東京国立博物館の「国宝展」を観て ~作品解説&鑑賞ポイント~
2022年10月18日より開催された
「東京国立博物館」(以下、トーハク)の特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」
「国宝展」と通称される展示についての感想になります。
なんと言いましても今更感…そして後出し感が半端ないです。noteの存在を数年忘れていたためですが、思い出した今が書き時と感じ書かせていただくことにしました。
国宝展は、トーハク開館150周年を記念した事業となり所蔵している全89件の国宝を蔵出ししてくれる、とんでもなく贅沢な展示です。歴史や美術の教科書に必ず載っているような超有名作を一挙に目にする機会は早々ありません。前年2021年の情報発表から楽しみにしておりました次第です。
■トーハク展とは
以下、トーハク国宝展公式サイトより。
さらに気になる方は、東京国立博物館の公式サイトへ!
■国宝展の見どころ作品
偉そうに見どころなど語れる立場ではありませんが、一応、美術史専攻で学芸員資格を持った身なのでそれらしく語れたらと思います。
絵画、書籍、東洋書跡、漆芸、金属工芸である刀剣など、数多の美術品がありました。質の高さや希少性などが認められ国宝となっているものです。そこに優劣はなく、あくまで個人的な好みとしてお伝えします。
◉秋冬山水図 雪舟等揚筆
歴史の教科書に必ず出てくる水墨画の大家・雪舟の作品です。今までも紙面に印刷されたものなどは幾度として見てきましたが、これは迫力がありました。水墨画って墨の濃淡で描くので「ふわ~」っとしているイメージだったのですが、あまりに力強いタッチで構図がビシッと決まっていることに驚きました。
そんな本作は、二幅一対の作品となり、右幅は奥から手前へとモチーフが配され整頓されている様子ですが、左幅は反対に崖や山が複雑に織りなす抽象表現となっています。
また左幅は冬の季節である雪を示すものの、右幅には秋を示すモチーフはありません。このことから現在は「秋冬」となっている題名ですが、以前は「夏冬」山水図や「春冬」山水図として解釈されていた時期もあったようです。
◉埴輪 挂甲の武人
このすらりとしたフォルム、端正なお顔につぶらな瞳の彼は、「トーハクのプリンス」とも称されるイケメン「挂甲の武人」。私も大好きな作品です。群馬県太田市飯塚町出土した古墳時代の人物埴輪になります。
この「挂甲」(けいこう)とは、当時の甲冑の名前のこと。全身を武装していて、しかも弓や剣まで所持していることから身分の高い人をモデルに作成されたと考えられています。また6世紀の東国の武人の装いを知ることができる貴重な資料です。
本作は3年に及ぶ解体修理を経て、修理後初のお披露目が国宝展になります。もともとバラバラの状態で発掘され、それをくっつけて完全な形になっていますが、石膏などの経年劣化により補修が必要と判断されました。今度は今までなかった弓の先端を、剥離跡などをてがかりに復元できたとのこと。本当に今の技術ってすごいですよね。
リニューアルした部分と復元した部分を合わせて、存分に見学してきました♪
◉舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦
山形に盛り上がった蓋がなんだか可愛らしい、それでいて大きく作り込まれた舟と橋の図柄が印象的です。江戸時代初期ながらモダンなデザインですよね。こちらは筆やペーパーナイフ、水滴などを納める箱です。蓋の表面に散りばめられた文字は平安時代の貴族「源等」(みなもとのひとし)が詠んだ和歌になっています。舟橋といったワードが出てくるのですが、それは図柄で表現されているため省略されています。
制作したのは、江戸時代のマルチアーティストの本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)です。本阿弥家といえば、豊臣秀吉から刀剣鑑定や折紙発行なんか許可されたことでも有名な一族。本阿弥光悦は、刀剣だけではなく、書家や陶芸、蒔絵など色々な芸術でも成功を収めている人物です。また俵屋宗達や尾形光琳らと一緒に琳派を創始させ、のちの日本文化にも大きな影響を与えています。
