さぁゆこう、「六本木時代」の始まりへ。
(Mobility Technologies社内slack向け文章をアレンジしました)
昨年(2019年)の年末。私はひとり、モンモンと悩んでいたのだ。
MOVと一緒になるか。戦い続けるか。
日本で世界最高のモビリティUXを実現したい。世界がライドシェアに熱狂する中でずっと、ひとり考えていた。シリコンバレーでUberに乗ったってドライバー達は疲れている。日交の乗務員達のホスピタリティの方が上だ。だったら、日本のタクシー を超IT化すれば世界最高になるはずだ。必要なのは最高のテクノロジー。JapanTaxiを作って実現目指したが、そこに立ちはだかるテクノロジーを「餅屋のモチ」とするDeNA。
一緒になったら最高じゃん。南場さんと旧知の仲なのもご縁だし。左脳では分かっていても、移動を家業として3代・90余年、この「道」を追及してきた自分にとって、わずか5年の会社と一緒になるのか。プライドが邪魔をする。
一人で、うんうん、モンモンと悩んだ。自分の部屋には机がないので、ぎっくり腰の時に買った介護用のベッドサイドテーブルで、ベッドに腰掛けながら。ドアの向こうから3人の子供たちの声が聞こえてくる。
行き詰まっていた時に、ふと目にした稲盛和夫の記事に、バーンと雷に打たれた。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19nv/00124/00016/
「私は一生懸命に頑張って会社を立派にし、数十億円の利益が出るようになった。そのとき、これはオレがやったんだ、オレの才能で、オレの技術で、オレが寝食を忘れて頑張ってきたのに、そのオレの給料が300万円しかないとは、割が合わんではないか、『オレが、オレが』と思った。
私はシリコントランジスタの入れ物を作り、超LSIの発展と共にセラミックのパッケージを供給しました。半導体の勃興期、私は大変な貢献をしたと思っています。そして、そういう才能をオレが持っていたから京セラが上場し、大変な利益を上げるようになったのだと考えていました。
しかし、岸田さんのコラムを読んだときから、こう思うようになりました。
『半導体が勃興していくには、ある人間が必要だった。たまたまそれが「稲盛和夫」であっただけで、ほかの存在が「稲盛和夫」と同じ才能を持っていれば、その人が代行していてもよかったはずだ。 私が一介のサラリーマンであってもおかしくはない』
つまり我々が生きている社会は、壮大なドラマだと思うのです。劇場です。その劇場で、たまたま私は京セラという会社をつくる役割を担い、京セラという会社の社長を演じることになった。ただし、それは『稲盛和夫』である必要はなく、そういう役割を演じられる人がいればよい。たまたま、私であっただけなのです。
「今日は主役を演じているけれど、明日の劇では別の人が主役を演じてもよい。にもかかわらず『オレが、オレが』と言っている。それこそが、自分のエゴが増大していく元になるように思うのです。
自分の才能は、世のため人のため、社会のために使えといって、たまたま天が私という存在に与えたのです。その才能を自分のために使ったのでは、バチが当たります。エゴを増大させていっては身の破滅だと思った私は、それからエゴと闘う人生を歩いてきました」
それから1年後の今、同じ自分の部屋の、同じ介護用ベッドサイドテーブルで、ベッドに腰掛けながら、この文章を書いてます。あの時に比べたら、なんと素晴らしい今であることよ!
タクシー(と呼び続けるかどうかはさておき)がモビリティの中心になってゆくのは明らかです。必要なのはまさに「モビリティ・テクノロジーズ」!日本の、すなわち世界最高の、モビリティUXを一緒に創ってゆきましょう。そして皆さんと私の子供達は「お父さん(お母さん)凄いね、30年前にこの「GO」創ったんだ!!」と自慢するのです。
2020年、「渋谷・紀尾井町時代」、お疲れ様でした。
(渋谷=旧MOV、紀尾井町=旧JapanTaxi)
2021年、「六本木時代」、よろしくお願いいたします!
(年末に引っ越して晴れてMobility TechnologiesでONE TEAMに!)
「移動で人を幸せに」
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