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#34 身上記録を付ける

おさしづでは、同じ先生が何回も何回も身上や事情の伺いをされています。

一番多いのは、増野正兵衛先生ではないかと思います。
(たぶん合ってるはず…)

高野友治先生は「おさしづ読後感」の中で、

その人その人に対するおさしづの中にこそ、一定の法則とも見られるものが感ぜられる。たとえば梅谷四郎兵衛先生の場合、先生自身また家内や子供の色々の病や事情についてお伺いしておられるが、「我家のことを案ずるでない」という意味のお言葉が多いようである。また平野楢蔵先生の場合、事情身上の種類が変わっていようとも「急ぐでない」という意味のお言葉が多いように思われる。増野正兵衛先生、上原佐助先生、その他の先生にしても、それらの先生方に関するおさしづを集め静読すると、そこに何か一つのおさしづのさとしのそれ〴〵の型があるように思われる。

『天理教教学研究』創刊号 高野友治「おさしづ読後感」 64p

と語られています。

つまり、その人ごとに諭しの型があり、諭され方が違ってくるようです。


ということは、我々にしても身上や事情になった時に、その人に応じて心掛けるべきことの傾向があるのかもしれません。

といっても、おさしづを伺えるわけではないので、悟りになってしまいますが、そういった風に考えてみるのもいいかもしれません。

自分がいつ身上になったか、そしてそれに対してどう悟ったかの記録をつける。

そうする中に自分の心遣いの傾向が見えてくるのかもしれません。


ちなみに私も自分の心遣いの傾向を過去の身上から考えてみましたが、やはり過ぎたことはあまり憶えておらず、思い浮かびませんでした。

これから身上記録をつけないといけませんね。



最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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