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迷い道の教え

田舎の祖父は、製鉄所で働きながら先祖代々続く田んぼと畑を守っていた。

夏休みに遊びにいくと、妹と私はよく軽トラの助手席に乗せてもらって、田んぼ仕事に行く祖父にくっついていった。祖父が田んぼを手入れするそばで花を摘んだり虫を追いかけたり、お手伝いと称して原木から生えた椎茸をもがせてもらったりトマトを摘ませてもらったり。大人になって振りかえると、あれはいい時間だったと思う。

田んぼや畑は、山を切り開いた斜面にあった。軽トラで巡れるように広いあぜ道をつけてあった。

しばらく田んぼや畑に手入れをしてから、祖父はまた私と妹を軽トラの助手席に乗せて、家路につくのだった。

あるときの帰路、祖父は帰り道を間違えた。曲がるべきあぜ道を曲がらなかった。気づいたのは妹だった。
「じいちゃん、そっちじゃないよ。こっちだよ」
「あぁそうだった。よく分かったなぁ」
祖父はそう言って笑い、そして「でも大丈夫。すべての道はつながっているから」
と言った。

そして少し走った先で曲がり、正しい道へと戻っていった。

このときの「すべての道はつながっているから」という言葉は、私たちの記憶にずっと残っている。

妹と出かけて道に迷いそうになると妹は今も、「大丈夫だよ!すべての道はつながっているから!じいちゃんの教え!」と言う。

祖父の大事にしていた田んぼや畑は、高速道路の通り道になった。最後に祖父に会った夏、もう工事が始まっていると聞いて、田んぼのあった山を見に行った。田んぼに続いていた林道を少し上がったら、すでにその先の山まるごと裸になり、切り開かれ剥き出しになったドロドロの赤土の地面を蹴散らして工事車両や重機がせわしなく働いていた。すごすごと帰って、祖父に「あれは酷いありさまだね」と言ったら、祖父は諦めた感じでさみしそうに笑っていた。

祖父は長生きした後、風邪を引いたようなことを言って病院に入院したとたん意識がなくなり、眠るように亡くなった。