「歴史を学ぶ」という話_24502
「歴史を学ぶ」という話
歴史を教えるときの第一がキリスト教の「ミッション」です。古代ローマの「メメント・モリ」も。その上で各自の人生のテーマを考えてもらいます。いわゆる矜持(きょうじ、プライド)です。これらがないと思想が浅いままになってしまいます。
#思想実験 1)キリスト教の「ミッション」を無理に訳せば「天命(てんめい)」ですが、これは日本語としては不十分です。日本人で「天命」を得た人は少ないですからね。身近なことではありません。天からの「啓示(けいじ)」といった感もありますが、そもそも「天」と「神」は同じではありません。
戦前であれば、天子の命(めい)=勅命でした。今はそうしたものはありませんし、キリスト教の「ミッション」とは反する考え方です。一方で、キリスト教はユダヤ教から分派しましたから、その独自性も残っています。アブラハムの宗教は(迫害に強い)選民思想です。
迫害に強いからこそ、アブラハムの兄弟は殺し合いをします。東アジアの思想では九族(きゅうぞく)鏖(みなごろし)なんてあります。つい最近まで基本的に世界観(せかいかん)戦争――殲滅(せんめつ、皆殺し)戦です。
矛盾ですが、世界観戦争で勝った国が世界観戦争を始めたら、負けられない戦争を続けてしまうのです。
https://x.com/ichirikadomatsu/status/1643256087666360320
そこに妥協点はありません。最後まで戦うか、あるていどで退(ひ)いてもう一度戦うかとなります。こうした兄弟の世界観戦争は文字通りそれぞれの世界観を実現するために世界を戦争に巻き込みます。
この世界観戦争を停戦させるのも「ミッション」なのですが、現在「伝道者(ミッショナリィ)」がいない状態です。哀しいかな、故国のために身を捧げる「伝道者(ミッショナリィ)」をその国が死地に追いやり殺(あや)めているのが現実です。
2)古代ローマの「メメント・モリ」――割愛。
3)各自の人生のテーマ=矜持(きょうじ、プライド)がないと、思想が浅いままになってしまいます。(1)の「ミッション」がないと、矜持(プライド)が歪むからです。
誰に対しても「ミッション」を持てと言っている訳ではありません。理解したとしても行動しないのが人間です。ただ、そうした生き方、考え方を学ぶことが大切です。間違ってはいけないことがあります。必ずしも「理解する必要はない」ということです。
それぞれに高慢(プライド)があり、過度な自尊心があります。圧(へ)し折ることは簡単ですが、恨まれるだけです。互いに距離感をもって、それぞれが対等な立場で相手を支配しないことです。
こうしたことを述べると「かつて侵略戦争をした当事者が言うな」=「お前が言うな」ですが、過(あやま)ちを犯した国だからこそ、二度と「侵略戦争をしない」と言い続け「退屈でもいいから信頼される国になった方が日本は良い」と考えます。(了)