花物語~マンサク

花の行商をしていたおかあさんから
お花の話を聞いて育った少女は
大きくなって念願のお花屋さんを開きました
少女のもう一つの夢は子どもにお花のお話をすることでした
おかあさんがしてくれたように・・・

マンサク
画像提供:「花ねこ日記 」

父を越えられなくても

むかし西の地方の日の沈む海の近くの街に
仙三郎という人が住んでいました
仙三郎には子どもが三人いましたが長女は病気でなくなりました
長男は水泳が得意で満作といいました
次男は本を読むのが好きで辰夫といいました

仙三郎は長男に自分を追い越す人間になってほしいと思いました
満作という名には父親のそんな願いが込められていました
しかし満作が自分を追い越す姿を見ることはありませんでした
世界を襲った大恐慌のあおりで仙三郎の会社も倒産・・・そして自殺
海で育った満作は学校を出るとその海を越えて行きました

第二次世界大戦で世界の数千万の尊い命が奪われ
それ以上の人々の運命が翻弄されました
満作とその家族は朝鮮から母の里に引き揚げてきました
家族は妻と小さな女の子が二人でした。
そして男の子が生まれ一(はじめ)と名付けられました

満作は労働組合の集会やデモにいつも一を連れていきました
一は小学生になる前にはもう労働歌を覚えて歌っていました
大きくなったら父を越える活動家になりたいと一は思いました
ところが二十一歳になる前にその夢は挫折してしまいます
満作は一に何も言いませんでした

男の子が出来たら祖父や父や自分の名前の数を足したよりも
もっともっと大きい数の名を付けようと一は思っていました
父を越えられなくても父の歳を越えたいと思うようになりました
マンサクの花の便りに同じ名に縁ある人のことを思い浮かべます
今年もマンサクは楽しい花の踊りを見せてくれることでしょう

 まぐまぐ!「花を歌うかな」'09/2/7 No.1300

2009年ごろ
まぐまぐ!から発行していた
「花を歌うかな」で発表していたものです
そのメルマガはすでに廃刊しましたが
ブログに保存していたものを再掲しています

藤川一郎
京都市北区紫竹北大門町37 葵荘17号
075-493-4676


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