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「軽んじない人」という話

「軽んじない人」という話

常に軽んじず他(た)を敬いたいものですが、なかなかそうはいきません。

少し考えてみましょう。

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ようこそ。門松一里です。静かに書いています。

いつもは、
「あまり一生懸命になるな」という話
https://note.com/ichirikadomatsu/n/n081dd28c9a6c
とか、
「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話
https://note.com/ichirikadomatsu/n/n416e39d84b94
を書いていますが、本当はノワール作家です。

という話(ik)-2

という話(ik)を連載しています。

こちらは調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。※虚構も少なからず入っています。

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どのような人であれ一つくらいは特技があり、それは尊敬すべきことですが、なかなかそうはいきません。

どうしても、嫉妬がありますからね。

私は、少年のころは嫉妬心の塊でした。別に羨んでいる訳ではなく「いつでもできる」と考えていたからです。

実力もないのに簡単に「できる」と考えている人は、他から軽んじられます。それがどうしても我慢ならなかったのです。

であれば活躍できる場に行けばいいのですが、そうした挑戦をせずイソップ寓話の「すっぱい葡萄」状態でした。

いや、それも違いますね。「狐と葡萄」(原題)では狐はどうにか食べようとしたのですが食べられなかった訳ですから挑戦はしたのです。

私が少年時代を過ごした昭和は、そうした挑戦を好ましく思わない人がいっぱいいました。中島みゆきの「ファイト!」の世界です。

「ファイト!」という曲は応援歌ではありませんよ。英語の"Fight!"は「戦え!」です。この「戦え!」は別に「暴力に訴えろ」という意味ではありません。(当たり前ですよね。)

理不尽に対して「戦え!」です。

権利のための闘争は、権利者の自分自身に対する義務である。
——ルドルフ・フォン・イェーリング『権利のための闘争』(岩波書店、1982年)P49

憲法より地域の法(というより私法)を優先する人たちに対して、一個人が戦うことは恐怖です。その恐怖に負けてしまっていたのです。

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