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昼飯を食ったら腹が減った話
飯を食うのが面倒だ。
勿論、美味いものを食べることは嫌いではない。
どうせ飯を食うならなるべくなら美味いものを食いたいと、人並みには思っている。
とはいえ、飯なんてものは、どこまで行っても栄養とエネルギーでしかない。
栄養とエネルギーを摂取すること、それが食事というものの目的である。
それなりの金を払ったり何らかの手間を費やしてまで美味いものを食いたいという思いは、希薄なほうかもしれない。
誰かと食べる食事には、栄養とエネルギー以外にも楽しい時間を共有するという目的があったりする。
だから、そういう食事にはある程度エンターテイメント性があったほうがいい。
一方、ひとりで食う飯にはそういった目的はない。
ただ面倒なだけである。
ドラゴンボールに仙豆というそれだけで腹がいっぱいになる豆が出てきたが、毎食そういうのだといいなと思う。
本日も前置きが長い。
本題に入る。
先日、ある昼過ぎのこと。
仕事の昼休憩をいただき、昼飯を食う場所を探し歩いていた。
前述した通り、私は食事に対する情熱が薄い。店選びに脳味噌を起動させるのが面倒なため、大抵はいつも同じ店に行って同じものを注文している。
とはいえ、さすがにそのうち飽きというやつが来るわけで、その時は別の店に行く。
そして、そこで新たにいつも同じものを注文する期間が始まるのである。
渡り鳥や遊牧民のようだ。
その日は、まさにそんな、新しい定住地を探す日だった。
何か良さげな店があったら入ってみよう。
なかったらいつもの店に行っていつもと同じものを食べよう。
それくらいの低い温度で、通りをぼんやりと歩いていた。
開発されて整然としている駅の西側とは対照的に、東側は昔ながらの飲み屋街などが残っていて、なかなか雰囲気がいい。
そのうちに、いい感じの中華料理屋、いわゆる町中華の店が目に入る。
ここにするか。
店内は、いかにも町中華といった様相。
老夫婦が営む店で、客も老人ばかりであった。
そしてなんと、各テーブルには灰皿が置かれている。
今時、喫煙可。
いいじゃないか。最高である。
しばらくここに通おう。
入店してすぐに、私は決めた。
カウンターに腰掛け、煙草に火をつけて、壁のホワイトボードに書かれているメニューをひと通り見まわす。
なんとなく、ちゃんぽんを注文する。どうやら名物のようである。
煙草の煙をくゆらせながら、厨房で手際よく調理するご主人を、カウンターからぼんやりと眺める。
その絵面、サウンド、香りが、食欲をそそる。
町中華の醍醐味である。
飯を食うのは面倒だが、こういう時間は悪くない。
ぼんやりしているうちに、奥さんがちゃんぽんを運んでくる。
速い。
昼休憩時の昼飯にとって、速いことは重要である。限られた休憩時間を無駄に消費させられたくない。
運ばれてきたのは、スタンダードなちゃんぽんだった。
まずはスープをひと口。
いける。
それから乗っている野菜を、スープに浸してひと口。
いける。
そして、麺。スープの中から箸で麺を持ち上げ、ふうと軽く冷ましてずずっと啜る。
いける。
これからしばらく、この店でちゃんぽんを食べる日が続くだろう。
なんとなくそんなことを思いながら、またスープを飲み、野菜を口に運ぶ。
いける。
異変に気付いたのは、ふた口目の麺を口に運んだときだった。
異。
変。
麺が異様に少ないのである。
スープと野菜は少なくない。常識的な量である。
だが、麺が。
麺があまりにも少なすぎる。
もしかしたら私は食べている間に記憶喪失になって、麺を食べたことをすっかり忘れてしまったのだろうか?
そんなことを考えてしまうくらい。麺の残りが少ない。
まだふた口しか食べていないというのに、もう残り僅かなのである。
「あの、これ麺の量間違ってないですか?」
そんな言葉が喉から出かかった。
別にそのまま喉から出てもよかったのだが、そういう量で提供している店なのかもしれないとか、自分の何かの機能が狂っていてそう思い込んでいるだけなのかもしれない(そういうことは割とよくある)とか、あれこれと考えているうちに、うっかり完食してしまったのである。
完食したあとに何を言ってもしょうがない。
器の中には今やスープしか残っていないのだから。
「美味しかったです。ご馳走様でした」
老夫婦に頭を下げて店を出た。
美味しかったことは間違いなかった。
美味しかっただけに、もっと麺を食べたかった。四回啜ったくらいで終わってしまった。
セックスで例えると、服を脱いだあたりで終わった感じである。
さあ、これから始まるぞ、と盛り上がってきたところで、お預けを食らった感。
店を出て、通りを歩きながら私は思った。
嗚呼、腹減った。
結局、コンビニでおにぎりを買って食った。
いろいろなことを経験してきたが、飯を食って腹が減ったのは初めての経験だったかもしれない。
後日、また店にお邪魔した。
その時はラーメン定食を注文してみたが、麺の量は普通だった。美味しかったし、満足だった。
それから何度か訪れているが、ちゃんぽんは頼んでいない。
いつかもう一度、ちゃんぽんを頼んでみよう。
果たして、麺の量は。
いや、でも、答え合わせなんてしないほうが素敵かもしれない。
思い出が大事である。
答え合わせよりも、へんてこな思い出をいっぱい集めよう。
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