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その日、全世界で(第2章)

第2章 ココとの思い出
 
 家に着くまでの電車やバスの中で、高校時代の出来事を思い出していた。私と由香とココは同じクラスで英語好きという共通点があった。よく洋楽や洋画の話をして、将来は英語を使った職に就きたいなどと夢を語っていた。そんなときにココが英会話学校の講師から教会に誘われ、通い始めた。
 ココはその教会に通い始めてから、人が変わってしまって、あまりみんなと話さなくなり、私たちの輪の中にも入ってこなくなった。
 日曜日に遊びに行く約束を持ち掛けても、ココは、決まって日曜日は教会だから行けないと言うし、机をくっつけて食べる楽しいお弁当の時間も、さっさと食べて一人自分の席で聖書や聖書に関する本を読むようになってしまった。
 私たち仲良しグループは、ココが変に変わってしまったことを残念に思い、教会を敵視するような発言を繰り返すようになった。
 そんな時に由香ともう一人の友達、奈々子が、突然金曜日の放課後にその教会に乗り込み、牧師に文句を言ってくると言い出し、本当に行ってしまった。初めの勢いはどこに行ったのやら、結局二人は、牧師ファミリーの温かい歓迎と美味しい食事に魅了され、何をしに行ったのかわからないという結果に終わって帰ってきた。教会に変なルールがあるわけではないと分かったし、牧師ファミリーがみんないい人だったから大丈夫とだけ、私たちは報告された。それ以来もう誰もココの信仰生活に干渉しなくなった。
 ココはその後も熱心に教会に通い、大学進学も教会の牧師に相談して決めていた。推薦入学でココが希望した女子大学には一人だけの推薦枠に、ココ、由香、奈々子の3人が応募し、クラスの中で三つ巴の戦いとなる展開となった。
 ある日、進路指導部の村山先生が私たちの教室に来て、私に手招きした。私が行くと、村山先生は私にその女子大の推薦を受けてみないかと持ちかけてきた。しかし、当時の私は女子大には全く興味がなかったので、その場で断った。
 内申点が私の方が3人よりもほんの少しだけ高かったので、村山先生はそう言ってきたのだ。私の進路を考えてではなく、彼女たち3人を争わせたくないというのが見て取れた。
 正直なところ、私は誰が勝ってもいいと思っていた。どうしてもその大学に行きたければ、一般入試で、再度挑戦すればいいだけのことだ。それなのに、なぜそんなに学校側も競わせることに躊躇しているのかが、私にはよくわからなかった。
 結局、3人で学内選考試験が行われることとなった。内申点では差がないためだ。私は由香が選ばれるだろうと思っていた。由香は体育会系の部活のキャプテンだった上に、様々な分野でひときわ活躍が目立つ生徒だったからだ。
 しかし、予想に反して選ばれたのはココだった。クラスの大半が、結果を聞いてどよめいた。みんなにおめでとうと声をかけられたココは、同じ言葉を何度も、何度も繰り返した。
 「これは、私の実力ではなく、神さまがしてくださったことなの。教会のメンバーみんなも祈ってくれていたし、お祈りが聞かれただけなの。私の実力ではないの」
 この言葉を何度ココから聞かされたことか。その度に私は強い反発を覚えた。(何が神様よ。私がこの推薦を受けていたら、私だったというのに)
 何度も何度も同じ言葉を繰り返すココに私はとうとう我慢ができなくなって、村山先生から私が推薦を受けるように勧められたことを話してしまった。すると、ココは表情を変えることなく、こう返した。
 「そうだったのね。確かに、みゆが希望したら、みゆだったよね。だけど、みゆは行きたくないと思ったのでしょう?神様はみゆの心もコントロールされるお方だから。神様は、なんでもおできになるから」
