「原作と脚本」という話-2
「原作と脚本」という話-2
確かに二次創作です。
『セクシー田中さん』“改変”問題に漫画協会理事長「里中満智子氏」が緊急提言 「脅してくるような人にだまされないで」
『セクシー田中さん』“改変”問題に漫画協会理事長「里中満智子氏」が緊急提言 「脅してくるような人にだまされないで」
平和を祈りつつ、少し考えてみましょう。#千里同風
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ようこそ。門松一里です。静かに書いています。
という話は、調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。※虚構も少なからず入っています。
※本当はノワール作家です。
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たとえるなら、前述のように原作者は使徒ペテロかと考えます。〝最初のローマ教皇〟であるペテロに対して、キリスト教を成立させたパウロが脚本家などの二次的著作物制作者ではありませんか。#blackjoke
脚本はそれ単体では成立しえないので、脚本家は創造主たりえないのではありませんか?#思考実験
脚本家は、少なくとも唯一神ではありません。他の手を借り、別媒体(映像なり音声)になって成立しますから。
(WSなどの劇作家は別として、現代で脚本を嗜(たしな)む人は少ないです。)
脚本家は創造主というより、アーサー王の伝記作家かしら。#blackjoke
あるいは、『ドン・キホーテ』(1605年)より前の食傷気味な騎士道物語の作家のようです。セルバンテスが騎士道物語をパロディにしたのは、もうそんな時代ではないからです。
※デカルトの『方法序説』が1637年です。
私たちは思想的には「デカルトの子」なので「論理的に考えている」と思っています。その思想のほとんどは反射的なもので、新しく考えることをしていません。日常の思考は単純作業なので、既存のものに分別して楽しんでいるだけです。そろそろ違うレベルの思考を養ってはどうでしょうか。
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高等教育(高等学校ではなく大学)の一年二年は一般教養です。それをクリアして専門の知識を身につけます。この二つはまったく別の教育で、たとえば東京大学なら駒場・本郷、慶應義塾なら日吉・三田といったように場所まで異なっています。
専門になって、ようやく学問の面白さが理解できるようになります。
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これだけの情報化社会では一般教養以上の、専門の最初くらいは学ぶことができます。そうした知の学びを楽しめる環境にあってなお、虚構に遊ぶのは高尚ですが、学ぶことによってその楽しみを深めることが可能となります。
その楽しみは一人だけのものではありません。共有される力があります。
より誠実な未来があると信じています。
ご高覧、感謝です。 サポートによる調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。 ※虚構も少なからず入っています。