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1970年代の散文8 椅子の空白


椅子の空白

 

 白壁に向かう椅子の空白に、耳をそばだてる日々が、幾日となく続く。
 部屋を飛び交う魚達の口許に滴る蒼黒い血は、えぐり出された私の心臓から流れ出たものだ。

終日陽は輝くことを拒み、腐臭漂う闇が私を包む。

ひび割れた眼球から伸びる針金は螺旋を描き、荒れすさむ海の彼方、沈みゆく難破船のマストに絡みつき、かすかなうなり声を上げる。

 人食い鮫の歯ぎしりは乙女の華麗な涙を誘い、少年の血を吸った緑の海草は、心地好さそうに、海底にゆらゆらと揺らめき踊る。

 貴方は、その目にしたもの、耳にしたものから逃れようとするのか。
 だがもうすでに遅い。
 全ては実際に貴方の眼前で起こってしまった事実なのだ。
 命尽きる時までそれを引きずって行かなければならない。
 更に、その後も。
 起こってしまった事実という奴は、時の流れの中に釘打たれ、もはや消え去りはしないのだ。
 どんなに身悶え、足掻いてみたところで・・・・・・・。
             


 私はといえば、この憎悪に満ちた茨の世界の中に、我が身を傷だらけになるまで放置しておくしか、術を知らない。
 そこここに転がっている私の肺臓と、引きちぎられた右足を見たまえ。
 私はもはや呼吸すらしていないのだ。

 私に最も相応しいもの、それは蛆虫共の饗宴。
 白くぶよぶよとした生き物たちが、私の体を舐めまわす。
 神聖なる、悪魔の下僕達、奴等の呻き声が聞こえる。
 私の体を流れる蒼い毒液が、奴等を苦しめる。

 見よ!、海が割れ、天が裂け、大地が火を噴く。
流れ出す溶岩が、ここへ押し寄せてくる。

 私の髪が
 私の爪が
 私の皮膚が
 私の肉が
 私の骨が
 音を立てて燃え焦げる。


何という喜び、
何という幸せ、
何という恵み。

1973/à Paris 一陽 Ichiyoh

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