 私は、もう何も言い返さなかった。宗教の恐ろしさに閉口してしまったのだ。事実を話した私に、神様だの神様が私の心までコントロールしただのと返されては、もう何も言い返す気にはなれなかった。むしろ、これ以上ココとは付き合うのをやめよう、そういう気持ちでいっぱいだった。
 家に着いて、夕飯の用意をしていると高校2年生の末っ子の息子、勇太が、興味津々に由香のことを聞いてきた。
 「由香ちゃんの話ってなんだったの?」
 「由香がクリスチャンになったっていう報告」
 「クリスチャンって、キリシタンのこと?」
 「そうそう。勇太もキリシタンって言うのね。お母さんもそういう言い方してさ、古すぎると言われちゃったわ」
 「僕のクラスの女子もそれだよ。だって、文化祭の打ち上げの時にさ、バーベキューに誘ったけど、日曜日で教会があるから行けないってメールで言われたことあるから」
 「そうなの。同じクラスにいるのね」
 「僕の演劇部の先輩もその子と同じ教会に通っていると言っていたし、結構、僕らの周りにはいるのかもね。知らないだけでさ」
 「ふーん。やっぱり二人ともまじめな感じ?」
 「いや、二人とも超明るくて、先輩は生徒会の会長もしているし、クラスの女子はESSと剣道部を兼部している、まさに文武両道の完璧な感じの子」
 「ふーん。お母さんの時代のクリスチャンって、眼鏡をかけていて真面目であまり話さないみたいなイメージだったけど」
 「そんなの、お母さんの偏見だよ。今の時代、そんな偏見持っていたらすぐにたたかれるよ。気をつけな」
 そう私を諭しながら、勇太は私が作った肉じゃがとお味噌汁を黙って食卓まで運んでくれた。男の子2人の末っ子なのに、勇太はとても気の付く優しい子で、手伝いもよくしてくれるので助かっている。
 食卓におかずを置きながら、
 「亮ちゃん、今日は何時に帰るの?」
 と、長男で大学生の亮介のことを聞いてきた。亮介は現在大学3回生。バイトと就活で大忙しの日々である。
 「今日もスーパーのバイトがあるから10時半くらいかな、多分。だから、先に食べよう。お父さんにご飯って言ってきて」
 「うっす」
 我が家は在宅でWebデザイナーをしている私(みゆ)と食品メーカーに勤務している主人の康介と、長男で大学生の亮介、次男で高校生の勇太、そしてオス猫のミルクとで、一軒家に暮らしている。私以外は男ばかりだが、私が男っぽい性格なので居心地は悪くない。
 「お父さん、由香ちゃんクリスチャンになったって」
 早速、今聞いたばかりの話をする勇太。夫もさほど、驚くこともなく
 「へーっ。話ってそれだったのか。なるほどね」
 私は、今日自分が思い出した高校時代の話を二人にして、こういういきさつがあったから由香がクリスチャンになったということも話した。すると、勇太が
 「お母さんもそのうち、私もクリスチャンになりたいとか言い出すかもね。僕はちなみに反対しないよ。だって、日本は宗教の自由が認められているし、クラスの女子や先輩もいい人たちだし、悪い宗教じゃないってわかっているからね。由香ちゃんも、いつにも増して綺麗でイキイキしていたのでしょう?ぼくも会いたかったな」
と言ってきた。
 「お母さんはならないよ。宗教は嫌いだから。別に、なんでもいいけど一つの宗教だけが正しいみたいなのは嫌いだから。お母さんは生涯、無宗教を貫くよ」
 「まあ、いいじゃないの、それはそれで。人はそれぞれ、自分の人生だから、自分で自分の人生を決めればそれでいいのだから。さあ、冷めるし早く食べよう」
 勇太のこの言葉で、この日のクリスチャン談義は終わった。私は食後、洗い物をしながら、お風呂に入りながら、ずっとココのことを考えていた。私にとってココは、とても心に残る印象的な人だった。カトリックの高校だったので、カトリック信者の友達も数人はいたが、だれも特に印象には残ってはいない。
 高校では年に一度か二度、ミサが行われ、それには全校生徒が出席しなければならなかった。その際にカトリック信者は白いベールを被って神父様からパンという名の薄いおせんべいのようなものを口に入れてもらっていた。そのことだけは覚えている。毎回、友人とどんな味なのか食べてみたいよねと話していた記憶があるからだ。食いしん坊な私らしいエピソードである。
