「宇宙はなぜ このような宇宙なのか」ー人間原理と宇宙論ーを読んで
「宇宙はなぜ このような宇宙なのか」
ー人間原理と宇宙論ー
青木薫著
全部理解できたわけではないけれど、なんか色々考えさせられ、何度も読み返そうと思いました。
人間原理とは、宇宙と人間との関連性を述べたものなのですが
それは
宇宙があるから人間が存在できたという
宇宙>>>>>>∞・・・人間
という関係じゃ無くて、
人間があるからこの宇宙が存在するという
宇宙=人間
等価にする考え方
人間が存続できない宇宙は今の宇宙では無い。
ヱヴァンゲリヲンのようにファーストインパクトがなければ、地軸が傾かず季節も生まれず、月もなかった。
生物は生まれたかもしれないが、人はどうでしょうか。
土星や木星のような重力が強い天体が、地球の外側になければ、しょっちゅう、巨大隕石が落下し、SF小説「三体」のように、高度な生物が誕生しても、何度も絶滅したでしょうetc・・・
物理定数が、ほんのちょっと違っただけでも、この宇宙は出来ないだろうしetc・・・となると当然人間なんかはいない。
たとえ、神様がこの世を作ったとしても、これほどまでに複雑に絡み関連、影響し合ったこの宇宙を作れるのでしょうか・・・
まるで、人間誕生のために物理法則から全宇宙まで全てが存在するかのような錯覚に陥る事から生まれた人間原理。
それが、昨今のパラレルワールド宇宙とつながり、無限の可能性(パラレルワールドの無限数個の宇宙)が有る中で、人間が誕生する宇宙だから、その人間が宇宙を認知できた。ということで
つまり
宇宙=人間
と等価にする考え方です。
となると
もし、それが成り立つならば、人間(人類)と私個人も成り立つのではないでしょうか。
私がいるから今の人類がある。
源平合戦や関ヶ原、もしくは本能寺の変があったから・・・わたしがいる。数々の歴史上の出来事がもしなかったなら(いま日本という国はあると思いますが)、中の構成している日本人は異なり、わたしはいないだろう。
日本が太平洋戦争で負けたから、ウチのお袋が沖縄から集団就職で静岡に来ることになり、親父と知り合い、私が生まれ存在できるようになった。わたしが存続できるためには、それらの歴史は全て必要な出来事だった。無限の人類構成のなかでの、今の人間構成の「人類」
わたしがいるから、わたしが今の人類を認知できているから、今の人類がある。
人類=わたし
人類とわたしとの等価
私自身についても、ここまで生きてくる中で、数々の出来事がなければ、当然、今の私ではない。もし、小学生6年の春のあの時、お袋の提案を「No」と言っていれば、今とは違う人生を歩むことになり、今とは違う人格になっていただろう。
場合によっては、犯罪に巻き込まれたり、命をやり取りしたりして、もう、いないかもしれない。
今のわたしがいるから、わたし自身を認知し、過去を振り返ることが出来る
わたし=今のわたし
無限のわたし(別人と言えるほどの人格もあるでしょう)の中での、今の人格の「わたし」。だから、過去の辛い出来事があったからこそ、今の自分がいる。今の幸せな自分がいる。
過去の、人格がどうか成ってしまうほどの身を焦がす悔しい出来事を昇華させる為には、いま幸せになるしかない。
過去出来事の意味合いを変えるのは今。
だから、今を、後悔なく、欲をかかず、負の感情を抱かず、感謝して正しく生きよう。
そんなふうに思いました。