ベーチェット病発症から約20年の軌跡
約20年間、不全型腸管ベーチェット病と付き合っています。
今も毎日たくさんの薬を飲んではいますが、おかげで普通の生活を送れるようになりましたので、この記事で、発症以前から現在に至るまでの経過をうろ覚えの記憶も整理・補完してお伝えします。記事投稿後に変化があったら、あらためてご報告します。
【注意1】
患者としての経験・知識を基に記載しています。私に医学を学問として修めた経験はありません。当記事はあくまでも参考に留め、読者のみなさんは、必ず、医師の診断の下で適切な治療を受けるようお願いします。
【注意2】
当記事には、患部等の写真(出血を含む)があります。
ベーチェット病とは(概要)
ベーチェット病(Behçet’s disease)は、原因不明、かつ、根治させる治療法のない、国の指定難病の一つです。
4症状
・口腔粘膜の再発性アフタ性潰瘍(≒口内炎)
・外陰部潰瘍
・皮膚症状
・眼症状(ぶどう膜炎を経て、最悪は失明)
が主症状の全身性炎症性疾患です。
上記4主症状のほかに、副症状として
・消化器症状(下血等)
・神経症状
・血管炎症状
等を発症することがあります。
症状が、消えては現れと再発を繰り返すことが多いです。
また、発症から何年も経ってからそれまでなかった別の症状が現れることがあります。
「この数値がxxだからベーチェット病」と分かる定量的な検査がないため、複数の症状から総合的に診察・判定します。(当記事の最後に診断基準を添えてあります。)
それは突然やってきた
冒頭に記載した通り、私は「不全型腸管ベーチェット病」なのですが、それは突然、予告もなく、おまけに海外にいるときにやってきました。
私が40歳の暑中休暇で単身ラスベガスへ行き、寝食を忘れて遊び惚けていたところ、舌に複数の口内炎ができました。徐々に痛みが強くなり、ものを食べるのが難しくなりましたが、以前から口内炎ができやすかったこともあり、今回もそれかと高をくくってそのまま日曜日着で帰国しました。
【月曜日】
体中、特に膝から下に赤いしこりのようなものが多数できていて、押すとズキンと痛みました。そのしこりは50個以上もあり、集合体恐怖症の家内は見るのを嫌がるほどでした。
時差ボケの中を出社していましたが、気になって、会社の医務室へ行ったところ、「皮膚科で診てもらうように」との指示を受けました。
【火曜日】
夏休み明けでまたすぐに休む訳にもいかず、オフィス近くの皮膚科外来で見てもらったところ、「大学病院で診てもらった方がよい。」と不穏な話になりました。この日は、紹介状をもらって帰宅しました。
【水曜日】
お茶の水の順天堂医大病院へ。
「血液検査をします。結果を聞きに、また来週水曜日に来てください。」だけで帰されました。このあと私の症状が坂道を転がり落ちるように悪化したため、順天堂医大病院へ行ったのは、これが最初で最後となりました。
その夜から37度台後半の発熱が始まりました。
【木曜日】
起きると膝関節やふくらはぎが痛くて立って歩けず、移動は四つん這いとなりました。原因は不明ですが、「歩けない」ので、とりあえず近所の整形外科へ。「炎症止めを注射しておきます。」
家内に車で送り迎えをしてもらいましたが、帰りは病院で借りた松葉杖を車に積んでいました。
【金曜日】
症状が急激に悪化していきました。
・朝起きると熱が39.5度超
・ふくらはぎがパンパンに腫れて象のよう
・痛くて足をつけない。
・四つん這いは、膝でハイハイ。
・口内炎はどんどん多く、深くなった。
・扁桃腺が腫れている。
・体中の関節が痛い。
これはもう、素人目にも普通ではありませんでした。
すぐ近所、普段ならば徒歩2分の内科へ車で送ってもらって診てもらいました。医師の見立ては以下の通り。
・膠原病の一種かもしれない。
・市民病院に膠原病外来があるので、すぐに行きなさい。
・紹介状で「入院させて」と依頼する。
「 入 院 で す か ? 」
往生際悪く、自分の状況をまだ楽観視しながら、市民病院の外来へ直行しました。
入院 16日間
外来でしたが、急患扱いですぐに診てもらえました。
そこで将来の主治医となる医師から初めて「ベーチェット病」なる病名を聞き、私がそれにかかっている可能性があることを知りました。
診察の後、手続きを経て、病室へ連れていかれました。入院したのは、普通の6人部屋。常時39度台のしんどい状態でしたが、特別扱いや要個室と言う訳ではありませんでした。
ベーチェット病であれば、ステロイド投与で炎症を抑えることができるのですが、私の診断・治療を厄介にしたのは、直前まで海外にいたこと。ステロイドを投与すると外敵と戦うのをやめてしまう(だから炎症が収まる)ため、この症状の原因が感染症だった場合、症状の悪化が必至です。アメリカに行き、空港を出入りし、国際線に乗ったので、西ナイル熱のような日本では聞かない感染症まで疑われ、無罪となるまでの数日間、様々な検査が行われました。
