夢の中まで忘れもの(掌編小説)
気持ちよく寝ていたところに体を揺さぶられ、うっそりとまぶたを開く。
「眠れない」
彼女は悪夢でも見たように苦しそうな表情で俺が目覚めるのを待っていた。
「羊でもかぞえなよ」
「もうとっくにしたよ」
「そう……羊はどう? 元気?」
「めちゃくちゃ飛び跳ねてる。牧場も満員になっちゃった」
「じゃあしょうがないなぁ」
彼女の限界をさとり、仕方なく上半身を起こす。彼女の頭を胸元に引き寄せて、後ろに回した腕で彼女の背中をさすった。
「ねむれない……ねむれないの」
「うん」
こもった声はひどくうなだれている。深刻な彼女を前に呑気に出そうなあくびをかみ殺した。たまにあるこういう夜は、寄り添う時間が必要だった。
「羊じゃなくて牛にしようか、ゆったりしてるし」
「襲ってこない?」
「赤い服装はやめておこうな」
「じゃあ牛にする……」
他愛のない話をしながら、彼女が落ち着くのを待つ。
「でもデートに行く日はあの赤いワンピースにする」
「うん」
出会った当時のものだからもう着れないだろうけど。
「金曜日はハンバーグ食べにいこうね」
「うん」
彼女のお気に入りの店は先週潰れてしまった。
「明日も家にいる?」
「うん」
朝から仕事に行かなければならないけど、彼女が夕方に目覚めてくれるのなら。
「君が起きたらちゃんといる。嘘ついたことないでしょ」
「うん」
これまで俺がついた嘘のいっさいをなかったことにして、彼女は頷く。
彼女の表情も少しだけ柔らかくなって、俺も眠気がもどってきた。あくびをしつつ彼女もろともベッドに体をしまいこむ。
「おやすみ」
「ゆっくり寝なよ」
「うん。……うしがいっとう、にとう……」
ぼそぼそと数える声に合わせながら毛布をたたいてあげるうちに、次に目を開けたときはもう朝になっていた。
カクヨムにて連載していた掌編集「お似合いだね」より。
マガジンにもまとめています。