宗教の語源と亜麻糸
イスラム教徒が、1日に5回もアッラーに祈りを捧げるのも、アッラーとつながるためだし、僧侶がお経を毎朝、お勤めするのも、仏とつながるためだし、キリス教徒が教会で礼拝し、日々祈るのも、神とつながるためだろう。
ぼくは、特定な宗教はもっていないが、祈りは行う。それは、身体感覚で味わう感謝、瞑想というような意味合いで、なにら外部から規制されるようなことはない。
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偉大な生命、生かされているいのち、あるいは連綿と続く先祖の流れ、生かされている暮らし、仕事、出会った人たち、もろもろの奇跡のような出会いに、日々、感謝するようにしている。
1日に何度も何度も、合掌し瞑目する。瞑目しながら、呼吸に意識を向ける。その時には、呼吸とともにある。子供と遊んでいても、仕事をしていても、風呂に入っていても、そうしている。それぞれたったの10秒とか20秒だけれど、頻繁に行うようにしている。
心は、あちこちとさまよい、暴走してしまう。その心を合掌し瞑目することで、縛り直している、原点に立ち戻ろうとしている。そうすることで、心が落ち着くというのか、そうせざるを得ないというのか。そんなところにいる。
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宗教とは、「心を縛り直す」こと。神、仏など、「なにか大いなる存在に心を縛り直す」ということもできる。
語源を調べていて、宗教はreligion(リリジョン)の訳から来た。それは、ラテン語の religare (つなぐ) に由来するとされている。
さらに、そのおおもとの「lig」を調べていく。これは、じつはインド・ヨーロッパ語の、ling(リン、ロン、ラン、リ)から来ているようだ。
lingとは、「亜麻糸」のこと。麻で作った糸だ。その糸は、よくしばりやすい。強い。そして、麻は原野でよく育つ。
このlingから、line(ライン、線、系統)が出てくるし、align(アライン 整列させる)が出てくる。oblige(オブリッジ)は、ob(に向かって)とlig(糸で縛る)から、義務ということになる。
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ということで、religionは、ともすれば「神を忘れる心を縛り直す」ということになる。
まあ、いわゆる「宗教」ということになると、縛りつけられて身動きできない。そういう場合も当然に出てきて難しいとは思うが。
これらは、「語源でわかった英単語記憶術」(山並 陞一、文春新書)を参考にしている。