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「ゆるしの文化」という話

「ゆるしの文化」という話

日本は「恥の文化」と言われていますが、どちらかといえば「ゆるしの文化」だと考えられます。

平和を祈りつつ、少し考えてみましょう。

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ようこそ。門松一里です。静かに書いています。

という話は、調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。※虚構も少なからず入っています。

※本当はノワール作家です。

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米国の文化人類学者ルース・ベネディクト(Ruth Fulton Benedict、1887年6月5日−1948年9月17日)は、その著書『菊と刀』(The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture)において、日本の文化を「恥の文化」だと表現しました。

他者の心情や思惑と、自身とその所属する家の体面を重視しているというのです。

対して、西洋の文化は「罪の文化」だとしています。

キリスト教の罪の自覚は行動の規範となっています。
(キリスト教徒にしてみれば、ですが。)

ですから、日本人はことさら「(自分およびその所属先が)恥をかく」または「(相手およびその所属先に)恥をかかせる」ことを大変避けると考えました。

ベネディクトが観る日本人は、露見しなければ(バレずにナイナイしておけば)安心する愚直な人物のようです。

そのぶん公明であろうとする西洋人は罪の意識に苛(さいな)まれる文化的な人物です。

この時代、こうした見識はありました。一昔の日本人だって、他の地域の人を「土人」(どじん)なんて言っていたのですから。

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西洋の人たちは、自分たちの祖先が作ったものなら愚劣なものであっても認めるかわりに、(西洋の人たちから見て)未開の人たちが作ったものはどんなに優秀なものであっても認めませんでした。

「自分たちが知らない未知の西洋の人がやってきて作ったに違いない」
「いやいや宇宙人が作ったんだ」

とか言います。なぜなら(西洋の人たちから見て)未開の人たちがそんな高度なことを作れると考えていなかったからです。

ただし、これは日本も同様で「東アジアの思想」から中華――お花畑の世界が東アジアの思想だったからです。

よく中華思想とかありますが、日本もそうですよ。#blackjoke

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ではどうして「恥の文化」ではなく「ゆるしの文化」なのかです。

ゆるしを漢字にすると「許」「赦」「聴」の三種類あります。
(他にも「徐」「慢」「款」「紓」「緩」もありますが割愛します。)

「許」は、いわゆる許可です。

日本人は文書に書かれたことしかしません。

書かれていないことまで慮(おもんぱか)って行うのは美徳とされていますが、忖度(そんたく)が迷惑になることもあります。

よけいなことをすると、よけい目をつけられますから静かにしている訳です。

「赦」は罪の赦しです。

ルース・ベネディクトを含め西洋的な思想をしていると、この「赦」が理解できません。

西洋的な(キリスト教の)赦しは神による赦しです。唯一神の赦しですから、全知全能の神が何を考えているか分からないので、西洋人は苦悩します。

けれど、罪について日本人は神に赦しを請うよりも前に、自らを清めます。

それすらできない場合は自殺を選びます。

これに日本人独特の考え方で、中国人、香港人、台湾人もそんなことは絶対にしません。

そうした理由で自殺する中国人、香港人、台湾人がいたらかなり日本人に近い感性をもっていたと考えています。

それだけ日本人がきれい好きだということでもあり、またその身が汚れているなら赦されてないと考えるのです。

つまり、一度でも前科がつけば、多くの人は赦しを与えません。

より強く罰を与えようとします。ほんとうに愚かな日本人です。

「聴」は審理、判決です。

「聴」には勧告に従う意味や、統治する意味も含まれます。

決められたら従うのが日本人です。

罪人が罰で牢獄につながれていて、恩赦で出獄したら、その決定に従います。

表面上は罰を与えようとしません。

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日本人は、本音と建前を別に考えています。

それでいて「駆け引きと根回し」をしろと言われます。

それこそ #AKIRA の敷島大佐ではありませんが「学校では教わりませんでしたからね」#blackjoke

あんがい演技が上手なんですよ。日本人は。日本人が日本人として生きるのは。

素の人間性でもありますから。

たとえば、ウクライナのゼレンスキー大統領は戦時下の指導者としては優秀ですが、平時の大統領としてはそうでもありませんでした。

しかし、侵略された大統領として演じ切っています。#blackjoke

ウィリアム・シェイクスピアに言わせると「誰もが役者」ですから。
cf.
『お気に召すまま』
〝All the world's a stage, And all the men and women merely players.〟

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日本人は戦闘民族?

