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アートの価値とは。

こんにちは。IchiPです。
Twitterでこんなことをツイートしました。

(以下ツイート全文)
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某PJ(NFTプロジェクト)がよく売れているようです。冬の時代を感じさせないくらい。 
つまり。冬の時代なんか関係ないのです。
今日本は30年間不景気と言われていますよね?それでもよく売れる商品はあります。不景気だからといって、競争に参加しませんか?そんなことはないですよね。
結局夏だろうが、冬だろうが、売れる物は売れます。ただ、夏(好景気)では、B級やC級でも売れます、一方冬(不景気)ではA級以上しか売れません。 
では、A級以上とB級以下の違いはなんでしょうか? 
簡単ですよね。価値です。
価値は人それぞれ、商品それぞれ違います。でもより多くの人がその価値は高い、と感じさせられるかどうか。 
では、あなたのNFTの価値は? そしてその価値を求めている人はいますか? PJならより多くの人が必要、一枚絵なら少数でもいいがそんな人を捕まえるより一層の努力が必要です。
「そんなことのために絵を描いているのではない。」
 「価値は絵を買ってくれる人が自分で感じられればいい。」 という方がたまにいます。 
そもそもあなたが提供したい「価値」を考えていなければ、見る側はその価値に賛同したり、違う価値を感じたりすることはあり得ないと思います。

ふと、最近インフルエンサーさんたちが幻滅期だの、冬の時代だのと言っているので、少し意見を言いたくなりました。。。
急に失礼しました
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これに対し、とある質問をいただきました。
「前から気になっていた価値についてですが、一ピーさんのお母さまが作品は見る側に解釈を任せるべき、と言われていたことをどう理解したらいいかと悶々としています。 実は別のアーティストも同じことを言っていたんです。 アーティスト側からの価値の押しつけへの警鐘なのかなと思っています。」
これは以前にスペースで話した内容に起因します。
私の母親がアーティストで、昔私が「この絵は何を表現しているのか?」という質問をしたところ、母は「作品の意味や込めた想いは、見る側が自由に感じて、理解すればいい。」という話をしました。
この話と今回のツイートが相反する内容になっていることから、質問をいただいたのだと思います。
ちなみに、母の作品の一部です。

白鷺シリーズ「輝耀」
Freeシリーズ「緑」
クロッキーシリーズ「青い炎」

あなたはこれらの作品から何を感じますか?

これは実際にあった話です。
とある女性がある母の作品をみたところ、言葉にもならないほど、涙を流し、感動してくださいました。
一方、別の女性が同じ作品をみた途端、急に、「ごめんなさい、気持ち悪くなってしまった。」といい、座りこんでしました。その女性はその作品にエネルギーを吸い取られる感覚を覚えたようです。
このように見る人、場所、タイミング、様々な要素によってアートは人に与える印象や感覚が違うことがあります。

話を元に戻しましょう。
上記の質問をもらい、私はすぐに「しまった!」と思いました。なぜなら、私のツイートはビジネス的視点だけのものだったと気づいたからです。私はずっと会社を経営してきました。そのため、物の見方がビジネス的になりやすく、アートマネジメントを始めた当初は、よくアーティストの行動や気持ちが理解できず、母にそのことを質問したり、時には衝突していました。
その一つが、前述のやりとりです。

しまった!と思った私は、すぐに母にコンタクトをとり、「自分の作品の価値は何か?」と考えながら制作をしているか?と質問をしました。
それに対し、母は「人間は生まれた時から価値のある人はいない。価値は他者が後からつけてくれるものであり、自分から提示するものではない。それと同じだ。」
「その価値をつけてくれる人をずっと探し求めているのがアーティスト。」
と答えてきました。これもずっと母から聞かされてきた言葉でした。

ここでいう「価値をつけてくれる人」=プロデューサー、インフルエンサー、すでに有名なアーティスト、有力コレクターなどです。もっといえば、アーティストは「その人は影響力があり、その人が評価した・購入したという事実が作品に価値をつけ、さらに高めてくれる人」を求め、個展をしたり、宣伝をしていると言えるかもしれません。
なぜなら、その一人と出会うことで、アーティストの人生は一変するからです。大勢はいらないのです。誤解のないように、もちろんそれほど影響力がなくても、購入してくれる人、応援してくれる人はすべて大きな支えとなる存在でしょう。ただ、極論をいえば、そのたった一人との出会いたい、自分を見つけて欲しいと願うのは間違いではないでしょう。
長くなるので、詳細は割愛しますが、例えば平山郁夫とその夫人の話なんかが1つの例です。平山郁夫にとって、そのたった一人は自分よりも才能があった夫人でした。
こうして、他者から作品に「価値」が付与されるのです。

