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世の中、大したことは無い「コラム」

驚きと生きる!
イチゼロシステムのゆうさんです。

音声で本が聴けるAudible(オーディブル)を始めました。
車の運転中に聴くことにしたんですが、1.5倍速で聴いてもイライラしてしまうw
早く知りたいとか、ここはいいんだよ!って所まで同じペースで聴かされるから。
今度から、本とAudible両方で読むようにしようかな。。。
そして、寝る前に聴いても、まったく意味がない事に気づきました。

さて今回は、私の口癖ランキングトップ10に入る「大したこと無い」発言の源泉について、話してみたいと思います。

口癖は、その人の思考を反映したものだという所から、自分の価値観について探求してみたいと思ったので、ちょっと考察。
自分は、自分のことをよく分かっていないので、ちょっと整理してみたという感じでしょうか。

自分では、世の中を甘く見てはいないと思っているんですが、なにも、すべての事が大したことないと思っているわけではありません(笑)
自分もしくは世間的に難しいと思われていることのほとんどは、そうでもないと思っているということです。

さらに言えば、私にとって簡単だ大したことは無いということとも違います。
私にとっての得意分野ほど、人よりその難しさを知っているし、その事象に対しての難易度を甘く見積もることはありませんね。(当然ですが)

よく考えてみると、私にとって未知の分野か、不得意な分野を指して、大したことは無いと発言しているケースが多い様です。
では、どんな場面でそんな事思ったりするんだろうかと。。。

小学生の時からSFが好きで、雑誌newtonなんかも読んでいました。
ただし、内容は、ほとんど理解していなかったと思います。
でも、科学というものに凄いリスペクトがあったと記憶しています。

あの頃は、ラジコンに凝っていました。
組み立て式のトイラジコンというのに手を出したのが小学3年生の時だったんですが、8割がた父親に組み立ててもらったと記憶しています。


トイラジコンの電子回路は、ほとんどマニュアル通りに繋いでいけば、動くようなものなので、よく意味が分からないまま組み立てて動かしていたわけです。
感覚としてはまだ、自分には理解できる領域ではないと思っていましたね。

そのうち、モーターと配線とバッテリーを自分勝手につないでみたりしたんですが、7ボルトもあるバッテリーと高出力のモーターなので、ショートして火事になりそうになったり、手を切ったりして、今考えると、滅茶苦茶だったなと。

配線にしても、バッテリーとモーターをつなぐ配線のプラスとマイナス線を途中で繋げていたりしたもんだから、バッテリーを繋いだ瞬間爆発したりしていました。
とにかく、あの頃は、科学に対して狂ったように夢中になっていたと思います。

なんで、夢中になっていたのかを思い返すと、こういった初歩的な科学においても、私自身は当然ですが、大人もほとんどそれを理解していないし、選ばれた一部の専門家の領域であると思っていた科学が、自分にも理解できると感じられたからなのかもしれません。

なんだ?自分にも、皆にも、何か凄いものを創造する力があるのかと。
さては、それを皆、気づいていないなと。

こういった体験の中で、大きく印象に残っているのは2つあります。
ひとつは、スピーカーの分解。
家にあったでっかいスピーカーを急激に分解したくなった時があって、

スピーカーとスピーカーを銅線でつないてみたら、こっちの電磁石が電力を発生させて、あっちの電磁石が同じように動くことが分かって、超感動したっていう事がありました。

あと、家にあった家庭用の小型プロパンガスを見て、ちょっと待てよと、こんなに小さいのに、ずっと炎が出せるこいつは、どういう仕組みになっているのかと考えたときに、あ!ガスが、液体にされて閉じ込められているのかもしれないと閃きました。

そこに居た大人に、この中には液体が入っているんだと訴えたところ、「違うよこれはガスだから」と言われことを覚えています。
確信があった私は、「いや、絶対液体だ」と聞きませんでした。
面白いのは、大人から言われた、「ゆうちゃん、嫌われるよ」です(笑)。
もし、また会う機会があったら、説教したいくらいです。

結果、学校で習うんですよ、ほとんどの事は。
これって、何だろうと思いました。

ほとんどの人は、今知っている世界がすべてで、疑問を抱くことすらない。
世の中の事のほとんどは、難しいのではなくて、知らないだけだです。

世の中にスーパーマンが居るわけではなくて、ほとんどの人はスペック的に変わらないのだという事が分かった訳ですね。
所詮、同じ人間だと。

したがって、今「自分が知らないし出来ない事があって当然である」と知っておくことが必要であると同時に、ほとんどの事は、理解できるし、出来るようになるという事です。

それって、ある意味フラットな考えだと思うんです。
世の偉人や、すばらしい人物は沢山居ます。
しかし、彼らだから出来たのだと思っているうちは、本当にその人たちをリスペクト出来ていないと思うんですよ。

当然、ひとつの事に真剣に取り組めば取り組むほど、そのレイヤーは上がっていき、難易度は増していくので、仮に自分にもできると知っていたとしても、成し遂げることと同義ではありません。

もしかすると、大したことは無いという言葉は、自分を鼓舞するものとかではなくて、常に知らないものに対して臨戦態勢を敷きたいという欲の表れなのかもしれませんね。

やりましょうノ

読んで下さってありがとうございます。