たゆたう宇宙船(短編)
2023年『ラストで君は「まさか!」と言う』文学賞に応募した短編です。
ある日、宇宙人が地球にやってきた。大きな宇宙船を太平洋に着陸させて、何千という宇宙人が降り立った。彼らは触手で地上を歩き、人間よりも大きい体で世界の隅々を回った。
僕たちの街にも宇宙人がひとりやってきた。緑の蛍光色で、自販機の二倍ぐらいの大きさ。どこを行くにも目立つ風貌のやつだ。通称ミドリは学校近くの山を拠点にしたらしい。街を歩く以外に、何をしているかは誰もわからない。
学校はこんな時でも休みにならない。クラスの話題は宇宙人一色だった。
「あいつらは地球を征服しに来たんだ!」と言う奴もいれば、「ミドリはいいやつかもよ」と言う奴も。一番仲のいいサクヤは「あのつるつるした肌触ってみたいなー、気持ちよさそう」と言っていた。
それから、宇宙人たちが特別行動しないせいで、この世界は一か月もしない間に彼らに慣れてしまった。怖いな、と思ったけど、僕は誰にも言わなかった。
宇宙人が地球にやってきて一ヶ月が経った。その日は、世界の偉い人たちが突然決めた「休日」だった。どうしてか聞いたけど父さんも母さんも青い顔をしているだけだ。
ピンポン、とチャイムが鳴った。母さんが玄関に走る。僕も、父さんに背を押されて一緒に向かう。母さんは震える手で扉の鍵を開けた。
「あっ!」
隙間から見える緑。咄嗟に父さんにしがみついた。扉の前には、この街にやってきた宇宙人・ミドリがいた。
ミドリは噂通り、僕の何倍も大きかった。高いから見上げても、顔らしきものは見当たらない。宇宙人には顔がないのか、とぼんやり考えた。
ミドリから少し離れて、おじさんが三人いる。宇宙人を監視してるみたい。
宇宙人が触手を一本持ち上げて、手招いた。父さんと母さんが僕を前に、宇宙人の前に押し出した。どうして、と聞く暇もなかった。
宇宙人はパソコンのような機械を身に着けている。その機械が喋った。
『あなたはアサヒ・サトウ。十二歳。間違いはありますか?』
僕はおそるおそる頷いた。
「ない、けど」
『では、私達と共に来ていただきます』
その言葉を境に僕の記憶は途絶えた。
次に目覚めたとき、そこは僕が寝ているベッド以外何もない場所だった。
『お目覚めですか』
どこからかあの、緑色の宇宙人が来た。とっさに身構えるが、相手は気にしなかった。またあの機械が喋り始める。
『ここは船です。あなたの意識がない間にここまで運びました』
船というから、宇宙船が着陸した太平洋だと思ったが違うらしい。ミドリはここは宇宙のどこかだと言った。
『ご安心ください。チキュウは見える場所です』
「安心できないよ」
『そして、これは誘拐ではありません。チキュウとは同盟を結びました。私達のほとんどはチキュウから撤退し、あなたは一年間、ここで過ごします』
どういうことかさっぱりわからない。
『その間、あなたにはチキュウの人間と面会をしてもらいます。チキュウにいるあなたの関係者と、です』
「父さんとか……?」
『はい。チキュウとの交流手段はこれです』
モニターを差し出された。他にも設備は揃ってるらしい。宇宙人の言う通りにすれば、ちゃんと家に返してくれる。ごはんもちゃんとある。世界の偉い人たちもそれでオッケーしたんだって。宇宙人の説明はわかりやすかった。でも。
「なんで僕なの?」
重要なことだった。宇宙人と、宇宙なんかに放り出される理由が欲しかった。
『あなたが船を動かせるからです。この船はこれ以上動きませんが、あなたには動かせます』
「……動かせないよ。免許とかないし」
『動かせますよ』
宇宙人は部屋を出ていった。何もない部屋に残される。何もかもが突然で、心が追いつかない。でも、あとで出されたごはんはおいしかった。
一回目の面会日がやってきた。相手は父さんだった。ミドリが言うには、ただ話すだけでいいという。
「大丈夫だったか? アサヒ」
「うん」
宇宙人に引き渡すしかなかった、悪かった、心配していると父さんは言った。心配させないように笑ったら父さんも笑った。
面会が終わったあと、ミドリに別の映像を見せられた。父さんが、宇宙人と家に来たおじさんから大金を受け取っている映像。父さんたちの顔が嬉しそうに笑ってる。さっきの笑顔よりも何倍も明るい。
僕は宇宙人を睨んだ。
「何だよこれ!」
『これは事実です』
「父さんは心配してたって言った!」
『モニターに細工はありません』
宇宙人はそう言って出ていった。さっき話した父さんの笑顔が、とても汚いものに思えた。
次は友達と会った。
「宇宙人怖くないか?」
「お前がいないとさみしいよ」
普段なら、そんなこと言わないだろうに。僕はこそばゆくて、でも正直に「僕もさみしい」と返した。
面会が終わったあと、ミドリが言った。
『あの少年に小型の遊戯板を渡しました。その時の映像です』
友達は嬉しそうに飛び跳ねて、「アサヒが宇宙に行ってよかった!」と笑っている。見たこともないゲーム機で、仲良く遊んでる。