平安末期から軍事政権で、明治になってからも十年おきに戦争しているような戦闘民族ですよ?

日本人は温厚な民族だと自覚している人が多いですが、違いますよ。

明治から昭和に終戦するまで、どれだけ他国を侵略したと思っているんでしょうか。

考えてもみてください。

自分たちの組織に異色の人がいたら、いじめてしまうのがふつうですよ?

それが、日本のふつうです。

それを変えましょうと私は言っています。

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戦争の話をすることが一般的になったのかしら?

戦争を身近に感じたのかしら。

戦後昭和から平成にかけての論じること自体が禁忌だったころとは違うのかしら。

戦争について話さないと前に進めませんよ。#多事争論

同じように、まだ差別について話し合われていません。

当事者である被害者が話したがらないです。

被害を受けた人は、まず否定します。

「当事者の気持ちになって考えろ」と言われます。

実際に何度も言われました。

人の心なんて、そんなもの分かりませんよ。#blackjoke

だから、意見が必要なんです。

戦争についての話は八月六日や八月九日、八月十五日にだけの議論であってはいけないんです。

日常に、戦争はあります。それがふつうなことなんです。

平凡さというのは極めてバランスの取れた危ういものなんです。

同じように、差別もふつうにあります。

では、どうやって無くしていくか、ゼロにできなくても少なくするにはどうしたらいいのか。

たとえば、義手だと分からないような自然な手ができるのは科学です。また、そのための法律が必要です。

まず、当事者が話せるように、変えていく必要があります。

前述のように、私の考えでは日本は「ゆるし」の文化です。日本は「恥」の文化ではありません。

意見を述べる「ゆるし」がないと、話せないんです。

「許」「赦」「聴」です。

「許」――話せる環境にあることです。
「赦」――被害者が罰を受けることはないということです。
「聴」――すでに加害者が罰せられる予定だということです。

これら三つが揃わないと、前に進めません。

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かつては、夏のこの一週間ほどが戦争の話をしてもいい「ゆるし」があった訳です。

そうでなければ、左の賢人のバカ論理です。

中国共産党は、失業率の公表を一時停止すると発表しました。

どうやったら、共産主義で失業するのか教えて欲しいです。#blackjoke

「戦争の話をしたら戦争になるので戦争の話はしない」という人がいますが、何もしなければ戦争になりますよ。#blackjoke

紛争ではなく、本当の戦争になった瞬間に優秀な人材の言葉が認められる世界になりました。極端な左右思想の小人の行動が否定される世界になりました。そう願いたいです。

この国の人の多くは心優しいですが無自覚な攻撃性を含んでいます。それだけに分かりやすい物語を好みます。無意味に信じることの愚かさを学ぶ時期です。

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日本は「ゆるしの文化」です。

「許」は、いわゆる許可です。
「赦」は罪の赦しです。
「聴」は審理、判決です。

これらには一定の線引きが必要で、これは真理の大海を前にして砂遊びしている子供のようです。

砂に線引きして上下左右を論じても、真理の大海が変わることはありません。

生物のヒトに塩が必要なように人に知が必要ですが、大海の水は少しでいいんです。

でなければ深淵を覗けば覗かれるように、海の底に住む知の魔物に飲み込まれてしまうでしょう。

北欧神話のように、自らがヨルムンガンドが化けた猫になってしまうのです。

知の本質こそ悪だとする「罪の文化」では悪魔は蛇に喩えられます。「恥の文化」では蛇が大成すると龍になります。一方でドラゴンを倒す英雄はドラゴンになってしまいます。仙人は龍にならず蝶と化すのです。

「私たちはたちは夢と同じもので作られている。その儚い生命は眠りとともに消える」WS

「昔者荘周夢に胡蝶と為る。栩栩然として胡蝶なり。自ら喩しみ志に適えるかな。周を知らざるなり。俄然として覚むれば、則ち蘧蘧然として周なり。知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか。周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此を之れ物化と謂う」

こうした砂の線が物化なのでしょう。#砂の線

「曹操の話をしたら曹操がやってくるので曹操の話をしない」人がいるけれど、何もしなくても曹操はやってきます。#blackjoke

「軍隊なしに外交だけで戦争が回避できる」と考える根拠がよく分からないです。その物化(線引き)は、証拠資料(エビデンス)なしに何をどう定義しているのかしら。

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