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小説『デジタルドライブ 黄泉がえり機構』(1)

小説『デジタルドライブ 黄泉がえり機構』
〝Digital Drive; Strange Case of Resurrection Machine〟

1.

 盗難日時がはっきりしなかった。

 部外者――探偵がいなければ、盗まれたという事実さえ認識できなかっただろう。

「手間だな」

 オーストリッチの革椅子を回転させた茶泉珠子(さいずみたまこ)博士が外を見た。

 春の彼岸。夕暮れ。明日は春分だ。

「久方(ひさかた)の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ……」紀友則。

「どうせ私の手間だろう?」

 私立探偵――長藻秋詠(ながもあきえい)が冷めた紅茶を口にした。

(ダージリンか……どこ産かしら……)

「盗まれたのは、デジタルドライブだ」

 振り返った茶泉が強い口調で返した。不惑前の長藻と同じ歳とは思えないほど幼顔だ。

「デジタルドライブ? コンピュータの一種?」

「似て非なり。横溝(よこみぞ)先生が造った接触型高次元通信機構。機構といっても機(はた)に構(かま)えるほうじゃあなくて、マシーンに近い」

「機械?」

「でもない。機械というよりは、やはり機構のほうが日本語としては正しい」

「英語では?」

「Resurrection Machine」レザレクション・マシーン。

「は? Resurrection?」復活を意味する。

「超弦理論(ちょうげんりろん)はあなたでも知っているだろう?」

「概略だけなら。世界が素粒子でできているていどの認識しかない」

「それで十分だ。日常生活なら古典物理学で事足りる。横溝先生はそれに飽き足りなかったらしい」

「それで通信機構?」

「直接、高次元体と対話したかったらしい。――まあそんなものがあるとするなら、だが」

「それがどうして復活機構(レザレクション・マシーン)になった?」

「科学ではよくある。発見がすべて人類の利益になるとは限らない。逆に、実績が他を助けることもよくある」

「JCを復活させたのか?」イエス・キリスト。

 茶泉が苦笑した。

「複製体(レプリケイターズ)をつくりだした」

「横溝先生が二人になった?」

「笑える。少子化問題も解決だな。……娘さんが生き返った」

「はあ? どうやって?」

「それが分からないから問題だ。本人は中に手を入れた。機構(マシーン)がその情報を読み取り、法子(のりこ)さんを複製した」

「遺伝子を解析したとしても、奥さんの分は?」

 ヒトの染色体は四十六本(二十三対)で、父親と母親それぞれ一本ずつ受け継ぐ。

「横溝先生曰く『アカシックレコードから引用されたのでは』ということだ」

 アカシックレコード宇宙の誕生から現在までのすべての情報を記録しているといわれる。ただ……。

「……そこまでいくとオカルトだ。問題は――」

「――問題は法子(仮)がヒトであるかという点にある。あと、鏡像ではない」

 ヒトの鏡像異性体は継続して生命活動ができない。

「となると、盗んだのは複製体(レプリケイターズ)本体か……」

 長藻が娘の名を口にしなかった。

「横溝先生は旧館にいる」

 通称ロンドン塔だ。高貴な人物の監獄であり処刑場。

「急いでくれ。汚染が拡大する前に」

   *

 軟禁されている横溝作太郎博士は元気そうだった。右手首以外は。

「放射線に犯されてね」

 レーザー加工機で切断した痕を見せた。茶泉による的確な指示だった。強力な放射線でヒトは死ぬ。

 石田(いしだ)医師と巨乳の阮美麗(グェン・ミーレイ)看護師が電磁式の義手を接続した。

「ただ……再び妻と見(まみ)えるなら左手を提供してもいい」

 本心だろう。

 石田が義手を調整する。

「そのデジタルドライブの外見はどんな形なんですか?」

「その前に中身の説明はいいのかね?」

 横溝が一瞬目を細めた。

「機会があるときにゆっくりと」

「そうか……マッチ箱だ。紙の――マッチ箱は知っているね?」

「はい。……紙のマッチ箱? そんな大きさで?」

「こちらの大きさは問題じゃあない。高次元(あちら)では展開される。紙に書かれた人物を立体にすると、紙の容量が増えたように見えるだけだ」

「無限ですか?」

「数(すう)的な……科学的な数(すう)での無限とは断定できないが、少なくとも私にはそう感じられた。そうだね、宇宙に放り出された感覚だ」

 接続された手首をかざした。

「右手首が?」

「三次元では二次元の姿を俯瞰(ふかん)できる。……ありがとう」

 ぼんやりとした身体が、右手首から見えたのだろう。

 石田と阮が一礼して退室した。

「そうすると脳が二つあるということですか?」

「意識が複数あると考えればいい。物理的な意味でだが」

「それが複製体(レプリケイターズ)を生成したと?」

「私はそう考えている。もっともアレを複製体(レプリケイターズ)だと判断する証拠(エビデンス)がない。否。ヒトではないと証明できない。血液はおろか脳脊髄液(のうせきずいえき)にいたるまで本物だ。つまり、三年前に亡くなった法子が偽(ぎ)だったと結論づけられる」

 法は遡及(そきゅう)しないのが原則だ。

「確認したのですか?」

「いや。ただ、そう考えるのが妥当だろう。オッカムの剃刀(かみそり)だ」

 必要以上に仮定を増やしても意味がないと言いたいのだろう。

「亡くなった方(かた)が生き返るのが妥当とは判断できかねます」

「だろうね。これは身内でなくとも言えるが、あの子は賢い。私や珠子(たまこ)クンよりもね。できうるなら、生きているうちに相見(あいまみ)えたい」

「それが、あなたが亡くなる理由であっても?」

「アレに殺意があると? 私に?」

「フランケンシュタイン・コンプレックスが考えられます」

「アイザック・アシモフかね? フロイトでも話すかと思えば……」

 話は終わりだった。

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門松一里
ご高覧、感謝です。 サポートによる調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。 ※虚構も少なからず入っています。