鎌倉の祖師の布教スタイル
これぞ真理だ、これこそ正しい、という教えを掴んだりすれば、教えを伝えようとするのだろうが、鎌倉時代の祖師たちの布教スタイルはいろいろだ。
親鸞はこう言う。「弟子一人も持たず候」(歎異抄)と。後世、真宗大教団となって信長や家康を手こずらせていくのだが、祖師である親鸞は弟子など一人も持たないという。
「つくべき縁あればともない、はなるべき縁あれば、はなる」(歎異抄)とも。縁にしたがって、教えを受ける人もいるし離れる人もいる。それは仕方のないことだ、と。教えをがんばってひろめようなどとは、しなかった。
道元は、「正師を得ざれば、学ばざるに如かず」と。教えを広めることよりも、正師にこだわる。正しい修行にこだわる。その師、如浄禅師は、道元に対して、たくさんの弟子をとり、大きく教えを広めようとするな。正しい教えを伝えよ、と。それは、一箇半箇でいい。一人でもいい半人でもいいというのだ。
いっぽう日蓮は布教に対して、かなり積極的だ。「折伏」(破折屈伏)いう布教スタイルだ。相手の生き方、思想、考えをへしおって、屈服させるのが末法時代の正しい教えの伝え方だという。
その著作、如説修行抄は、講談調で勢いがある。「大白牛車に打乗つて権門をかっぱと破り、かしこへおしかけここへおしよせ。念仏真言禅律等の八宗十宗の敵人をせむるに、或はにげ或はひきしりぞき、或は生取られし者は我が弟子となる。或はせめ返しせめをとしすれども、かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり。今に至るまで軍(いくさ)やむ事なし」(如説修行抄)
あえて、押し寄せていって攻めていって、強盛に教えを伝えようとした。
一遍は、南無阿弥陀仏の結縁をしようとして、遊行(ゆぎょう)をしながら、踊り念仏と賦算(ふさん)をした。
「南無阿弥陀仏、決定往生六十万人」と記した「念仏札」を配って歩いた。極楽往きの切符を渡して歩いたようなもの。そして、その勧進帳に記名した入信者数は250万人に達したともいう。すごい数だ。
そしてまた、踊り念仏をした。男女の踊り手が輪になって歌い踊り、やがて観客を巻き込んで法悦に至るというエネルギッシュなものであった。
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