僕はミドリに枕を投げつけた。
知らない人にも会った。僕が住んでいた街とは遠く離れたところの人。
「大丈夫かい? こんな……宇宙人に連れてかれるなんて、びっくりしただろう」
終始心配そうにしていた。もう一つの映像では「面倒なことに巻き込みやがって」と苛立ったふうに叫んでいた。それからもずっとひどい言葉が並んだ。その日のごはんは食べられなかった。
それから、サクヤとも会った。
「サクヤ」
「アサヒ!」
緊張していた様子だったけど、僕が名前を呼んだらホッとしたようだった。
「大丈夫か? なんにも、怖いことされてないか? あと半年くらいで帰ってこれるんだって。絶対おれ、迎えに行くから!」
ずっと、会いたかったって。表情と、声と、仕草のどれも、必死だった。
サクヤとの面会が終わったあと見せられた映像は音がなかった。知らない宇宙人が金色の、一目で価値のあるとわかるものをサクヤに手渡しているところ。サクヤは、それを受け取っていた。表情が映りそうになって、そこで映像が終わる。
サクヤも僕以外のためにやってきたのだと思った。
もう誰とも会いたくなかった。でも、面会は必ず行われた。何人と、何人とも会った。
「なんで僕をこんなところに連れてきたの」
あるとき、元凶の宇宙人にそうこぼした。ミドリは『あなたが船を動かせるからです』と、あのときと同じ言葉を繰り返した。
誰かと会って、その誰かの他の映像を見て、それを繰り返した。ようやく、約束の一年が経ったらしい。その間に理解したのは、宇宙人が、嘘をつかないってこと。
今日が、最後の面会だという。
まだ電源の入っていないモニターの前に座る。今日はそれだけじゃなくて、赤い色のボタンが設置してあった。
「これは?」
『このボタンを押せばあなたは救われます。そして、チキュウの皆さんはこのボタンを押さないよう訴えています』
「え?」
『どうしますか?』
そう言って、モニターの電源がつけられた。音が鳴らない。けれどそこには必死で何かを訴えている人たちの顔があった。
ひとつのカメラに向かって、父さん、母さん、サクヤ、友達、先生、知ってる人、知らない人……。届かない声を真正面から僕にぶつけている。
ミドリは僕の隣にいた。
『このボタンを押せばあなたは救われます。そして、チキュウの皆さんはこのボタンを押さないよう訴えています』
同じ言葉を繰り返した。
僕は、宇宙人が嫌いだ。こんな、何もない恐ろしいところに連れ出して。でも、嘘をつかないことを知っている。
僕は、ボタンを押した。
瞬間、モニターの映像が乱れ始める。誰かが前にいたサクヤを押し出して、サクヤの顔が画面いっぱいに映し出された。目が合う。合っていないけど、サクヤはたぶん僕を見ていた。信じられないものを見るような、そんな目で僕を見ている。
画面越しの世界にざりざりと、不快なヒビが入って、つと消えた。
「なにが起きたの?」
ミドリに尋ねる。
『こちらをご覧ください』
青い星がモニターに映る。
『先程のボタンはチキュウを破壊するスイッチでした』
「え……?」
地球に亀裂が入った。それがだんだんと大きくなり、ばらばらと破片になっていく。
『ボタンを押さなければあなたは死んでいました。それは、彼らにも伝えています』
大陸も海もわからないほどぐちゃぐちゃになっていく星の様を僕は眺めていた。
『あなたは救われるというのに、皆さんは自らのためにあなたを止めようとしました』
ボタンを押す前のみんなの顔を思い出す。あのときは聞こえなかった声が、今の僕にははっきりとわかった。
やめて!
押しちゃだめ!
死にたくない!
だから。だから僕に。
……サクヤが僕を見た、あのとき。あいつは何を思ったんだろう。怖かったのかな。
ミドリが僕の手を握った。一年の間で初めてのことだった。サクヤが想像したような、つるつるした感触に手のひらが包まれる。
『恐ろしいことです。ですが、あなたは救われます』
ミドリを見上げる。その大きな体で何を考えているのか、やっぱりわからない。
『私達は嘘をつきません』
知ってる。僕の一年間は、それを証明するためのものだった。
『あなたはボタンを押しました。あなたは救われます』
「うん……」
『さあ、向かいましょう』
「どこに?」
『もちろん、あなたを救う場所です』
どことははっきり答えない。宇宙人のそういうところを、僕はきっと気づいていた。
しばらくして、初めて聞くエンジン音が聞こえた。足元がぐらつく。この閉じた場所が乗り物だって改めて理解した。停止していた船はようやく針路を決めたのだ。
でももう、なんだってよかった。これが乗り物だろうが、監獄だろうが。今はただ従おう。僕の救われる場所とやらに、サクヤたちはいないけど。
この宇宙船を動かしたのは僕だから。
読んでいただきありがとうございました。
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