◉褐釉蟹貼付台付鉢 初代宮川香山
なんという…リアルな蟹でしょうか…。本物さながらの蟹が二匹付けられており、もうそれだけで心動かされる作品です。蟹の質感を出すために釉薬が何層にも塗られているのが、表面のツヤからもよく分かります。宮川香山の細かさはもう、筆舌に尽くしがたい魅力が詰まっています。
焼き物でここまでのリアルさを出すのは非常に困難ことなんです。しかもこちら焼いてから貼り付けているわけではなく最初から付けたまま焼いているんですよ。材質が粘土である以上、乾かしたり焼いたりすれば当然縮みますよね?それを最初から計算して制作するという、とんでもない技術を駆使しているんです。
作り手である宮川香山は、京都で生まれてそこで繊細な京焼の技術を学んでいましたが、明治時代に横浜に移住。海外向けの輸出陶磁器の制作をするようになります。特に明治以降、日本の伝統産業は浮世絵や刀剣の影響もあり人気を博していた時代でした。宮川香山はこうした活躍が評価されのちに現在の人間国宝に相当する帝室技芸員にも選ばれています。
宮川香山の子孫の方が運営される美術館「宮川香山 眞葛ミュージアム」もあります。
http://kozan-makuzu.com/
■刀剣乱舞に登場する国宝6振+αの鑑賞ポイント
実は私、刀剣擬人化ゲーム「刀剣乱舞」のユーザーでいわゆる審神者と呼ばれる者でございます。ゲーム内に登場するキャラクターの刀剣6振を展示してくださるということで、こちらも楽しみにしていました。一応、刀剣とキャラクターは切り離して考えているつもりですが、気持ちがはみ出ている可能性もあるためここに注意書きを…。
「どの美術品も全部良い」というのが本音なんですが、なかでも刀剣を何より楽しみにしていた審神者なので少し多めに尺を取っております。+αで気になった刀剣についても感想を書こうと思います。
◉三日月宗近
日本で一番美しいと称される日本刀で「天下五剣」の一振にも選ばれている名刀です。
正式名称は太刀「銘 三条 (名物 三日月宗近)」。言うなれば「(京都の)三条に住んだ宗近さんが打った太刀で、愛称は三日月です」というところです。「名物」は江戸時代の刀剣書「享保名物帖」に記載があることを示しています。太刀は刃長の長さによる刀剣の区分で、おおよそ80cm~90cmくらい。平安時代中期からだいたい室町字時代中期頃まで主流だった形式です。
「三日月」の号は、刀身の「物打ち」に三日月形の「打除け」(うちのけ)と呼ばれる刃文が見えることに由来します。真っ直ぐ刀身を覗いたとしてもそれらの刃文はあまり見えなくて、角度を変えたり自分で見る方向を変えることでなんとなく浮かんで見えてきます。
今回は、さすがトーハクというべきか、見せるべき箇所がドンピシャで見えるように高さやライティングが設定されていましたね。誰もがすぐに「三日月形だ」と分かるようになってます。これはすごい!
個人的に三日月は姿全体が細身でうっとりするくらい優雅なのも見どころ。しかも「腰反り」といって、手元あたりからちょっと湾曲しているのがさらに優美で品格高く映ります。
また平安時代中期~末期に鍛えられたものになり、刀身自体もやや摩耗してるところが見て取れるのも古刀の良さかなと。
※物打ち → 斬るとき、対象物に触れる箇所として最も切れる部分
※打除け → 刃文のなかの細かい粒子「匂」(におい)が作る形状のこと
※刃長 → 刀身の刃がついている部分のこと。
◉童子切安綱
こちらは三日月宗近とは違った方向性で有名かもしれません。平安時代の武士「源頼光」が退治した鬼「酒呑童子」を斬ったときに使用したなんて逸話を持ちます。号はそこから由来。この逸話が私達を生かしてくれる栄養源であり、また童子切を童子切たらしめる所以なのです。
正式名称は太刀「銘 安綱 (名物 童子切)」。「安綱さんが打った太刀で、愛称は童子切。享保名物帖に記載がある名刀です」という感じです。
