「フランス革命」という話(ちょー簡単)
「フランス革命」という話(ちょー簡単)
フランス革命というと、自由と平等の歴史だと思っている人が多いですが、そんなことはありません。
1789年のフランス革命から1870年に第三共和政になるまでの81年間で、“自由と平等”の共和制だったのはたった11年しかありません。#blackjoke
日本人が思っているフランス革命は幻想です。
少し考えてみましょう。
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ようこそ。門松一里です。静かに書いています。
いつもは、
「あまり一生懸命になるな」という話
https://note.com/ichirikadomatsu/n/n081dd28c9a6c
とか、
「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話
https://note.com/ichirikadomatsu/n/n416e39d84b94
を書いていますが、本当はノワール作家です。
という話(ik)を連載しています。
こちらは調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。※虚構も少なからず入っています。
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これ、フランス革命の絵とちゃうからね。その30年もあとの7月革命の絵やからね。この絵の中でもやたらに人が死んでるが、これで得たものはオルレアン公フィリップ一世の即位…なんでやねん。18年後、今度は共産主義者と一緒に赤旗を振ってそれを倒したら…なんとナポレオン3世が皇帝になった。
——田中泰延(@hironobutnk)
https://twitter.com/hironobutnk/status/1451987239752200193
田中泰延さんがおっしゃるとおり、
ウジェーヌ・ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』が1789年のフランス革命の絵だと思っている人が多いのですが、こちらは1830年の七月革命を題材にしたものです。
オッパイを出している美女が、フランスを擬人化したマリアンヌです。
(現実にオッパイを出していた訳ではなく、裸にすることで実在の人物ではないということを表現しています。)
このマリアンヌは、アメリカ合衆国のニューヨークにある自由の女神と同じ人です。フランスのフリーメイソンの会員から、アメリカ合衆国のフリーメイソンの会員に贈られました。
※陰謀論ではありません。
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フランス革命が自由と平等、という嘘はどこから始まったんですかね。実際は専制君主・封建領主とブルジョワジーの土地と人間の取り合いでした。そのあとフランス人が赤旗振ったのも、孫を皇帝にしたのもだいたい無視です。
——田中泰延(@hironobutnk)
https://twitter.com/hironobutnk/status/1451744717327061000
フランスのブルボン朝の最後の絶対君主がルイ16世であり、最初の立憲君主もルイ16世です。
1792年に王権を停止され、翌1793年にマリー・アントワネットといっしょにギロチンです。
フランス立憲王国(1791年9月3日-1792年9月21日)のあと、
1792年に、第一共和政(国民公会)がはじまります。
選挙が行われますが、男性のみですし、それも間接選挙です。
(この時代の女性は、人間ではなく物扱いでした。)
ようやく民主主義的になったと思うでしょう?
なりませんでした。
議会の左側の席に座っていたジャコバン派のマクシミリアン・ロベスピエールらによる恐怖政治です。
左側の恐怖政治でしたから、左翼やテロといった語源になりました。
いっぱいいっぱい処刑しました。
アントワーヌ・ラヴォアジエも処刑されてしまいました。
実にもったいないです。
あんまりいっぱい処刑したのでテルミドールの反乱になり、ロベスピエールは処刑されました。
1795年、第一共和政(総裁政府)の始まりです。政教分離をするなど、より民主的になりますが、キナ臭くなってきます。
戦争でナポレオン・ボナパルトが英雄になり、
ナポレオンはクーデターを起こします。
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1799年、第一共和政(統領政府)では、ナポレオンが第一統領になりました。
図で帝政として黒くしているのは、それだけいろいろしたからです。
1804年、第一帝政で、ナポレオン1世は国民投票で皇帝になります。
武力に訴えた訳でも、強引に簒奪した訳でもありません。
人気者が皇帝になったのです。
ガイウス・ユリウス・カエサルは皇帝になりませんでしたが、絶大な人気がありました。
逆に言うと、アドルフ・ヒトラーのような小人でさえ、人気が高かったので総統になることができました。
ヒトラーの場合は広告の力が大きいです。この広告は、現代でも通用していますから恐いです。
ナポレオン1世は戦争に負けましたが、ウィーン会議で踊っているあいだに百日だけ戻って皇帝になります。
会議は踊る、されど進まず。
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帝政が終わったら、共和政になると思うでしょう?
1814年、なぜか復古王政になります。ブルボン朝です。とはいえ絶対君主ではないので、お飾りです。
1830年、次は七月革命による七月王政で、ブルジョワの王です。
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1848年、二月革命でようやく第二共和政です。
1848年-1848年 ジャック=シャルル・デュポンドルール
1848年-1848年 フランソワ・アラゴ
1848年-1848年 ルイ=ウジェーヌ・カヴェニャック
1848年-1852年 シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト
何か見慣れた名前がありますね。
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1852年、第二帝政で、ナポレオン3世が即位します。
ナポレオン3世も国民投票で皇帝になりました。
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1870年、三度目の正直の第三共和政ですが、
1871年、真っ赤な国旗のパリ・コミューンです。
1871年3月26日-5月28日、わずか2か月でしたが、赤旗の政府でした。
「英雄がいない国は不幸だ」
「そうではない。英雄を必要とする国が不幸なのだ」
——ベルトルト・ブレヒト『ガリレイの生涯』
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繰り返しますが、1789年のフランス革命から1870年に第三共和政になるまでの81年間で、“自由と平等”の共和制だったのはたった11年しかありません。#blackjoke
1792年-1799年の7年間と、1848年-1852年の4年間だけです。
このうち1792-1795年の第一共和政(国民公会)では、ギロチン祭りです。
ぜんぜん“自由と平等”ではありません。
王様の首を刎ねたくらいで世界は変わりません。
その次の権力者がその次の権力者が現れては消えていきました。
1940年、フランスはドイツに負け、ヴィシー政権が発足します。#ヘタレ
同時に自由フランスも。
フランスがマトモと言われるようになったのは、
1958年の第五共和政くらいからでしょうか。
日本人が思っているフランス革命は幻想です。
そんなに簡単に革命ができるはずがないじゃあないですか。#マルクス #blackjoke
ご高覧、感謝です。 サポートによる調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。 ※虚構も少なからず入っています。