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#15 教祖の声を聴く

教祖は今も存命でお働き下さっていますが、そのお姿を目にすることはできませんし、直接声を聞くこともできません。

私はある方から「教祖は親だから、何でもお話をしていいんだよ。悩みを聞いてもらったら答えが返って来るよ」と言われたことがあります。

実際、教祖殿に参拝したら教祖に何でもお話しするようにしています。

教祖から答えが返って来ることに関しては、参拝中や参拝後に心に思ったことを教祖の声としています。

ですが、これは勝手に自分で思っているだけではないかとも感じていました。

そんな中、その考えがあながち間違っていないかもしれないと思えたおさしづがありました。

さあ/\何かの事情、それ/\話、放って置けば日々の事情忘れられん。遠く所は安心。とんと思わいでもだんない事情、思い出すによって、事情早く運んで。

 おさしづ 明治24年4月15日 押して、遠く事情とお聞かせに預りしは春野の事でありますか願 

とあります。

これは増野正兵衛の身上に対するおさしづであり、春野というのは、増野正兵衛の親戚のことです。

増野正兵衛の身上のお諭しに対して、そのことは春野の事ですかと聞かれています。

この中の「とんと思わいでもだんない事情、思い出すによって、事情早く運んで。」というところ、

「とんと」とは、「全く」という意味
「だんない」とは、「構わない」という意味

つまり、「全くそのことを思わなくても構わない事情であるが、思い出すということは、そのことについて早く運んでほしい」という意味だと思います。

身上事情の悟りで、この事かなとと思うことに対して、思い浮かぶということは、教祖が早くそのことを取り組んでほしいという声でないでしょうか。

ですから、参拝中や参拝の後に思いつくこと、思い浮かぶことは、教祖からの声だと改めて感じ、それを素直に受け取ろうと思いました。

しっかりと教祖の声に耳を傾け、心で聴きたいです。


最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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