「総粘膜、総マスク」時代。
もしくは「全粘膜、全マスク」時代。
キャッチコピーが突然思いつき。。。笑
「国民一億総活躍社会」みたいな言葉国会でやってましたよね?あれ聞くたびに、脳味噌が「国民一億総括約筋社会」ってついつい変換してしまって。お上が国民に対してアナウンスしてる文言に体の部位が入ってしまう現象が起こってて。今回もそんな感じです。
そうそう、なんでそんなこと考えてたかって言うと、いつものようにトイレで座ってたとき、ふと思ったんです。WHOとか厚生労働省とかが、「詳しく検証してったら、コロナウィルスはお尻からもうつります!」ってニュースになるんじゃないかしら。と。
で、全粘膜、全マスク時代到来。
マスクの新時代到来。
90s not dead派としてはこんなキャッチコピーのポスター作って町に貼りたくなります。
AKIRAの「オリンピックやめだ!やめだ!」のポスターの隣とかに。
おはようございます。僕です。
昨日、コロナウィルスクルーザーの告発動画の話について書きましたけど、パンデミックになるかならないかのこの生々しい空気感を感じていま、何を思ったかを今朝も書き記しとこうと思います。
今朝の6時半、いつも通勤途中に立ち寄る、都市近郊の大規模公園の駐車場にいます。最近はこの公園で野鳥撮影を試みています。
コンビニでおいしいパンとコーヒーを買い、車中で味わいつつ、暖冬といえど寒空の中をウォーキングしたりジョギングしてる人たちや、公園の横を走る高規格道路に溢れ出てきた通勤車の流れを眺めつつ、ポチッと駐車場で1人、ポチポチとスマホで(スマホはポチポチ言わないけど)書いてます。
というわけで、総粘膜、総マスク時代到来じゃないかなって思いました。
集団ヒステリーまでは行かなくとも、時代時代に巡ってくるこういうイベント。集団で盛り上がるやつ、いまキてますね。
「いまこの時期にマスクしてないのにクシャミするやつは死刑!」そりゃそうです。
でも今年は花粉症も早くから出てるし、マスクは売り切れだし、マスクなくてクシャミする人いると思いますよ。もう、なんか、ドリフのコントみたいなことが繰り広げられてて、笑っちゃいけないですけど、東京オリンピックってすげーなー、このタイミングでこのネタかよ〜、持ってるな〜って思います。やっぱ東京で3回目のオリンピックともなると(東京オリンピック1回目は中止になっている)こんなんなっちゃうんだ〜と。
お尻の穴からウィルスで感染する、ウィルス性腸炎とか流行したら公衆のトイレでお尻出すときはほんとどうするんだろ?とふと思った次第です。
マスクコンプレックスのキョクホク(極地を超えた表現)にいま、このパンデミックの前夜、到達したのではないか?という。
私が幼い頃はガーゼマスクでしたからね。
アレルギー性鼻炎が広く花粉症と呼ばれるようになり、
不織布マスクの登場、立体マスクの登場という公衆予防セクションでの大衆化(いつ誰がマスクをつけていても大丈夫という状態、それまではマスクをつけている人は風邪がひどい人か、仮病の人か、変装の人か、変態の人だけでしたからね。)からのざわちんですね。
メイク分野でのマスクの大衆化、マスクの色のバリエーション、性別関係なく。
マスクが平成生まれの方がたに与えた、口元を隠すというイスラム圏化した美意識への変遷に感嘆しつつ、素敵だなと眺めていたところに、今回のコロナです。
公衆予防概念も、イスラム圏化の美意識も吹っ飛ぶ、マスクしてないやつは非国民的な雰囲気がネットを中心に、リアルの世界でもうっすらとしたピリピリとした疑心暗鬼フィルターがかかった、今日、この今という日本の感じがイイなぁと。(不謹慎ですけど)
菊地成孔さんがラジオの前口上で「歯を磨くとき、国のいく末やらなにやらを思考するのが、国民の勤めであります。」のようなことを流してて。確かに。と。だから私も「便座の上で」国民の勤めを試みた次第。皆さんはいかがですかな?
と、ざわちんのマスクのネタも、菊地さんのラジオ由来ですし、とにかくどんな時もどんな時も僕が僕らしくあるために、好きな菊地成孔さんのネタを思い出してはいい調子に。この国難において、国民の勤めであるところの、ボーッと考えるということにですね、今後、より一層、取り組んでいこうという所存でございます。
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