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森田傑作ゲーム選「還願 DEVOTION」─私にとって最も恐ろしいものを見せてくれた作品
この記事には「SILENT HILL2」「還願 DEVOTION」のネタバレが含まれております
私には娘が居る。
元々子供好きなのもあり、どう愛を表現すれば良いのかわからない程に愛している。
娘の為ならば命を捧げる事にも一切の迷いは無い。
しかし何故だろう、私は娘を喪う事をしばしば想像してしまう。
事故で、病気で、事件で。
或いは気の狂った私の手にかけられて。
そんなおぞましい想像の先を見せつけられるのが、このゲームだ。
内容も状況も悲哀のゲーム
「還願 DEVOTION」は珍しい作品である。
開発スタジオ「Red Candle Games」によって、わずか12人という小規模チームにして作り上げられた傑作。
そして残念ながら、このゲームは現在入手不可能だ。
中国の国家主席を批判するイースターエッグをデザイナーが盛り込み、バッシングを受けた為に販路から引き上げられたのだ。
私としては、一国の指導者を揶揄してしまった事については謝罪と修正があって然るべきだと思うが、2019年12月14日現在において9ヶ月間以上の販売停止が続いている現状には意義を唱えたい(どっか別の場所で)。
何より、このゲームは可能な限り多くの人に遊んで欲しいと思える作品であるから無念さもひとしおだ。
「還願 DEVOTION」の魅力
あなたに娘は居るだろうか?
もしくは己の生命より大事な人や、失いたくない楽しみ、生きる目的や救いのようなものはあるだろうか?
そして、それを自らの手で壊してしまう事を想像してみた事は?
「還願 DEVOTION」の最も大きな魅力は、そういった考えるだけでおぞましく、胸が締め付けられ焦燥にかられる経験が出来る事だと思う。
ホラーゲームというメジャーなニッチジャンル
話は変わるが、世にホラーゲームは多い。
この行よりホラーゲーム発展の歴史を書き始めたが5000文字を超えそうになったので他の機会に譲るとして、「怖いゲーム」というジャンルはもはや市場に定着しており、特に実況プレイ文化の隆盛がそれを押し上げた形だと思う。
さて、私の思うホラーゲームには2種類ある。
「恐怖を用いてその先の何かを伝えるゲーム」と「単に恐怖を煽るゲーム」だ。
前者の代表格としては「SILENT HILL」シリーズが挙げられるだろう。
後者の代表格としては「Five nights at Freddy's」を始めとした雑多な、いわゆる「ジャンプスケア(びっくりさせる)」ゲームが挙げられる。
もちろん、ジャンプスケアゲームが悪いわけではない。
お化け屋敷に「単に怖いだけだった!」と文句をつけた所で、それが目的の施設なのだから言いがかりというものだ。
事実、単に恐怖を煽るだけでも、よく練られたシンプルなホラーゲームはビックリ以外の怖さを追求していたりするし、ビックリするだけでも息抜きに遊ぶには素晴らしいものだ。
しかし悲しいかな、圧倒的に配信で人気があるのは単にビックリするゲームであり、リリースされるホラーゲームの多くも粗製のジャンプスケアゲームが殆どだ、世界観の作り込みが垣間見えるものはあっても、物語の深みを持つものは殆ど存在しない。
待ち望まれる、ホラーゲームの中の「ニッチ」
そんな中でも、「SILENT HILL」のように喪失の切なさ、人間の暗部、はたまた更に多彩或いは深い根源的な恐怖を表現しようとする作品も、また絶滅はしていない。
自己同一性が喪われる恐怖を描いたFrictional Gamesによる「SOMA」、逃走の中で陰謀論的真相を掴んで行き、最後は狂気の深淵に達する「Outlast1,2」、己の中の罪悪感に追い立てられる「DISTRAINT」などがそれだ。
しかし開発コストの高さ、求められる作家性等から、日夜大量の作品が発表されるホラーゲームというジャンルの中において、そういった作品はごくごく少数と言わざるを得ない。
そんな中に現れたのが「返校 -Detention-」そして「還願 DEVOTION」だった。
愛するものを、自ら壊す(ネタバレ注意)
「SILENT HILL 2」のジェイムスは、献身的に尽くしていた愛する妻を自ら殺し、その事実から逃避した故にサイレントヒルの異界に迷い込み、そしてその事実と再び向き合う事になる。
「還願 DEVOTION」の主人公は、娘を愛し、愛し、そして案じるが故に筆舌に尽くしがたい残酷な方法で娘を殺す。
しかし殺したかったわけではない、助けようとしたのだ。
娘を助ける為に必死の思いで全てを捧げ、得られた結果が「何よりも大切な娘を残酷に殺す」という結果だった。
その原因は「盲信」である。
人間は窮地に陥ったり、取り返しのつかない罪を犯したり、執着が高じると通常では信じ得ない指導や妄想を信じてしまい「狂う」。
それは前述のタイトルたちや「還願 DEVOTION」のスタジオが以前リリースした「返校 -Detention-」にも共通するテーマだ。
狂気に立ち向かう為に
私は「還願 DEVOTION」の主人公の狂気を他人事とは思えない。
経済的、精神的に追い詰められた時、愛と狂信が噛み合った結果の悲劇を生まないとは断言出来ない。
しかし、この「断言出来ない」事こそが狂気に立ち向かう唯一の武器ではないかと私は考えるのだ。
悲劇と恐怖を擬似的に体験する事、それによって誰の中にでも渦巻いている「己の中の闇」を自覚し、見つめ直す事。
それこそが、過剰な政治的、宗教的、あるいは妄想的な盲信から己の身を守る言わば「狂気ワクチンの摂取」のような行動ではないかと思う。
それを提供出来るのは、文芸や映画、ゲームの中でもそれを志し、実現した作品だけだ。
そしてそういった作品はとても少なく貴重なもの。
一刻も早くこの貴重なゲームが再販され、皆さんが体験出来る時が来る事を、私は願って止まない。