三日月と同様に、腰反り高く踏ん張りの強い、美しく湾曲した姿が特徴。また鋒が小さいので優美な印象を与えてくれます。また地鉄(じがね)といって、刃文と棟の間の部分が複雑で良き。古刀の刀は、刃文も地鉄も観る角度で千差万別、色々な表情を見せてくれるのが面白いです。
童子切を鍛えた刀工・安綱は平安時代中期頃の人で実在したとされていますが、詳しい情報が少ないことから存在自体が伝説的な人物。古い時代の刀工によく見られるのがこういった情報の薄さです。
◉大包平
大包平は、あまりに素晴らしい日本刀だったため戦後にGHQのマッカーサーが所望したと伝わる名刀です。しかも引き下がった理由が「自由の女神と引き換えならいいですよ」と言われたからだというのも有名な話。
正式名称は太刀「銘 備前国包平作(名物 大包平)」になります。「備前国(岡山県)に住む包平が作った太刀。愛称は『大包平』で享保名物にも掲載されています」といったことです。また大包平の「大」は、「大きい」とか「素晴らしい」のような意味が込めらています。
実は大包平を観るのは、とても楽しみにしていたんです。大きい大きいと先程から書いていますが、本当に大きいんです(笑)大包平が打たれたのは平安時代末の頃で、当時の太刀の平均的な長さを超える89.2cmを誇ります。一般的にこの長さは鎌倉時代中期に多いことと、通常だと重さも2kgはあるはずなんですが、1.35kgと超軽量。
現代人の感覚としては全く軽量ではありませんが、あくまで日本刀としての軽さです。刀装具をつけて1kgちょい過ぎくらいが多かった時代でしょうか。
しかも刃文がくっきりはっきり見えるというのも、かなり時代を先取ってます。知らずに「相州風ですよ」と言われたら納得してしまうかも…。
そんな大包平は古備前という古い刀工一派に属する刀工なのですが、基本的には直刃調の小乱れ匂出来の繊細な刃文が多いんですよね。でも大包平は真逆で、小丁字にやや湾れ、沸出来とかなりかっこいい刃文。身幅もかなりあるので迫力がすごんですよ。
ぱっと見てかなりカッコよくて豪壮な印象なんですが、反りが非常に高いので荒くれな印象が霧散して上品に見えるからすごい。ものすごい計算の上に作られてるなぁと素人ながら思います。なので本当に不思議な魅力を持つ刀剣なんですよね。
◉厚藤四郎
短刀作りの名手と言われた藤四郎吉光の作で「銘 吉光(名物 厚藤四郎)」になります。藤四郎吉光は鎌倉時代初期の刀工で当時から人気が高かったんですが、江戸時代になる頃には「正宗」、「郷義弘」と並んで「天下三作」なんて呼ばれるようになります。
私も何振かの藤四郎吉光の短刀を見てきましたが、姿や造りに微妙な違いはあれど、刃文の冴えや地鉄の美しさはすべてに共通しているなと思いました。地鉄が本当によく整っていて綺麗です。吉光特有の梨地肌とも言われますが、細かくてとにかく粗がない。
相当、均一に鋼を折り返していないとこんな模様現れないでしょうね…。
すごい技術です。
厚藤四郎も意識しなくても、最初に地鉄に目が行きました。それくらい異様な輝きをしていたんですよ地鉄が。また厚藤四郎は「鎧通し」といって、戦で取っ組み合いになったときに相手の甲冑の隙間から攻撃できるよう重ね(刀身の厚み)が厚く作られています。それが由来になった号になりますが、なんと1.6cmあります。これは相当な厚みです。
ただ、展示上重ねまでは見えなかったので一生懸命、棟を見ようと下から覗いてました(笑)
サイズは小さくて可愛いのに、厚みがあるという、ギャップ萌え的な刀剣。しかも地鉄が綺麗だから美肌刀剣でもあります。
◉亀甲貞宗
亀甲貞宗の作者、貞宗は相州伝の実質的な創始者とされる「正宗」の子もしくは養子と言われる刀工です。正式名称は刀「無銘 貞宗(名物 亀甲貞宗)」。実は私、貞宗が打った脇差「物吉貞宗」が好きで所蔵先の徳川美術館にもよく通っています。
