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その日、全世界で(第7章)

第7章 思考停止
 
 「お母さん汗かいたからお風呂に先に入るね」
 泣きはらした顔を見られるのが嫌だったので、顔を下にしたまま台所を通り過ぎ、洗面所とお風呂場に向かった。お風呂にお湯を入れている間に、着替えを取りに行って、洗顔をし、見事にはれあがった無残な顔を眺めた。今日は楽しく過ごすはずだったのに、何をやっているのか?自分で自分が嫌になった。本当はココや由香のようになりたい自分がいるのに、なぜ反抗的な態度でしか接することができないのか?
 お湯が溜まるまで、自分の腫れあがった顔を必死に両手でマッサージし、少しでも家族に気付かれないようにと頑張った。お風呂上りに鏡を見ると、アンパンマンのように腫れあがった顔が見えた。マッサージの効果はゼロだった。こんな時でも、お腹だけはきっちりと空腹を訴えてくるので、髪を急いで乾かし、台所に向かった。
 「私が食べる物、何かある?」
 「あるよ。ほら、さっきね、イワナ焼いたよ。イワナしか釣れなかったから、他はないけどね。これうまいよ。塩加減最高だし」
 と主人が言うと、すぐに勇太が
 「それに、大量のフライドポテト。イワナだけだとお腹すくからさ、結構でかめのジャガイモ10個くらいをみんなで必死に剥いてさ、切ってさ、そのあとはマクドナルド風のレシピをみて、亮ちゃんが作ってくれたよ」
と嬉しそうに話した。うちの息子たちは、今どきの男子でよく家事ができる。うちの子と結婚する女子は幸せ者だ。私はいつもそう思う。救いようのない親ばかである。
 私は、泣きはらした顔を家族にさらしながら、焼いたイワナと亮介が作ってくれた大量のポテトをたらふく食べた。勇太も亮介も主人も、私に何があったかは聞いてこなかった。
 「お母さん、フライドポテトの後は甘い物ほしいよね?さっき、お母さんが好きなハーゲンダッツ買っといたからさ、食べたら?お母さんだけ二個食べていいよ。何がいい?」
 「ありがとう、亮介。お母さんは抹茶とバニラがいいな」
 私がハーゲンダッツを食べ始めた時、主人と勇太はソファーに座り、携帯でバトルゲームをしていた。ゲームをしながら勇太が急に顔を上げ、カレンダーを見て言った。
 「お父さん、今日って巨人阪神戦じゃなかった?もう終わったかな?」
 「おっ、そうだったな。ゲームなんかしている場合じゃなかった」
 主人が携帯を置いて、プロ野球のナイター中継を見ようとテレビをつけた。
 「あれ?巨人阪神戦やってないな。おいおい。これはやばいよ。なんかあったみたいだよ。どのチャンネルもみな同じニュースだ。911や東北大地震の時みたいになっている。どこだろ?これ。アメリカかな?なんか高速道路で衝突事故みたいだ。凄いことになっているよ。このチャンネルでは空港で人がパニックになっている。なんか電車も脱線事故多発とある。なんだ、これ?世界同時テロか?サリンとか、生物兵器がまかれたのか?爆破テロなのか?みゆ、亮介、勇太これは異常事態だぞ!」
 主人が私たちに向かってただならぬ声で叫んだ。私と一緒にアイスを食べていた亮介も慌てて携帯で検索し始めた。
 「お母さん、ネットニュースも変だよ、世界中で人が急にいなくなったって」
 亮介の緊迫した声で、勇太も自分の携帯で検索し始めた。
 まさか、これが由香やココの言っていたあの「携挙」なのか?
 私はすぐに、由香にメールをした。
 (由香とココとは今日会ったばかりだ。数時間前まで一緒にいたのだから、そんなことないよね。いつもみたいにすぐに、メール返してくれるよね?)
