特にお世話になった方々には個別で挨拶を送ることにした。社員リストを眺めながら、直感的に挨拶したいと感じた方をピックアップして、出来事を一つ一つ思い出しながら文面に書き起こした。最後に一文を添えて。
「幸せな人生にしてくださいね」
言葉がどう響くかは、その時々の心境やシチュエーションで変わる。だから、私が感じたのと同じように、送った相手が感じるかどうかは分からない。それでも、自分が良いと思った言葉をお裾分けする。相手に少しでも響いてもらったら良いなと思いながら。
10人ほどに挨拶を書いたところでふと気づいた。何度も文字にした「幸せな人生にしてくださいね」というフレーズが自分の中で大きくなっている。
文章を送るというプロセスは、頭でその文章を想起し、キーボードで入力して画面上に表示し、間違いがないかを視認して、それから送信ボタンを押していることに他ならない。自分自身の頭にも指先にも眼にも、その言葉が染みこんでくる。
結局、感謝を述べようと思って書きはじめた挨拶で、一番得るものが大きかったのは自分なのだろう。言葉のお裾分けは、その言葉を自分の中で増幅させる。だからこそ、否定的な言葉ではなく、心地よい言葉を増幅させることが大事なのだろう。
言葉とは奥が深い。そんなことに気付いた一日だった。