貞宗の良さは、なんと言っても地沸のきらめきなんですよね。師匠である正宗も沸が強く出ますが、刃縁が冴えるようなきらめきなので、どちらかといえば凛々しく刀剣になります。しかも刃文が自由奔放に飛び回る炎のようで本当にかっこいいんです。
対して貞宗は刃文や刃縁ではなく、地鉄に細かな沸が出現しているので全体的にふわっと優しい雰囲気になるんですよ。刃文もなんというか匂口深めのはずなんですが、どことなくぼやんっとしていて、個人的には落ち着きます。師弟で、同じ沸の使い方で、ここまで違いが出るのもすごいことだなと思います。
亀甲貞宗の良さもまさにその辺りになりますが、こちらは大磨上げ無銘といって本来太刀だったものを短く詰めた刀剣。あと差裏の茎の端っこには、号に由来する「花菱亀甲紋」が入ります。こちらとっても可愛いです。大磨上げなのに残してくれてありがとう!ってなります。短くしてこの位置に紋を残せるということはですよ、磨上げ前は相当長かったんでしょうね。
※差裏 → 打刀の差し方(反りが下向きになる)。腰に刀を差した際、体に接する側のこと。
◉大般若長光
大般若長光のこのおどろおどろしい号は、六百貫という当時としても高値の価値づけをされていたことから、六百巻ある仏教の大般若経からちなんで付けられました。現在の価値に換算すると6,000~9,000万円に相当するそうです。とんでもない金額ですね。
長光は、備前長船という一大刀剣産業を生み出した祖・光忠の子で、光忠と同じく小互の目に美しい丁字乱れの刃文を得意としました。華やかな刃文に、匂口冴えて凛とした雰囲気をしています。
大般若長光もその特徴をビシバシ出しており、さすが眩しいくらい美しかったです。実物観ないと分かんないだろうなと思っていた乱れ映りもしっかり捉えました!!嬉しい!!
◉小龍景光
小龍景光は長光の子による刀です。正式名称は太刀「銘 備前国長船住景光 元亨二年五月日(小龍景光)」で、備前国長船(岡山県瀬戸内市)に住む景光が打った太刀。1322年5月に作りました」となり、銘に日付が入るのは年紀銘と言います。
備前長船は光忠→長光→景光、さらに兼光へと名跡は続く一大派閥です。基本的には光忠の丁字乱れを継承しつつ、うまく当時の流行を取り入れるなど柔軟な変化をしいます。
小龍景光はやや抑えめの直刃で、景光晩年の作です。号の由来は、佩表の樋中腰元に小さな「倶利伽羅龍王」(くりからりゅうおう)の彫物があること。しかし刀装具をつけると、龍の頭部のみが見えるこのことから「のぞき龍景光」の異名をもちます。また佩裏には、梵字の彫物があります。
磨上げられているようですが、そんなものを微塵も感じさせない健全な姿でした。良い刀の定義は様々ですが、とにかく良い刀は、短かろうが欠けていようがそれが味になるものですね。
※佩表・佩裏 → 太刀の下げ方(反りが上向きになる)。佩裏は体に接する側の刀身、佩表はその反対側。
■国宝展に行ってみて
一生分の美術品をぎゅっと凝縮したような濃厚な展示でした。楽しみにしていた分だけ思いもひとしおと言いますか、最高に楽しかったです。
やはり教科書でしか観たことのないものが多かったので、「これ、本当に有ったんだな」としみじみ思ったりもしました。
一挙に展示してくださる機会は今回が初の試みだったようですが、国宝作品自体は定期的に展示されるので機会を合わせることができれば今回観た作品にもまた出会えるでしょうかね。
まぁ、かと言って関東近郊に住んでるわけではないので、なかなか行くことが出来ないのが現実です。
あとは「開館150周年」なので、もしかして次あるとしたらまた150年後⁉なんてことも少し思いました。
でも今回の展示は相当、話題になりましたし150年後と言わず30年とか50年後くらいにやってくれると嬉しいです。とりあえず私が生きていて、自分の足で行ける体力があるくらいのスパンがいいなぁ。
美術品についての解説部分は資料等を見ながら書いていますが、間違っていたらすみません。あと、感想はあくまで個人の解釈です。
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