 いつもメールしたと同時に返信をくれる由香から返信が来ない。私は由香の携帯に電話をかけた。誰も出ない。何度も何度も繰り返し電話した。トイレかもしれないし、お風呂かもしれない。次は30分後にしよう。
 「お母さん、やっぱり由香ちゃんが言っていたやつだと思うよ。ネットで色々検索したら、それを題材にして作った映画や牧師先生のメッセージがいっぱいあるよ。日本語では携挙(けいきょ)っていうらしい。英語ではrapture(ラプチャー)というらしいよ。」
 亮介が冷静な声で説明を続ける。勇太は必死に友達に電話をしている。前に話していたクリスチャンたちが家にいるかを確認しているようだ。
 私は今日ココと数十年ぶりに会い、楽しい時を過ごしていた。それなのに、私から喧嘩を吹っかけるようなことを言って、帰ってきてしまった。まさにその日に私がありえないと言っていた「携挙」が起きたとは、とても信じられない。そんな話があるわけがない。
 勇太が興奮気味に演劇部の友達と話していた。その横で亮介はずっとパソコンを使って、世界中のニュースを見ている。英語が堪能な亮介は、世界中のニュースを読んだり、聞いたりしていた。私は何もできずに、ただただボーッとしながら、右手の親指を動かし、リモコンでテレビのチャンネルを変えて、世界の現状を見ていた。頭がまったく働かない。思考停止だ。
 携帯が鳴った。由香からだ。(なんだ、やっぱり由香いるじゃない)
 「もしもし、由香?今日は本当にごめんねー。私もなんで涙が出たのかわからなくて。多分、ストレスが溜まっていたからだと思う。ごめんね。由香ー?あれ・・?聞いている?」
 「みゆさん?・・・由香の母です。由香がいないのです。今私たち夫婦も戸惑っていて・・・。リビングでね、夕食後に家族三人でいつもどおり9時頃まで話をしていて、それぞれの寝室に行って、寝ていたのですけど・・・。しばらくしたら、ずーっと携帯の呼び出し音が鳴りっぱなしだったので、由香が気づいていないのはおかしいと思って。それで、由香の部屋をのぞいてみたら、由香がいなくて。それで主人とあちこち探してみたのですが、どこにもいなくて。最後には玄関も見に行きましたが、鍵とチェーンもかかったままだし、由香の普段履いている靴もそのままで・・・。外に出かけた様子もないのに、いないので、二人で途方にくれていたところです。神隠しみたいなことになっていて・・・」
 私は、呆然として何も言えなかった。頭が回らない。言葉が出てこない。
 「みゆさん、みゆさん?何か話して、みゆさん」
 「あ、はい。私もちょっと色々、他の友達にも聞いて、また、何か分かったら、電話します。ごめんなさい。一度切りますね」
 そう言って、慌てて電話を切った。私自身がまだ、はっきり理解していない不確かなことを伝えると、相手が混乱するだけだ。先にココに連絡してみよう。ココもいなければ私はもう何が起きたかは分かっている。
 大きく深呼吸をして、ココに電話をかけてみた。今日連絡先を交換したばかりだった。ココは一人暮らしだ。ココがいなくなったとしたら、誰も出ないはずだ。呼び出し音が10回、20回・・・延々と鳴り続いている。
 「お母さん、やっぱり、いないよ。クラスのクリスチャンの女子も連絡が取れないよ。明日学校に行ったらわかるけど。あとさ、演劇部の先輩にもメールしたけど返信がない」
 勇太がそう言い終わると同時に
 「お母さん、やっぱりこれは由香ちゃんたちが言っていたことみたいだよ。あらゆる国の牧師たちが残した動画が今、YouTubeで上がっていて、すごい再生回数だよ。やっぱり、欧米ではこの「携挙」を知っていた人が多かったみたいだね。クリスチャンの多い国では、知識だけはあって信じてなかった人が結構いたってことじゃないかな?日本はさ、1パーセントしかクリスチャンがいないらしいから、ほとんどの人が聞いたことないはずだよ」
 亮介が、そう私に話しながら、家族みんなに緑茶を入れてくれた。
 なんで、今日なのか?今日私は奈々子の結婚式以来、数十年ぶりにココに会ったばかりだ。まだ、ココに色々聞きたかったし、由香とももっと出かけたかった。頑固な私は置いて行かれた。彼女たちの話を受け入れなかった私は、取り残されたのだ。
 そういえば、数か月前に夢を見たことがあった。仲良く談笑しているココと由香をなぜか遠くから羨ましそうに見ている夢だった。とても不快な目覚めだったことを覚えている。しかし、夢は現実となってしまった。どうして早く彼女たちの言うことを素直に聞かなかったのか。
 テレビでは各局が世界で起きている事故や火災を取り上げ、パニックを煽っているように思えた。どこの局かは忘れたが、分かった風な顔をした宗教学者や著名な国際ジャーナリストたちが
