希望を持つ

希望を持つという言葉があります。
何か苦しくなった時には、現状を打破するためにも努力をして希望を持つことはとても大切だと思います。
 しかし、希望を持つという事は、どこに対して何を行うかで、希望を持つの意味が変わってくるのではないでしょうか。
 人間社会は、自分という存在と他人という存在で成り立っています。
 数的に考えれば圧倒的に他人の方が多いので、他人をどうにかするという事は非常に難しい事だと考えています。
 では自分を変えるという事はどうでしょうか。
 これも他人を変えると同じ様にとても難しい事だと考えています。
 それでは八方塞がりだという事になって舞います。
そこで、少しだけ自分自身の当たり前と思っている物事に対して、見方や考え方を変えるという方法を用いるのはどうでしょうか。
私も、少しくらいであれば何とかなる気がします。
例えば朝、起きたらきちんと「おはよう」を家族に言うとか、お食事の時には「いただきます」をいうとかであれば普段していない人も恥ずかしさを我慢するだけなので何とかなると思います。
仏教には無財の七施という言葉があり
眼施・和顔施・言辞施・身施・心施・床座施・房舎施の七つの行為を表しています。
眼は眼差しです。メンチを切るような眼で相手を見るのではなく、きちんと向き合う事を大切にする事、または存在を認めるでも良いかもしれません。
和顔施は無愛想で過ごさないで良いと思いますが、もう少し踏み込むのであれば相手は鏡という言葉がある様に相手に無愛想をさせないという考え方も有りだと思います。
言辞施は言葉です。これも和顔施と同じで相手は鏡です。失礼な言葉使いの中に居れば失礼な人達しか寄っては来ません。そうなれば自ずと先は見えてきます。
身施は言葉の継ぎは身の使い方です。これも相手は鏡です。
心施も同じです。
床座施や房舎施は私以外の人が、どうある事が嬉しいかという想像力が少し必要とされると思いますが、これは自分と他人との向き合い方の問題であり、他人との生活問題とも考えています。
 大きな変化を自分に課するという事はかなり難しいと思いますが、この中の一つくらいは何かできる様に思います。
 一つ何かができただけで世界が変わります。
 正確には世界は変わりませんが、自分の見えている世界の見え方が変わります。
 小さな変化が一番大切です。
 これは種まきの様な物なので、今日やって明日からという事にはなりませんが、少しでも行う事でいつの間にか積み重なり、大きな変化になっています。
 これから実りの秋です。
 地球では種まきは時期で決まりますが、人生の種まきはいつでもできます。
 変化の種まきを挑戦してみるのも悪くないと思います。
 どの様な実が実るかは分かりませんが、少しだけ豊かさを気付かせてくれる希望の実がなると思います。

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