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「私小説」という話

「私小説」という話

私小説って何でしょうね?

少し考えてみましょう。

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ようこそ。門松一里です。静かに書いています。

いつもは、
「あまり一生懸命になるな」という話
https://note.com/ichirikadomatsu/n/n081dd28c9a6c
とか、
「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話
https://note.com/ichirikadomatsu/n/n416e39d84b94
を書いていますが、本当はノワール作家です。

という話(ik)-2

という話(ik)を連載しています。

こちらは調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。※虚構も少なからず入っています。

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私小説は「ししょうせつ」や「わたくししょうせつ」と読みます。

作者自身を題材にした小説です。けれど、絵画の自画像や写真でのセルフ・ポートレイトとは少し異なります。

梶井基次郎の『檸檬』のような一部の例外をのぞき、私小説は品がない作品が多いです。#blackjoke

2022年(令和4年)2月1日に石原慎太郞が亡くなり、同月5日に西村賢太もつづきました。

令和は、私小説の何たるかを知らずに終わったようです。#blackjoke

私小説は、伊藤整によると調和型と破滅型に分類されます。

調和型は梶井基次郎の他に『城の崎にて』の志賀直哉がいます。うだうだ言いながらも、のほほんと終わります。
(簡単に終わらないのもあります。)

破滅型は誰あろう太宰治です。

太宰治……人気ですよね。もうどうしようもない人ですが。もうちょっとどうにかすればよかったのではと考えられますが、どうしようもないのが人生です。
(身も蓋もありませんが。)

私小説は作者自身の歪みに光をあてるものですから、妖しさがあります。

石原慎太郞のえげつなさや、西村賢太の品のなさが魅力とされます。

とはいえ私は、私小説の何たるかを理解できません。

西村賢太の『苦役列車』や藤澤清造の『根津権現裏』を(少しだけ)読んで分かったことがあります。

私と死生観が異なるのです。

蒲団の匂いを嗅ぐくらいなら、死神の鎌に斃れますよ。

「死が隣にいない」——擬人化された死神(Grim Reaper)が隣にいないのでしょう。#blackjoke
(まあいても私は二度寝しますけれどね。)
※“Grim Reaper”の直訳は「厳しく刈る人」で、つまり「生を根刮ぎ奪う人」という意味になります。

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私小説は映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』と同じ印象があります。地獄で仏を描いていないのです。

本当の地獄は、もっと酷くて笑わなければ仕方がないのです。その点で『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の監督は、それを知りません。

島崎こま子や岡田美知代がどうなったか知っていますか?
※島崎こま子は島崎藤村の姪で、岡田美知代は田山花袋の小説『蒲団』のヒロインのモデルです。

『蒲団』という小説は、本当につまらない作品です。弟子にした女学生に男がいたので破門したあと、作家が女学生が使っていた蒲団の匂いを嗅ぐというキモい話です。

田山花袋がキモい代表なら、島崎藤村は最低の代表です。

『破戒』(1905年)の主人公が「何も解決せずに逃げた」のは呆れました。

「『罪と罰』に似ている」との論があるらしいですが、罰を求めて罪を冒しているだけでしょうに。贖罪がないのに作品が成り立つ訳がありません。#blackjoke

『新生』(1919年)はもっと理解できません。島崎藤村は兄の娘の島崎こま子と関係し、島崎こま子は子を出産しています。

それは罪ですが犯罪ではありません。世の中にはどうしようもない事があり人の身ではどうすることもできない事もあります。
※犯罪は国が法律で裁く罪です。

けれど告解ではなく公表してどうするのかしら。

告解とはカトリック教会の司祭に罪を告白する赦しの秘跡(ゆるしのひせき)のことです。

荒木飛呂彦の『岸辺露伴は動かない』には岸辺露伴が誤って神父の部屋に入って罪を聞く「エピソード#16 懺悔室」という話があります。

さて、島崎藤村は若いころにキリスト教の洗礼を受けたのですが(島崎こま子と関係する前に)明治女学校の教え子と関係して棄教しています。

芥川龍之介「『新生』の主人公ほど老獪な偽善者に出会ったことはなかった」

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果たして、私小説の作家たちが愛した女性たちは、ファム・ファタールだったのでしょうか。

ファム・ファタールはプロスペル・メリメの『カルメン』(1845年)やエミール・ゾラの『ナナ』(1879年)に登場する運命の女/魔性の女です。

島崎藤村が手を出したのは近場の教え子や家事手伝いの姪です。

彼女たちがファム・ファタールとはとても思えません。

考察するに、島崎藤村は太宰治ほどモテなかったのでしょうね。

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