 「これは、もしかしたら、世界中の人々がUFOに攻撃され、一部の人間だけが連れ去られた可能性がありますね」
 「その可能性はないとは言えませんが、私は、ある大国が自分たちの情報工作員を使って、世界を混乱させている可能性もあると思いますね」
 などど、話しているのを耳にした。海外でも、色々な報道がされているようだ。しかし、私は何が起こったかを知っている。もう確信している自分がいたのだ。テレビの解説者の話などどうでもよかった。これは、ココや由香が信じていた携挙が起きたのだ。
 世界中の高速道路で事故が起き、火災が起き、町中で暴動が起きている。あらゆる国のあらゆる商店で、この騒動のどさくさで商品が次々に強奪されている。私はそれらの中継を見ながら、亮介の入れてくれた緑茶を飲んでいた。いつもはマイルドで美味しく感じる緑茶だが、今日はひどく苦味を感じた。取り残された寂しさがじわじわと身にしみてきた。
 主人が、義母に電話をしてみたが、やっぱりいないようだった。義母もしっかりと信じていたようだ。主人は車の鍵をとり、義母の家へと向かった。自分の目で確かめるためである。
 私たち家族は、クリスチャンである由香、ココ、義母、亮介のクラスメイトと演劇部の先輩がいなくなった事で、今何が起きたかを理解した。しかし、テレビ報道ではまた、コロナのような目に見えない恐ろしい何かが起きたと大騒ぎをし、人々を怖がらせるようなことばかりを発信していた。おまけに、世界が一つになって、この敵と戦わなければならないとまで言っている海外の議員もいた。たしか、国連関係者も同じようなことを言っていた気がする。
 これから、この世界はどうなるのだろうか。聖書には、なんと書いてあるのだろう。ココにもっと聞いておけばよかった。今日私は、十分に質問できる時間を与えられたにも関わらず、みずからその機会を逃してしまった。大粒の涙が次から次へと流れ落ち、それからどのくらい泣いていたのか覚えていない。私はその晩、そのままリビングのソファーで寝落ちした。
 次の日は月曜だった。主人は、誰もいなくなった実家のカギを閉め、すべての雨戸を閉め、ガスの元栓を閉めて、冷蔵庫にあったものをすべて袋に入れて持ち帰ってきたと亮介から聞いた。これから何度か通って、整理をしたり、掃除をして、いずれ家は売ることになるのだろう。
 主人には一つ上の姉がいるが去年、急死した。原因は心筋梗塞だった。独身で、健康美が自慢だった義姉は、なんの予兆もなく会社のデスクで仕事中に亡くなった。
 そう言えば、義母は義姉が亡くなった頃から、人間は死んだらどこに行くのかと考え込むようになった。きっと、義姉の死をきっかけに、死について考えるようになり、神を求めていたのだろう。
 由香もココもいなくなった朝なのに、日本ではいつも通りの朝が始まった。日本では、欧米ほどの大事件にはならず、ある一定の地域で起きた大地震の後と同じような報道の仕方だった。クリスチャンの数がそれだけ少ないということもあるが、携挙が起きたのが日曜日の夜だったため、ほとんどの人が家の中にいたということも大きな要因だったのだろう。私はいつも通り、朝食とお弁当を作り、洗濯ものを干して、ゴミ出しをして、主人と二人で朝食をとった。
 二人とも会話がなかった。主人は主人で、母親が突然いなくなったのだから当然だ。私はリビングで寝落ちしたから知らなかったが、実家はテレビも電気もついたままだったらしい。食器洗い機には夕飯を食べたと思われる皿やお茶碗などが入れられたままだったらしく、和室の机の上には聖書と義母の携帯、そして大好きなかりんとうのお菓子の袋が開いた状態で置かれていたそうだ。義母は昔から夜遅くまで起きて、携帯のゲームやテレビを見ている人だったので、「携挙」の時も和室にいたのだと推察できた。
 私も主人になんと声をかければいいのかわからなかったし、私自身も何を話せばいいのかわからなかったので、特に話すことなく、朝食を終えた。私たちは、あえてテレビをつけようとはしなかった。テレビのコメンテーターは、UFO説や海外工作員の仕業などとばかり話すと分かっているからだ。
 会話のない朝食を終えて、すぐに亮介が教えてくれた牧師先生の動画を見始めた。3分という短い時間でまとめてくれているので、とても分かりやすく頭に入った。私はすぐにクリスチャンになりたくて、救いとは何かやクリスチャンになるにはどうしたらよいのかをその動画で探し、何本も何本も見続けた。私は必死だった。早くクリスチャンになりたかったのである。 


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