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ひどい冷やし中華の話
冷やし中華に興味がない。
毎夏の「冷やし中華はじめました」は風物詩だから趣を感じるけれど、お店で自分で注文したことは一回もない。
食卓に並んだら頂く。たまに食べれば悪くはないと思う。だが自分の意思で食べることは一生ない。一生だ。
たぶんガキの時分に食い過ぎたのだ。
普通の人の一生分を上回るくらい食ったので、もういい。きっとアレルギー発症するか致死量に至るかの寸前まで食っていて脳が危険信号を発しているのだ。
父と祖母の大好物が冷やし中華で、夏は週一で冷やし中華だった。ウチの両親は共働きで夕飯は同居の祖母が作ってくれていたので、父と祖母の好みがモロに反映されていたのだ。祖母が献立を考えるのが大変ということもあったのかもしれない。
幼い頃は出されたものを何とも思わずに食っていたけれど、思春期くらいになって「あれれ?」と思うようになった。なんだかこの料理はもう食べたくないぞと。そしてどうしたのかはあまり覚えてないが「私の分はいらない」くらいのことは言ったかもしれない。
冷やし中華は作ろうとしたら具材を切り刻みまくらないといけないわけで、作る祖母からしたらせっかく手間隙かけて美味しく作ったのにというところかもしれず、今それを思うと誠に申し訳ない。しかしもう致死量寸前なのだ。一生分いただきました。よって大人になった今、私が冷やし中華を自分の意思で食うことはない。
だいたいあの具材の意味が分からない。
ハムはともかく甘い卵焼きと生の青臭いキュウリをなぜいっしょにしようと思ったのか。
自分としては単純に合わないと思うのだが、夏に冷やし中華を出されて頂いていると「冷やし中華の味だな」と思う。旨い不味いではなく「冷やし中華の味」だと思う。慣れというのは不思議なものだ。
しかしある日気づいてしまった。大人になった私はもう自分で冷やし中華を作ろうと思えば作れるのであり、であれば、具材だって勝手に好きなもんをのせていいのだ。
というわけでこの夏、自分ひとりで自分の分のメシを作るとき、そして冷蔵庫に冷やし中華の袋麺が余っているとき、自分用の冷やし中華をちょいちょい作っていた。
好きなもんをのせていいので、栄養バランスなんか全く考えず食べたいものを食べたいだけのせる。冷やし中華の袋麺についてくるタレは案外懐が広くて、大抵の食材とはケンカはしない。めちゃくちゃ合うというわけではなくても、まぁ普通に食べられる。
例えばこんなのを作った。
![](https://assets.st-note.com/img/1726586366-bWgLQqOJ7KiYeXZDraz0tMB6.jpg?width=1200)
イタリアン風冷やし中華
これはほぼ冷製パスタみたいなものであろう。普通に美味しかったが、余っているのでなければわざわざ冷やし中華の麺を使うにはおよばない。たぶんパスタにしたほうが美味しいです。
こんなのも作った。
![](https://assets.st-note.com/img/1728693035-I2HD1Z7drF59bjKnV0SBviw3.jpg?width=1200)
罪滅ぼしのトマト、トドメの食べるラー油
ほとんどコンビニ食材
これはたぶん医師に見せたらキレられるであろう。
余り物をすべてのっけただけのシロモノ。
冷蔵庫の整理の際に有効な料理といえばこれまで圧倒的にカレーが活用されていたと思うのだが、冷やし中華もわりと使える。これもまぁ普通に美味しかったというか、見たまんまの肉肉しい味でした。
この夏にそんなひどい冷やし中華を食べていたせいか、パンツのサイズがMからLにグレードアップしつつあります。
……栄養バランスのとれた食事って大事ですね。そう考えると、野菜も卵も肉も炭水化物も入っている正式な王道の冷やし中華が、やはりいちばん優れているのかもしれない。