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生きる世界は自分の選択から生まれる
今朝、スマホの通知音と共にLINEが一通届いた。
受講していたプログラムの同期の方からだった。
私のこのnoteを読んでくれていて、
「暑いから、水分補給して健康でいてね」
と体を気遣ってくれる連絡だった。
今朝はホルモンバランスからか、なんだか気分が冴えなくて。
(あ~、イライラしそうだなぁ~)
と極力自分を押し殺すような、そんな風に過ごしていて。
そんなタイミングでもらったこの一通のLINEに、私の心がどんなに救われたか。
何かの用事があるわけでもなのに私の存在を思い出してくれて、
ただただ私の心と体を気遣ってくれる。
そんな一通のLINEが送れる。
そのことが、どれだけすごいことか。
私は常日頃から連絡不精なので、用事がないと親しい人にも連絡できないタイプ。
だから、彼女のその行為に心から感動した。
そして、そんな彼女と出会えて本当によかったなぁ、と。
冴えなかった気分がすーっと流れていくような感覚だった。
それと同時に。
以前、地元のドーナツ屋さんに行ったときのことを書いたこのつぶやき。
この素敵な店員さんの話にコメントをくださった内容を思い出した。
菜摘さんご自身の『人』がよいからこそ、
『人』を重視されているのかなあと思いました
もの凄く恐縮で、でももの凄く嬉しいお言葉で…!
でもそこで、
「私なんて」と思わずに、
素直にいただいた言葉を受け止めたい。
そう思った。
私が出会う人。
その人がどんな人なのか。
それは、まるで自分の写し鏡のように。
自分の在りようをあらわしているのかもしれない。
例え、その中に自分を攻撃してくるようなひどい人がいたとしても、
私がどんな選択をして、
どんなものを周りの人に与えるか。
たとえば、
ひどい奴だと嫌味を投げ捨てるのか。
相手に吞み込まれず自分の中の平穏と優しさを保ち続けるのか。
ただそれだけで。
私の周りに居続けてくれる人は、
私の心をあらわした世界に生きる人になるのではないか。
それが、
私が生きたい世界を生きることになるのではないか。
そんな風に思った。
今朝の私の心を救い上げた、あの一通のLINEをくれた彼女のような。
そんな人たちと共に、私は私の求める世界で生きる。
そのために。
私は私の選択をしていきたい。
それがきっと、この先をつくることになるのだから。