16.「東アジアの思想」という話(1)_17701
16.「東アジアの思想」という話(1)_17701
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【歴史を開く】
まず最初に述べておきますが、思想は簡単に語れるようなものではないということです。特に東アジアのそれを話すとやれ「大陸がー」とか「半島がー」とか言われます。
いやいや、そもそも隣国と仲が良い国なんてあるんですか? もしあったら一つの国になっていませんか? #joke
たとえば、欧州の小国ベルギー王国は、フラマン語共同体・フランス語共同体・ドイツ語共同体という三つの共同体から構成されています。
※フラマン語はオランダ語の方言の一つです。
三つも言葉が違う共同体があって「ややこしくないのかしら?」と思うでしょう。実際、ややこしいことになって、二〇一〇年から二〇一一年にかけて五四一日も政府がない政治空白(!)になったことがあります。ままベルギーの国の標語は「団結は力なり」だったりします。弱小共同体が団結して列強に対抗しているというと分かりやすいでしょうか。
ベルギーについては拙著を参照してください。
『「フランダースの犬」解説――風車が燃えた秘密――』
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【思想の深み】
日本の国内についても同じように、何かあることに「右翼だー」「左翼だー」と声になります。そもそもどうして右翼、左翼と言われるようになったか知っていますか?
フランス革命後、議会で議長席から見て右の席にいた保守派が右翼で、左の席にいた急進派が左翼です。右翼は国粋主義・ファシズムなどの立場を、左翼は社会主義・共産主義などの立場をとります。
フランス革命は、一七八九年のバスティーユ襲撃がはじまりとされています。今からたった二〇〇年と少し前にようやく、右と左に分かれた訳です。
一六三七年に、フランスの哲学者ルネ・デカルトの『方法序説』が発表されました。それまでの「神といっしょにいる私(わたくし)」から、私たちの自我は理性といっしょにいる「デカルトの申し子」になって一五二年です。
「デカルトの申し子」については、前述の「「沈黙」という話(9)」【デカルトの申し子】を参照してください。
ようやく自我に目覚めた幼子が、どうするか? 決まっています。無闇に、意味もなく、手に入れたばかりの力を使うんです。それは、恐怖ですよ……。フランス革命については別の機会にしましょう。しかし、アントワーヌ・ラヴォアジエの死は惜しいです。
さて、多くのことを論じ争うことを、福沢諭吉は多事争論と言いました。恐怖ではなく、単なる言い争いです。しかし、その前に東アジアの思想を深く考えてみましょう。