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夜中のカラス

こんな夜中に家の外でカラスが鳴いている。

カァカァのァの抑揚が独特にはね上がる声。
カラスの鳴き声にも意味があるのだろう。私には分からないけれど、少しさみしげに聞こえた。やがてカッカッカッと短く歯切れのいい声になり、遠ざかっていった。仲間を呼んで、無事に合流できたのかもしれない。


カラスはゴミを漁るからかあまりいいイメージを持たれていないようだけれど、私は案外憎めなくて好きだ。

いつか、街中で建物の写真をスマホで撮っていたら、突然頭に衝撃を感じたことがあった。鋭い爪が髪と頭皮をガシッと掴み、すぐに離れていった。頭に羽ばたきの微風を感じ、カラスの後ろ姿が目の前を飛んでいった。

カラスが私の頭の上をワンバウンドしていったと理解するのに数十秒かかった。

巣作りの季節だったのかもしれない。そこへ私が街中でスマホをかざしてウロウロとやってきたら、カラスからしてもさぞかし不審者に見えただろう。あるいは、まだ飛び慣れていない子どもカラスがうっかり目測を誤って人間にとまってしまったのかも。

どちらにしても、まぁいいかと思えた。
カラスの爪の鋭さを頭皮で体感できる機会もなかなかないし。少し痛かったけれど血が出るような怪我にもならなかった。

あのカラス元気にしているかな。
他の人間の頭にワンバウンドしてなきゃいいけど。

夜中のカラスのさみしげな声をきいたら、私も少しさみしくなったので、なんとなくこの文を書き始めた。


そういえば昔、建物の密集した狭い路地を歩いていたら、前の方を歩いていたおばあさんがこそこそしながら急に宙に向かって何かを放り投げた。するとどこからかサッとカラスが飛んできて、それをキャッチした。カラスが嘴に咥えていたのは赤いウインナーだった。

カラスに餌付けなんてしたら近所から文句を言われるだろうから、おばあさんは見つからないようにこそこそしていたのだなと気づいた。おばあさんとカラスの感じからして、餌付けはしょっちゅう行われているようだった。ツーカーの間柄とはこのようなことだなと思った。


カラスという鳥はなんとなくさびしい感じがする。おばあさんもきっとさびしかったろう。カラスはそういうさびしさを少し分かってくれそうな気がする。都会を生きる厳しさも孤独も、カラスは他の鳥よりも身に沁みて分かっているような、だから人間の気持ちも分かってくれそうな気がするのだ。


この冬は暖かいので、カラス達も少し過ごしやすいかもしれない。窓の外からはもう隣の家の換気扇の音しか聞こえなくなった。さっきのカラス達ももうどこかの寝ぐらに帰れただろうか。私も布団に潜りこもう。