では、私がツイートした、
「そもそもあなたが提供したい「価値」を考えていなければ、見る側はその価値に賛同したり、違う価値を感じたりすることはあり得ないと思います。」
という言葉は正しいのでしょうか?
これはビジネス的には間違いはなく、ビジネスは常に価値、つまり需要を考えて提供しなければなりません。なので、NFTプロジェクトには当てはまるでしょう。
しかし、アート作品には少し違うのかもしれません。

ここでもう一度母の言葉を振り返りましょう。
作品の意味や込めた想いは、見る側が自由に感じて、理解すればいい。
この一言だけ見ると、母は作品に意味や想いを重要視していないようにも捉えられるかもしれません。
しかし、実際には、母は様々な想いやストーリーを全ての作品に込めています。自分にとってその作品はどんな意味を持つのかを誰よりも意識し作品を制作します。それらは作品の隅々まで、血の滲む努力の結果得た技術を駆使し、表現されています。
だからこそ、前述の見る人によって、同じ作品でも感動させたり、気分を害することができるのです。
そして、そんな作品だから、購入し、愛してくれる方と出会った時、その作品に『価値』が生まれるのです。
ただ、アートは『価値』を考えて制作していない、ということです。

さて、私のツイートへの質問に答えたいと思います。
質問には「アーティスト側からの価値の押しつけへの警鐘なのかなと思っています。」とありましたが、私は少し違うと思います。
もしあなたが自分の作品にはすでに価値がある、と考えているなら、それをしっかりと伝えることは作家の義務だと考えます。
なぜなら、その価値を知ることで、あなたの作品を購入するかしないか検討する重要な情報になるからです。
伝えないことで、本当は結ばれるはずだった作品と顧客にとって、損失となり得ます。

ただし、「アーティスト側からの『解釈』の押しつけへの警鐘。」と言い換えたとします。
この場合、私はYESと答えます。
ここまで述べてきた通り、『解釈』、つまり「作品をどう見て、どう感じるかは見る人それぞれでいい」からです。
とはいえ、全面的に「何も言うな」ということではありません。あなたがなぜその作品を描いたのか、という情報は、あなたの作品への理解度を高め、あなたのファンになってくれる人を増やすこともできるからです。
これまた矛盾してしまいますが、ここに正解はないと思います。

強いて言うならば、個人的には『余白』を残すことは何事にも大事だと考えます。
私は漫画やアニメが大好きです。そして名作と呼ばれるほとんどが、『余白』を残しています。つまり、最終回を迎えても全てを語らず、視聴者の想像に補完させるのです。その『余白』がいつまでその作品を観続け、仲間と議論を交わす最高の酒の魚なのです。
そして余白を残すのが最もうまいのが日本人です。わびさびの心です。

しかし、最近では、ネット、SNSの進化により、余白を嫌い、全てを知らないと気が済まない人が多いのも事実です。しかし、全てを語った作品はその時は喜ばれますが、きっと後世には残らないでしょう。
モナリザは結局微笑んでいるのか、悲しんでいるのかわかりませんよね?でも、それが最大の魅力として、いまも私たちの心を捕らえています。

最後にもうひとかたからコメントをいただきました。
「僕は芸術家というのは細部にまで意図を持って取り組む人のことをいうと思っているからです。ただし評価や解釈を見る人に委ねるというのは理解できます。でも作り手は意識しておくべきだと思うのです。」
まさにその通りだと思います。

この方の言葉を借りて、件の私のツイート、
「そもそもあなたが提供したい『価値』を考えていなければ、見る側はその価値に賛同したり、違う価値を感じたりすることはあり得ないと思います。」
この一文を改めて書き直します。
ちなみに、これは「プロジェクト」であろうが、「一点物」であろうが、同じだと考えています。

「そもそもあなたが提供したい『意図(または想い)』を考えていなければ、見る側はその『意図(または想い)』に賛同したり、はたまた、違う『意図(または想い)』を感じたりすることはなく、その結果あなたの作品が『価値』を産むことはあり得ないでしょう。」

Fin

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