 しかし、ココは強烈な印象を私に与え、その時の光景が今でもはっきりと思い出されて色あせることがない。あれは、高校2年の宗教の授業の時だった。カトリックでは、仏教でいうところの数珠のようなもの、「ロザリオ」を手にして、祈りをささげることがある。真面目に祈っている子もいれば、先生のシスターが目をつむって祈っているのをいいことに漫画を読んだり、別の勉強をしたりしている生徒もいたが、私はうとうとと居眠りをしていた。
 しかし、その時、ココがいきなり大きな声で
 「シスター鈴木」
 と言葉を発したことで目が覚めた。好き勝手なことをしていた全員が驚き、教室中が大慌てのところを、ココはすっと立ち上がり、こう言ったのだ。
 「シスター鈴木。私はプロテスタントのクリスチャンになりました。ロザリオの祈りは私たちにとって偶像礼拝にあたります。なので、私はこの祈りには参加できません」
 教室が静まり返った一瞬だった。誰もが驚き、何も言葉を発しなかった。
 (かっこいい!何これ。ココ、めちゃくちゃかっこいい!意味は分からないけど、クラスメイト全員の前で、こんなに堂々と自分の信条を言えるなんて。すごい!でも、いくら何でも、これは認められないでしょ。ここはカトリックの学校だし、それを分かって入学しているはず。これは、無理だ)私は心の中でそう思っていた。
 すると、シスターが一呼吸おいて、穏やかな口調でこう返した。
 「松田さん(ココの苗字)、あなたの信仰を認めます」
(シスターもかっこいい!なにこれ、両者ともにかっこいい!)
 そして、そのロザリオの祈りにココは参加することなく、その時間は静かに自習するようにとだけ言われた。何の信仰心もない私たちは全員言われるがままに、シスターの指示通りの祈りを唱え、その授業は終わった。
 私は授業が終わるや否や、すぐにココに駆け寄り、話しかけた。
 「すごい、ココ。びっくりした。すごいね。かっこよかったよ。だけど、教えて。何がダメで、ロザリオの祈りができないの?」
 「聞いてくれてありがとう、みゆ。プロテスタントは生ける真の神しか礼拝しないの。だから、人が手で作った石像やお墓、神社やお寺のお参りなんかもそうだけど、偶像は拝まないの。それは、聖書で偶像礼拝が禁止されているからなの」
 「そうなのねー。聞いてもよくわからないけど、とにかくカッコよかった。ありがとう」
 当時の私にはまったく意味が分からなかったが、カッコいいと感じたことだけは鮮明に覚えている。私がココなら言えただろうか。クラスメイトに変な人と思われることを恐れないココが、私にはとてつもなくカッコよく見えたのだ。
 また、シスターも同じく叱ると思いきや、一言
 「あなたの信仰を認めます」
 と、だけを発したのが良かった。こちらも、とてもカッコよく思えたのである。
 長い間生きてきたが、あの時のようにカッコいいと思える現場に出くわしたことはなかった。自分の信仰を、自分の思いを、人の目を気にせず発したココが今でも鮮明に思い出される。確かに、ココはそこら辺の私を含めたいい加減に生きている連中とは、高校時代から違っていた。
 由香が久ぶりに会ったココに奥底に秘めていたいろいろな思いを打ち明けたのも、わかる気がした。ココは確かに、「信頼に値する人」だ。それは、私も感じている。だけど、私はクリスチャンにはならない。いろんなところで、いろんな人と衝突するのは面倒だし、何より、一つの宗教だけが正しいというのが嫌いだ。
 高校時代の話を思い返していたからか、昨晩は高校時代の夢を見た。仲良く談笑しているココと由香をなぜか遠くから羨ましそうに見ている私の夢だった。不快な目覚めだ。

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