多数できていたしこり(結節性紅斑と言います)も別の病気の可能性を排除するため、一つ切除して生体検査に回されました。
口内炎は相変わらず猛威を振るっていて、のどの奥まで白い状態。自分の唾液も飲み込めず、重力任せで垂らしていました。当然、飲食も無理で点滴を入れっぱなし。
まだ40歳と若かったので「点滴だけでは栄養が足りない」と鼻からのチューブで流動食を入れられたのですが、これがなんとも苦しい。お年寄りは反射が鈍っているから大丈夫らしいのですが、私は、一晩吐き気との戦い。ベッドを少し上げてもらったり横を向いたりしたのですが、ギブアップ。翌朝チューブを抜いてもらいました。結果、約10日間で8kg激やせすることになりました。
症状の中で一番辛いのは高熱でした。
対症療法で解熱の座薬を1日3回入れて、その直後の数時間だけ少し楽になりましたが、熱が上がる時間帯は9月にもかかわらず、寒気で電気敷毛布の中でブルブルガクガクと歯を鳴らして震えていました。
入院数日後、私の腸管ベーチェットが本領を発揮して、ついに下血をしてしまいました。要するに、腸に穴が開いたため、お尻から血が出ました。そのため、座薬も中止。39度超がひたすら続く状態に戻ってしまいました。
下血があったので、翌朝、大量の下剤を飲んで、肛門から内視鏡検査をしましたが、はっきりとした出血場所は見つけられませんでした。
血液検査で「最もやばかった」のは、CRP(C-reactive protein)。
炎症の度合いを表す数値で、健康な人は、0.0x (mg/dL)とほぼ0の指標です。一般的に、
4を超えたら自宅内安静加療
10を超えたら入院推奨
20を超えたら病院で個室管理
30を超えたら生命の危機
とされているところをその時の私の値は、20台(※)ととんでもない状態でした。
※20台だったはずなのですが、正確な数値を思い出せません。定期診察の日に、当時から私を診てくださっている主治医に聞いてみましたが、発症したのが、カルテが電子化される数ヶ月前のことだったらしく、「紙のカルテを掘り返さないと分からない」と言われてしましました。残念。
1週間ほどかけて感染症の疑いが晴れ、ステロイド投与をすることとなりました。内服ではなく、朝から点滴で20mgを入れたところ、それまでずっと39度台だった高熱があっと言う間に37.5度。ステロイドおそろしや。数日間は、20mg/日を続けたところ、口内炎も結節もみるみる消えていきました。信じられないような悪魔の薬。
脚の腫れも治まり、じきに歩けるようにもなりましたが、10日間ほど完全寝たきりで食べてもいなかったガリガリの骨と皮になってしまったので、歩くのもふらふら。普段目に映らない病院の廊下の手すりが、こんなにも便利なものかと感動しました。
退院、自宅療養9日間
退院後は、自宅で9日間自宅で療養。歩くのが難しくなっていたので、リハビリに徒歩12分の駅まで片道30分くらいかけて休み休み歩き、家族と駅前で食事をして戻ってくる日々をしばらく過ごしました。病室で天井を見ていた日々からやっと戻ってきた気がしました。
薬は毎日たくさん飲むことになりました。
・プレドニン15mg(離脱症状が出ないよう、少しずつ減量)
・コルヒチン
・タケプロン
・ベネット他、ステロイドの副作用対策の薬色々
量は減りましたが、薬の種類は今もあまり変わりません。
職場復帰から10数年でほぼ寛解へ
病気発症までは、歌って踊れるバリバリ営業だったのですが、最前線での戦闘からの撤退を余儀なくされ、プライドとの葛藤がありましたが、仕事はバックオフィス系に変えてもらいました。
プライベートも大好きな旅行はもとより、社内の宴席や社員旅行も全て封印して、修行僧のような日々。(修行僧の毎日を知りません。イメージです)
それでも、しばしば下血をして、止まらないとなると入院という生活が5年程度続きましたが、徐々にその頻度が下がっていき、たまに軽い下血や相変わらずの口内炎は出るものの、10年ほどで入院することはなくなりました。
通院は月に1回から、3ヶ月に1回に減りました。
今もお守り代わりのステロイド2mg/日他を飲み続けていますが、そのおかげもあって、ほぼ普通の日常生活を送れるようになりました。
さいごに(ベーチェット病で悩んでいる方へ)
必ず失明する訳でも健常者としての生活ができなくなる訳でもありません。希望をもって、うまく付き合っていきましょう。
私の経験であればお答えできますので、質問があれば、コメントでお寄せください。
付録:診断基準
太字部分は、私の症状等に合致しています。