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#17 今日も生かされている

「かしもの・かりもの」は教えの台と言われる大切な教えです。

めい/\のみのうちよりのかりものを
しらずにいてハなにもわからん

『おふでさき』 第3号 137

と、「かしもの・かりもの」がわからないと何もわからないとまで言われています。

「かしもの・かりもの」の基本的な概要は知っていますが、今一度自分の中で思案してみようと思いました。


まず、今私は生きています。

これはただ生きているだけではなく、親神様が私にこの体を貸し、親神様の御守護によって生かされて生きています。

親神様が私にこの体を貸し、生かしているのには理由があります。

それは、私が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたいからです。

今日も生かされているということは、私に陽気ぐらしをしてほしいと期待してるからだと思います。

ちょっと想像してみると、毎晩私が寝ている間に親神様が、「明日もあいつは陽気ぐらしをしてくれるかな」と考え、「まあ、もう一日様子を見てやろう」とか思っているのではないでしょうか。

そして、今日も朝、目覚めることができているのだと思います。

すべては当たり前ではない。

今日も私に期待して下さってありがたい。この生かされている命を、親神様がお喜びくださるように使いたいと感じることができました。

ずっと、当たり前のこと書いていると思いますが、自分の言葉で考えることで、自分の中に落とし込んでいけると思います。

「私は今日も生かされている」

その親神様の期待を胸に、今日も通っていきたいと改めて感じました。


最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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