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「流行は醜い小人」という話

「流行は醜い小人」という話

ファッションでワザと着崩したりすることがあるそうです。

「はあ?」です。

平和を祈りつつ、少し考えてみましょう。

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ようこそ。門松一里です。静かに書いています。

"という話"は、調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。※虚構も少なからず入っています。

※本当はノワール作家です。

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"A fashion is merely a form of ugliness so absolutely unbearable that we have to alter it every six months!"
Oscar Wilde, "THE PHILOSOPHY OF DRESS"

「流行は醜い」とオスカー・ワイルドも言っています。

「門松さんの着熟(きこなし)は、○○先生の教えどおりですね」

十年以上前でしょうか。私がワイシャツの片衿をジャケットの外に出している(!)と、知人に言われたことがあります。

「単に出ていただけです。――推奨しているんですか?」

そんな人など知らないので聞くと、ファッション業界の大御所(実在)だそうです。

なお、いつものように調査資料(エビデンス)を引用できません。
名誉棄損になるためです。事実であってもです。

「他にもネクタイの小剣をワザとずらしたりするのも遊び心があっていいそうです」

「バカですね」

即答しました。

尊敬する人物を貶(けな)されたと思った知人とは別れました。

なお、私はその人物(や人格)を否定したのではなく、その思想が浅いと感じただけです。

片衿が飛び出しているのは、半身ばかり使ったためです。
(知人は理由を知っていますよ。)
その状態を遊ぶというのは、その人の仕事をバカにした行為です。

ネクタイの小剣のズレもそうです。
首に巻いていますから「捩れ」の状態にあります。
その「捩れ」の状態に力が加われば、ズレるのは当たり前です。

それを最初から着崩すのはバカな行為です。

このような愚かな行為を「着飾るのがイヤで外(はず)す遊び」だと考えているなら、思想が浅いと言わざるを得ません。

業界の大御所であろうと、知識に飢えた若人にそうした過(あやま)った遊びを教えて楽しんでいるなら小人です。

永仁の壺事件の加藤唐九郎のように、小人の芸術家はだいたいこんなことをして楽しみます。

武道の大家が残忍なのと似ています。

人徳がないために、過(あやま)ちを教えて導くしかないのです。

擁護派としては、逆説的にそうした環境にあって気づきを与えるものです。

ですが、若人に過(あやま)ちを教えて導くなど、時代錯誤も過ぎます。

大久保健晴「歴史は閉じているものではありません。図書館の古書や専門書を開けば、明らかになります。閉じているのは、私たちの心なのかもしれません。願わくば、図書館の古書や専門書を紐解き、歴史を開いてください」

大久保健晴「思想を語る上で、右や左といった横方向だけでは不十分です。ぜひとも浅い深いといった縦方向も考えてください。単純な左右だけではなく、その深みを十二分に考えた思想を論じてください」

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